パーソナル文化研究所・空琉館の情報誌的ウエブログです。


by konlon

『萌葱』

『萌葱』
 -ますびファンタジー・ザ・ベストPart1-

    ●kongdra(空・ドラ)


 人間世界で営まれる、何気ない日常の盲点を縫うように、異界の者たちがこの人間世界に訪れる…。ファンタジーマンガ作家の須藤真澄は、異界からの来訪者に誘われて、日常から異界、そして再び日常へと帰っていく人々の小さな「物語」を、「少女」と「老人」のキャラクターを用いて叙情豊かに描き出し、それらのキャラクターとトーンワークを駆使して描かれた背景とのハーモニーによって、ソフトロック的なグルーヴを醸し出し、読者の心に余韻を感じさせるのであった。
COMIC BOXの「ピュア・ファンタジー・ゾーン」に始まる、須藤真澄のファンタジー短編は、ファンタジー作家・須藤真澄の異界観および人間観が表出された作品群として、コミックビームの「庭先案内」を経て、「庭先塩梅」シリーズが現在継続中である。
今回、須藤のライフワーク的存在となったファンタジー短編の新シリーズ、「庭先塩梅」の開始にあたって、『庭先案内』2巻までの過去の単行本から、須藤本人の作品セレクトによるベスト版が登場した。作品の中でストーリーの中核に用いられている「少女」と「老人」の各モチーフごとに分けた二巻構成で、少女を象徴する「萌葱」、老人を象徴する「梅鼠」のカラーコンセプトが取り入れられている。この二冊には、'80年代から'00年代半ばまでの、各時代の須藤ファンタジー作品が集められ、「ますび」こと須藤真澄の約20数年の歴史も味わえる逸品として、須藤ファンタジー入門編としての性格も備えている。
今回は、「むすめ(少女)」を物語の主要人物として描いた、『萌葱(もえぎ)』編収録作品の紹介をしておこう。


『萌葱』
コンセプトカラーは日本画で使われる『萌葱』色。草木が若々しく育つイメージで、「むすめ」の発展性を神秘的に象徴している、と共に昨今の「萌え」系キャラクターの存在に対する、須藤真澄のアプローチであり、回答とも考えられそうだ。

○「天国島より」
主人公の小桃(シャオタオ)は、天国島と言うべき、永遠の時を生きる人間と竜の住む島に住む少女。彼女は15歳を迎えた時に受ける「儀式」によって永遠の生命を得ることになっていた。
しかし、姉の付き添いで島の薬を市場に卸しに行った時、その市場に心を惹かれる。小桃は限りある「時間の枠」で生を過ごす市場の人々を目にし、彼らが生き生きしていたことに驚嘆した。限られた時間の中でこそ命の密度を濃くできるのではないかと言う竜の言葉に共感し、市場で暮らすことを決めたのである。不死は生きていることにならないと思う姉と、三千世界全ての空にも憧れる空がないと思う竜の下心も小桃の心を動かし、彼女に時間の枠の中から大切に思う気持ちが「天国」であると思わしめた。
異世界の掟に従って生きる事を運命付けられた少女が、人間世界に触れる事で自分の存在を振り返るというストーリーで、仙人のモチーフを取り入れた中華的イメージが神秘性を際立たせている。異界の住人視点で人間世界を客観的に見つめる設定かたは、命の密度というものを考えさせてくれる。

○「It's a small world」
 女子学生の少女が目覚めた所は、塀で囲まれた、円形の家の中だった。その部屋は可愛らしい壁紙が貼られていて、見知らぬおじさんやおばさん、老女が同居していた。
少女は戸惑うが、友人の飼っていた犬・「エダマメ」の姿を認め、家の正体と自分の状況を知るのであった。そして、ふるさとに還るための"お迎え"が塀を破って現れる。少女たち家の住人たちは"お迎え"に乗ってそれぞれのふるさとに還っていくのであった…。
人々の心の中に生き続ける"個人"をテーマにした作品であり、各人の記憶の中に「存在」として認められる人々や生き物を、"家(イエ)"のモチーフで表現している点が目新しく感じられる。巨大な提灯飾りをアオリで見せたり、"お迎え"が戦車のように塀を破って出現する超現実的なビジュアルイメージが、動的な迫力でもって静的な"家"のイメージと好対照をなしている。本作発表前に須藤の飼い猫が亡くなった経験が反映されたであろう物語設定により、"生と死"を描いてきた須藤作品の中でも特に際立った印象を与えている。
なお、It's a small worldというアトラクションがディズニーランドにあり、TDLのものが『おさんぽ大王』でも紹介されていたが、このアトラクションがタイトルの元になっていた事も推測される。

○まばたきの祭典
生き物の瞬きが、種ごとで一致する時があるという。少女は猫からその事を聞き、一千年に一度だけだという、全ての人間の瞬きが一致した瞬間を目の当たりにした。"一瞬"というものをテーマに、全人類が同時に行うという低確率の事態が招きよせる、神秘的な「異界」を空のモチーフで浮遊感豊かに描き出している。

○「天狗―あまつぎつね―」
少女は立ち入り禁止の山に足を踏み入れ、山の中で天狗に出会う。天狗は死者の魂を木の養分に変え、花を咲かせ、果実を実らせる。果実の中で育った勾玉形の種は、「この世でいちばんいいもの」だと天狗は言う…。死者の"魂"の再生を、山と樹木のモチーフで描き、『アクアリウム』に代表される水のモチーフとは違った、須藤真澄のもう一つの死生観、生命観を見ることができる。

○「メッセージ」
 妹は最近、毎晩無意識に謎のメモを残す。その謎を解き明かすため、眠っている妹を姉は見張ることとなる。そして姉は、妹の耳から"七福神"が出現するのを目撃した。海外に出ている両親へのお守りとして、姉の描いた七福神に恵比寿の絵を描き忘れたことを知らせるため、七福神は妹の夢にアクセスしたのだという。須藤が関心を寄せている、大阪を舞台にした作品であり、上方漫才を思わせる姉妹のやり取りには、姉妹の仲のよさが強調されている。この作品は上方芸能的イメージが好評だったらしく、『アクアリウム』や『振袖いちま』に続く、新たなダブル主人公ものとして、後に大阪市在住のこの姉妹が関西地方で活躍するエピソードが、「庭先」シリーズ枠内で描かれる事になる。

○「早苗と青い子供」
少女早苗は、ふとしたことから河童に出会い、「河童の国」に案内される。村の子供たちの守り神として、一人に一匹ずつ河童が生まれるのだという。河童は十年後に子供の成長を見届け、死んでいく。水中の低重力感が感じ取られる「河童の国」の描写は、後の『アクアリウム』に連なる魂の世界の一形態が描かれ、注目される。作品には透明感があふれ、自らの宿命を受け入れて生きる河童の、切なく、悟りにも似た表情が読者の心を打つ。主人公が過ごす空間として、茅葺き屋根の民家など、一昔前の農村の風景を選んだ事も、作品の透明感をいっそう際立たせている。

○「天のおさる」
 世界一高い山の頂上にある、大木に住んでいる一匹の猿が下界に降ってきた。街に出稼ぎに来ていた娘は、偶然その猿と出会う。娘は、里帰りの際、同時に猿を住処に帰すことになった。
須藤の好きな国の一つであり、数回足を運んでいるネパールをモデルにした、異国情緒豊かな短編。で作品中に登場する猿のデザインはマスコット的であり、猫のキャラクターとはまた趣の違った、須藤のたようなデフォルメ感が多分に発揮されている。

○「真夜中のみいさんはあさん」
 ある猛暑の夜、下宿の女子学生(?)は旅行のため地球に訪れた宇宙人の一団に出会う。彼等が残していったリモコンは温度調節機であり、その効力は地球全体の気候を大きく変えるほどのものであった。須藤作品には珍しい、「宇宙人」が登場する短編であるが、宇宙人の素顔を見せない点に、隠された異界というものに存在感を与えている。"熱帯夜"をモチーフにして、宇宙人と地球人との、認識のギャップが引き起こす超常現象がテンポ良く描かれていて楽しい作品である。作品中のほとんどの場面において描かれた、主人公である女子学生の体表に浮かぶ汗の表現は、彼女の肉体が感じた"湿度"というものを、須藤のキャラクターデザインによって、あまり不快になり過ぎない程度に、読者の皮膚感覚に訴えかけるようなイメージを与えている。

○「コーヒー・カンタータ」
女子学生は公園でコーヒーポットを持った男と出会う。男の注いだコーヒーを飲んだ女子学生は、男の過去と未来を目の当たりにした。男の夢の中だというそのビジョンを通じて、女子学生は現実世界で生きる意味を思うのであった…。「コーヒー」と「夢」をモチーフにして、人の一生と転生、夢の世界と現実世界との相互関係を描いている。公園ののどかな雰囲気が、作中のコーヒーに味覚を感じさせ、作品世界への導入役として機能している点が興味深い。

○「天国のつづき」
「天国島より」の続編。この「天国のつづき」では、一歩進んで島の住人と島外の人々とのつながりが描かれている。小桃は島の薬を卸している漢方薬店で暮らすことになった。漢方薬店の主人は、島の長老格である「爺爺さま」をルーツに持つという。「つづき」では、人間は限りある時間の枠を、血族や大切に思う人たちとのつながりの中で重ねあって永遠の時間を紡ぎだしている事を主張している。難点を言うなら、読切短編のためか、作品世界での重要事項が、姉さんの台詞で表されているので、やや説教じみた感じを禁じえない。
永遠の時間を生きる「天国島」の住人の存在意味は何かと考えるにあたって、爺爺さまが神の位に昇格しようとしていた事や、爺爺さまと薬屋が重要な手掛かりではないかと思われる。また、爺爺さま一族の一部が島を離れた理由も、小桃のように限りある時間の枠に心を惹かれたからであろうと想像させられる。須藤真澄のファンタジー系短編作品は、絵を見て感じる、と言う点が強く、言葉での表現がたいへん難しいが、そこに須藤ファンタジーの真髄があるといえるのではないかと考えられる。

(文中敬称略)
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# by konlon | 2010-12-16 00:00 | マンガ

蘇った”まんが映画”!?

ベサメムーチョ作、舛成孝二監督の劇場オリジナル・アニメーション『宇宙ショーへようこそ』が2010年6月26日に公開され、話題を呼んでいる。2008年1月にアニメ雑誌において、当時『ザ・宇宙ショー』の仮タイトルで製作中だった本作品の存在が発表されて以来、ベサメムーチョや舛成監督のファンをはじめ、その田舎路線風のイメージイラストから興味を抱いたアニメファンたちにとって、一日千秋の思いで公開を待ち望んでいた事であろう。公開前の『宇宙ショー』が、『ザ・宇宙ショー』の仮タイトルで紹介されていた間は、数点のイメージイラスト以外は、ストーリーや登場キャラクター等の詳細事項はほとんど不明で、この機密保持体制(?)に、製作サイドの作品への拘りを、アニメ映画ファン達は感じ取り、完成作品はきっと”すばらしい”ものとなるであろうと、期待と興奮に胸を躍らせていた。公開が近づくにつれ、webサイトやCSでの特番などの宣伝活動が活発になり、作品関係者の感想や、物語や作品映像の一部が紹介されるにつれ、その期待と興奮は最高潮に上り詰め、一般公開を迎えることとなった。
公開された完成版『宇宙ショー』は、それを目にした多くの人々がその映像と物語に魅了されたらしいことがweb上でも報ぜられ、製作発表時の時めきと予感が確かであったことが伝えられてきた。日本の地方農村から大銀河宇宙へと続く、魅惑の映像世界はやっぱり”すばらしい”作品だったと再認識させられるものであった。田舎の小学校に通う5人の少年少女が、異星人に出会ったことから始まる宇宙規模の異界交流譚を、『宇宙ショー』は懐かしさと新鮮さを交えたビジュアルで描き、個性豊かな異星人達との出会いと別れを通じた、少年少女達の心の成長物語を奇想天外なストーリーに乗せて展開された。主人公達の住む土地の産物と宇宙最大級の海賊エンターテインメントショーを鍵に、宇宙の古代遺産をめぐる闘いまでに拡大発展していくストーリー展開の中で、等身大の少年少女達が自然体で活躍する姿に思わず引き込まれ、約2時間16分の”宇宙修学旅行”体験をしているかのような感覚を憶えるのであった。
御伽噺を思わせる、宇宙都市や惑星のシュールな光景に、子どもの描いた想像画がリアルな生物にクリンナップされたかような、ポップ感あふれる容姿をした異星人や異界生物、生体機械(?)等が跋扈する宇宙は、近年のアニメ・マンガが描く、科学的考証の積み重ねで構築された、リアリティ重視の宇宙設定がスタンダードとされる傾向にあって、新鮮さと懐かしさに満ちた、想像力の自由さというものを観客達に現前させたかのような印象に思われる。御伽噺的要素を備えたビジュアルという点では、『宇宙ショー』は、「東映まんがまつり」(註)枠内で上映された『ガリバーの宇宙旅行』や『空飛ぶゆうれい船』、『海底3万マイル』等の、「カラー長編まんが」を想起させる。アニメーション映画が”まんが映画”と呼ばれていた、'60年代から'70年代始めに東映動画が「カラー長編まんが」として製作した、アニメ映画が持っていたキャラクター描写やその動き、ストーリーの展開と場面転換といった構成要素が直線的に進化した先の、'00年代の姿を、『宇宙ショー』から見受けられるような印象であった。「東映まんがまつり」の長編作品は、'70年代に入ると名作童話路線に移行し、オリジナル性は影を潜め、'80年代以降は『少年ジャンプ』系マンガ原作作品がメインとなって、'90年代末までには消え去ったようである。片渕須直監督作『マイマイ新子と千年の魔法』('09年)が、東映の名作童話路線や東映動画スタッフが移籍した東京ムービー新社や日本アニメーション製作の、「名作劇場」等のTVシリーズ系へ分岐した”まんが映画”の進化形態とするならば、『宇宙ショー』は、東映動画オリジナル「カラー長編まんが」系のDNAを濃く伝えた”まんが映画”の進化形態なのかもしれないと考えられないだろうか。『宇宙ショー』の作品イメージの中に、初期の東映動画製”まんが映画”との近親性が強く感じられる点からみて、もし、東映動画の劇場用オリジナル長編が、スーパーロボットや変身ヒーロー、ジャンプ系の影響を受けずに、そのまま進化発展していったとするならば、『宇宙ショー』のような作品は、遅くとも'00年前後の間に完成・公開されていた可能性が考えられそうな気がする。
'60年代の”まんが映画”・東映オリジナル長編アニメは、リアルタイムで観られず、”あのとき”の雰囲気を感じられなかった者でも、『宇宙ショー』を通じて、当時の”まんが映画”から伝わる映像イメージと「凄かった」感をなんとなく想像させられ、かつての「東映まんがまつり」で味わったであろうワクワクとトキメキまでも疑似体験できるのかもしれない。『宇宙ショー』は、まさに、原作に由来しない映画用オリジナルストーリーの”まんが映画”が、ゼロ年代末に蘇った作品といえるかもしれない。
公開から半月以上が経過したが、『宇宙ショー』でようやく当時の「東映まんがまつり」鑑賞者が感じたであろう心境とシンクロできた、という思いがじわじわと込み上げてくるような感覚を覚えるのである。

『 宇宙ショーへようこそ』よ、'10年の夏は、本家ですらもう見られなくなった「東映まんがまつり」の興奮と感動を、もう一度子ども達とかつての子ども達の前に!
現在上映館は大都市中心ですが、家族向け娯楽としての”まんが映画”の正統後継者といえるかもしれない『宇宙ショー』こそ、地方の中小映画館で上映され、地元の”よい子”やかつての”よい子”たちの目に触れる機会がなくてはならないと思っている。
『マイマイ新子』が川越や高知など、地方の劇場で上映され続けているが、同様に『宇宙ショー』の地方中小館上映も実現して欲しいと願っている。地方ローカルで『宇宙ショー』が上映された時には、スナック菓子の香りが感動と共に館内を満たすだろうことを密かに想像しつつ…。

註:
「東映まんがまつり」のプログラム呼称が定着したのは、’69年の『長靴をはいた猫』以降で、それ以前は、「まんが大行進」、「東映こどもまつり」、「東映ちびっこまつり」の呼称が用いられていた。

追記:
『宇宙ショー』劇場公開と同時に、メディアファクトリー刊『電撃大王』にて、小野敏洋作のマンガ版の連載が開始されました。『電脳コイル』では少女マンガ視点からのアプローチが試みられていましたが、今回の『宇宙ショー』では、少年マンガの視点と手法によるアプローチを通じて、アニメ本編の魅惑の世界とキャラクター達が、マンガの画面に如何様に転写されるか大いに期待されます。

『宇宙ショー』の第一主役である「ナツキ」が、ヒーローもののファンだった設定も、「東映まんがまつり」という点で若干リンクするかな?とも邪推しています。「まんがまつり」は、ヒーローものも意識したプログラムだったということもありますので。
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# by konlon | 2010-07-18 23:18 | アニメーション

anotherマイコー

故マイケル・ジャクソン最後のステージリハーサルのドキュメンタリー・『This is it』のDVDが2月半ばに発売され、活発な宣伝とともに好調なセールスを見せているそうである。ところで、「マイコー」といえばマイマイ新子、略して「マイ子ー」。昨年11月に短期公開された、片渕須直監督作品の劇場用アニメーション作品・『マイマイ新子と千年の魔法』が思い出される。髙樹のぶ子の小説原作で、1950年代の山口県を舞台に少女の日常を描いた作品だが、1000年前の光景を主人公が想像しながら現実と向き合う姿が描写されている。『THIS IS IT』とは違い、一見地味ながら濃密で魅力豊かな内容から、根強いファンが続出しているらしい。故に、『THIS IS IT』同様上映延長/再上映する映画館が現われた。そして、後はDVDなどのソフト化が待っている、段階に入りつつあるのだが、ここでなにやら怪しい雲行きになっているようである。情報筋によると、ソフト化が危ういらしいと片渕監督あたりから発せられているという。詳しくは解らないが、片渕監督が日本海軍機の研究を行っていて、学研の戦記本などに寄稿していることと関係があるのでは、と考えてみたくなる。また、15年前の劇場用アニメ映画で、木根尚登原作、佐藤順一監督の『ユンカース・カム・ヒア』の状況と類似しているのでないかと思われるのである。『ユンカース』も文部大臣推薦だったかお墨付きをいただきながら、NHK-BSでのTV初放送はかなり時間を要し、ソフト化は2000年代まで持ち越されたことが思い浮かばれる。『ユンカース』は、『マイマイ』よりも宣伝が控えめの印象で、上映館も少なく、ひっそり上映されたのだが、巡廻形式での上映方針だったように考えられる。あまり詳しくは解らないがこれが大きく関わっていたのではないかと思われるのである。木根尚登原作、出演という話題性やマンガ化等メディアミックスも試みられていた所から見て、『ユンカース』ソフト化遅延の要因は、版権など、原作者に由来するものとは思われ難い。『マイマイ』も巡廻方針が予定され、それがソフト化を阻む要因となっている可能性も考えられる。『マイマイ』の場合、特に問題となるような描写はみられず、ファンの評価もそんなに低くないのだから、インターネットなど『ユンカース』の時よりも情報伝達手段の発達している現在、署名や要望などファンたちの働きかけが比較的容易な状況下、ソフト化などについて『ユンカース』よりはやや好転するかも、という気がするのだが、アニメ映画をめぐる、保守的な空気がそこから垣間見られるように思われる。
それより最も憂慮すべきは、このようなソフト化に対しての困難的状況が、動画サイト上での映像流出や海賊版を横行させる土壌になるのではないかということであろう。未ソフト化に付け込んだ流出映像や海賊版の出現が、闇市場を形成し、製作者や真摯に作品をリスペクトするファンたちや純粋に作品を味わいたい人々の中に影を落とすことで、作品に不当な評価が付き、泥を塗るような事態を引き起こす可能性を孕んでいる事をよく意識していかねばならないと考えるのである。海賊版の登場により、ソフト化に拍車がかかった、ということになれば、結果的に作品を脅迫してソフト化を勝ち取ったという風に受け取られ、作品やファンにとっても非常に不名誉だといわなければならない。作品を傷物にし、封印という流れを回避するためにも、作品が好きになった者一人一人が、自分自身にとって可能な範囲で、あくまで正当な手段で主張し続ける事を、良く考えて行動すべきであろう。

参考(*URL頭のhは省略):
廣田恵介氏『550 miles to the Future』内記事・「2月のメモ「DVD化」」(2010年2月25日、ttp://mega80s.txt-nifty.com/meganikki/2010/02/post-f1fc-12.html )署名は28日までで終了。

『たのみこむ』(ttp://www.tanomi.com/)でのリクエストも、現状ではかなり影響力を持っているようなので、有効な方法かもしれない。

(*10,04,27追記:『マイマイ』の上映館増加の他、DVDソフト化が決定したようです。これほど早期の実現に至ったこと誠に驚きとともに作品を愛し、リスペクトしていただいたファンの皆様による情熱の成果だと思います。)
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# by konlon | 2010-02-26 08:30 | アニメーション

仏教に萌えられるか!?

先ほど、杜康潤(とこう じゅん)著のエッセイマンガ・『坊主DAYS』が発刊された。作者の兄が臨済宗(禅宗)の住職という事で、兄をめぐる仏教・僧侶絡みの出来事を綴った作品であるという。このブログでも寺院関係について、「萌え系」の看板寺院禅宗解説書提案の記事を発表して、日本仏教や僧侶に対するポジティブな認識がなされることを強く希望しているが、今回仏教(禅宗)関係についての、学習漫画的なものではないマンガ本の刊行は、日本仏教に対する再認識の機会を提供するものとして、大いに歓迎したい。日本国内における、プロフェッショナルを極めた世界の中で、自衛隊と並んで「ダサくて閉鎖的」といわれ、あるいは、古くから批判の対象となった「異世界の人」という認識が強かった日本仏教の僧侶について、日常に近い存在として、この作品が考え直す機会となることを密かに願っている次第である。作者の身内が禅宗系であるため、作品内容に禅宗系の紹介的要素も含んでしまったが、この事は、マンガファンたちに対する、禅宗への関心を高める契機としてのコンテンツ登場として歓迎すべき事であると同時に、日本仏教イコール禅の紋切り型イメージの強化という危惧も含まれているのではないかと思われる。日本仏教には多くの宗派が存在し、どれもが日本人の精神性に大きく関わっている事を考えると、少々疑問に感じる点もある。日本仏教や宗教家を題材とした作品を創るに当たって、密教系や念仏系、日蓮宗など日本仏教の他宗派に対する関心も向けられるべきであろう。(萌え看板の了法寺は日蓮宗寺院であるが、なぜ禅宗系寺院から萌えキャラ採用が始まらなかったのか、『坊主DAYS』がなぜ女性向けコミックスの新書館から刊行されたのか、これらの点も熟考すべきかもしれない)だが、国防や国際支援と同様に、日本人の宗教観を通じた精神性について、アニメ・マンガを生活の一部としている若年層の人々が、それを客観的に顧みるきっかけがわずかながらを登場したということで、この作品は重要なものとして位置付けられるのではないかと考えられるのである。
日本の伝統宗教が若年層へ継承・発展していくため、「萌え」と「煩悩」とは別のものであるというようなロジックを禅宗、いや日本仏教側から主張できるか、ということが今後の課題として重要になるのではないかと推測される。若い僧侶たちが美少女キャラについて語り合い、キャラグッズを集め、あるいは萌え絵師として活動し、痛車を乗り回す、ということが自然に受け入れられる社会の実現というものも、日本的宗教の今後の発展につながるのではないかと密かに考える次第である。
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# by konlon | 2010-02-05 02:08 | マンガ