パーソナル文化研究所・空琉館の情報誌的ウエブログです。


by konlon
記憶のはるか深層に眠る、埋もれた「迷曲」を照らす試みとして、「迷曲セレクション」のパーソナル・オムニバスの構想を立ててみた。何分”迷”曲というだけに流通の少ないCDからの選曲になっていることをご了承願いたい。どこかで聴く機会があったときに、こんな曲だったのかと思い出す参考にでもしてほしい。


 1 旧約聖書/アダムス
 2 昭和二世/ザ・イーグルス
 3 青春ゴーゴー/ザ・イーグルス (口上:松島みどり)
 4 たにしどの/大場いたる
 5 俺は花の演歌歌手(どさまわり)/鹿村浩司
 6 アメニモマケズ/サラ&メロディ
 7 蒸気機関車/金玉(こんぎょく)
 8 アトムの夢/高野寛
 9 NIPPONのサザエさん/嘉門達夫
10 ぽってーかすじじぃの唄/ティダカンパニー
11 子持ギャル/ティダカンパニー
12 パパはメキシコ人/神谷勝也、ドン・神谷
13 勇気のしるし~リゲインのテーマ/牛若丸三郎太
14 カローラⅡにのって/小沢健二
15 天国からのお迎え/スカイ・ホークス
16 ガオー!はキングコングの合い言葉/子門真人
17 ペチャパイ/ブリーフ&トランクス
18 ブルマン/ブリーフ&トランクス
19 ナチュラル~別バージョン/三倉茉奈、三倉佳奈、菊池麻衣子、岩崎ひろみ 
20 もしも世界にタヌキがいたら/ユミ
 


1:オープニングとして、カルトGSの中でも荘厳さにあふれた本曲を使用してみた。
2・3:イーグルスのデビュー・シングル(1968)。当時のアングラブームに便乗して、早回しを導入している。'60年代後半の世相が歌詞に織り込まれており、”あの当時”の空気が曲中に再現されている。
4:大場いたるは、1945年生まれで、1969年のデビュー以来、民謡歌手として活動を続けているという。俗謡を元にして、タニシの夢想漂う過酷な運命というべき内容の歌詞をざらついた、土着的なビートに乗せて歌い上げている。これが日本庶民のグルーヴというものなのか。
5:BC級演歌歌手の実態を歌っており、ドサ回り興行やインディーズレコード持ち込みといった華々しくない活動の数々、一発当ててディレクターを見返してやると意気込む主人公や肩身の狭い状態を嘆いて来年の紅白をねらってという娘の台詞に、痛切な歌手の本音が感じられるようである。本当に芸能界で成功する確率というのは恐ろしく低いのだろうか。スターの条件とはルックスか?歌唱力か?演技力か?あるいはロバート・クローズ監督版の『死亡遊戯』(ブルース・リーの登場しないパートで)の地下で暗躍する芸能シンジケートのような、(汗)何か見えざる手によるもの仕業なのか。
6:サラ&メロディは、アメリカ人の父と日本人の母をもつサハラ文子フィゲラとポルトガル系アメリカ人の父と日本人の母をもつスー・メロディのデュオ。ファンクで歌う宮沢賢治の名詞は、文学を超えた異様なまでの魅力を放っている。
7:金の玉、と書いて“こんぎょく”と読む。”××たま”ではない。このコンビ名にして曲名が「蒸気機関車」、男の中にある”何か”を刺激させてくれるぜ。
8:『虹の都へ』がヒットする以前のアルバムに収録された、確かな光を放つ実力派ギタリスト/ミュージシャンの社会派ソング。核問題を朗らかに唄い上げ、あの名ロボットが原子力で動いていたという設定を改めて聴く人の意識に戻す。背筋に何かを感じて…。
9:’90年代初頭の名著『磯野家の謎』のあおりを受けて生まれたであろう曲。『サザエさん』に関する話題をギャグ化しているが、その裏に込められた『サザエさん』へのリスペクトが感じられ、嫌味を残さない。あの名著をいち早く曲に取り入れた嘉門達夫の着眼点とセンスはさすがと言いたくなるような逸品といえよう。曲中には名著『磯野家の謎』のデータがアニメ版のデータに混じって使用されている。
10:沖縄のローカル番組『じゃか2ALIVE』(2は二乗の意味)の中で、その制作過程が紹介されたという。しかし地元のそうした事情は知らなくても、沖縄生まれのコミカルソングとして充分楽しめる。
「ぽってかすー」:直訳は難しいが、沖縄方言で「頭が弱い、知恵が足りない、非常識な奴、」をさすが、同じ”fool”の意で使われる「ふりむん」が「馬鹿たれ」のニュアンスを持つのに対して、「ぽってかすー」は「おばか」程度の意味合いである。なお、歌詞中に出てくる「カジマヤー」は沖縄地域における、97歳の長寿祝いのことである。さすが長寿の島。
11:沖縄民謡風サウンドに、育児エッセイマンガのような内容の歌詞を組み合わせた本曲は、聴く者の心を日常の狭間から出現する不思議空間へ誘い込む。ちなみに本曲でただ今一児の母と歌った、ボーカル担当のYukkoは現在三児の母になってしまった。
12:短足肥満で陽気、ギターを抱えて歌い踊る我が家のパパをメキシコ人に例えて、ラテン風音楽に乗せて紹介。子供の純朴な観察眼がメキシコへの憧れを駆り立て、ソンブレロの先に見える空に、はるか彼方の異国を想う。  
13:50万枚のセールスを記録したドリンク剤のCMソングであり、CMに出演した時任三郎が「牛若丸三郎太」の名で歌っている。発表からすでに10年以上経過したが、この10年で世の中は激変し、人々は戦意高揚的なものより癒し系の楽曲をCMソングに求めるようになった。そういう意味で、この曲は発表された当時の”時代”を保存しているといえよう。
この当時24時間、はるか世界で”戦える”存在といえば、ジャパニース・ビジネスマンとアメ   リカ合衆国陸・海・空・海兵隊4軍ぐらいだったのかもしれない。
ちなみに”牛若丸”三郎太こと時任三郎は、その後1993年のNHK大河ドラマ『炎立つ』にて、弁慶の役を演じ、またコミックソング的イメージを持った「マツケンサンバⅡ」が近年大ヒットした松平健が2005年大河ドラマの『義経』で弁慶役を演じたことは、今思うと時代の皮肉と奇妙な運命を感じさせる。
14:佐藤雅彦・内野真澄作詞、内野真澄作曲といえば、1999年の春期ヒット曲『だんご3兄弟』を連想させる。本曲が発表された当時、一串三個の団子を食べながらカローラⅡに乗っていてもそこまでは予測できなかったであろう。
15:『帰って来たヨッパライ』のアンサー・ソング。間奏のせりふは高橋元太郎。脱力モノの最低アイテムとか、生殺しC調ソング(死語?)とかいう声も聞かれる。バンド名の「スカイ・ホークス」になぜ「スカイ」が付くのかは謎。スカイホークといえば、映画『トップガン』で教官の飛行機として登場した、軽ジェット攻撃機の傑作、ダグラスA-4スカイホーク艦上攻撃機が連想されるが。
16:1976年のリメイク版キングコングの公開にあわせて『おはよう!こどもショー』枠内で発表
された。キングコングの日本旅行をイメージさせる歌詞で、子門真人の歌唱もノリに乗ってタイアップにとどまらない大胆不敵さを放っている。手狭な太平洋のプールから東京タワーのすべり台、相撲取り顔負けのしこを踏み、富士山を枕に高いびきと豪快な日本旅行を満喫するするコングの姿にただ圧倒。でっかい事はやっぱりいいのだ。恥ずかしがらずにみんなで歌おう!?
16・17:ブリーフ&トランクスは、伊藤多賀之(Vo、G)、細根 誠(Vo)のデュオ。1993年結成。半径5メートルの日常を歌う独自のスタイルで音楽界に新風を巻き込む。あまりにもストレートな歌詞は、恥ずかしさに満ちた遠き過去の記憶を脳神経の書庫から呼び覚まし、人々の意識を過去から喜劇の世界へと運び去る。
19:NOKKOが歌うNHKテレビ小説の傑作『ふたりっ子』の主題歌を、主演のヒロイン達がカバーした芸能史に残る名(迷)曲。三倉姉妹による間奏のセリフは、ドラマ序盤のエピソード・”姉妹入れ替り”場面の時のものだ。これはまさに貴重な一曲といえるであろう。
20:秘蔵迷曲セレクションのラストは、TV番組『なるほど!ザ・ワールド』純正のエンディングテーマで締め括ってみた。無邪気に歌われるあまりにもワンパターンな内容のお国柄(日本人の大衆的な観念で見た所の)は、ある種の笑いを越えた何かを感じさせる。また”赤い”タヌキ(緑ではない)のソビエトなど今となっては時代を実感させる歌詞が歴史的重み(?)を醸し出す。
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# by konlon | 2005-10-11 15:34 | 音楽

マンガトラウマ?

 高田明典氏著の『アニメの醒めない魔法』では、心理学と構造主義の方法論で幼・少年向けTV番組作品に込められた暗喩とそれが視聴者に及ぼす影響を指摘し、アニメ・特撮作品の存在意味を考えさせてくれる。また、表紙カバーは「ドラえもん」の顔アップを思わせるデザインの上に縦書きのタイトルが、ドラえもんの目へと向かって、左端から右斜め下へと順に文字を小さく表示し、副題を目の内側に配置して、アニメ作品のもつ"魔法"が人々の深層意識下にもぐりこんでいくかのような印象を与え、心理学を駆使した本書のイメージ強調されている。(カバー下の表紙は、ピンク地に美少女戦士キャラクター風の目が描かれている。)本書の主題を心理学的に補強主張するかのような表紙であり、書籍全体をもって一つの"著作物"であることを感じさせる。
 さて、『アニメの醒めない魔法』で主張される、TV番組の暗喩は番組だけでなくマンガ作品にも当てはまる所があるように思われる。アニメや特撮作品が人気マンガを原作にしているものが多く、『ドラえもん』のようにマンガの内容がそのままアニメ番組で再現される場合もあれば、『巨人の星』にみられる様に、キャラクターの心理描写が動画の映像表現によってマンガ作品よりも過剰に強調され、マンガ以上に受け手の深層心理に強烈に働きかけることもあるが、両者の関係は親戚のような関係となっている。「アニメ」の醒めない魔法は「マンガ」の醒めない魔法でもあるといえる。『アニメの醒めない魔法』で紹介された心理学/構造主義による作品の分析方法は、マンガ作品でも応用が可能になるだろう。本書はマンガ作品研究やマンガ作品の読者に与える影響を考察するための方法論に一つの指針となるであろう。
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# by konlon | 2005-10-02 22:09 | マンガ
 思想、思考、行動原理といった人の精神構成は,幼少期の経験が最も大きく関るとされる。'60年代以降に幼少期を過ごした世代には、TV番組の視聴経験が大きな割合を占めているようであるが高田明典氏の『アニメの醒めない魔法』は、'60年代から'90年代初めのアニメや特撮の人気作品を、心理学と構造主義の手法によって分析して、主に本放送時に視聴した人々に及ぼす影響を考察している。あらゆる読者層を意識した内容であるからか、少女ものに関する項目も充実しているが、巻末のあとがきによると、筆者の嗜好によるらしいところも見られ、この点はアニメ・マンガファンが思わずニヤリとなりそう。
 さて、本書によると、等身大変身ヒーローものでは、敵の組織は大人社会の暗喩であり、主人公の「変身」は大人社会に対抗するための、一時的な大人への「変身」であるととらえている。また悪の組織によって改造された主人公は、子供を助ける「良い大人」であり、そしてその深層には、子供の大人社会への反抗がみられるのだと考えている。『ドラえもん』では、ドラえもんは超越者、ひみつ道具は欲望を実現する科学の象徴であり、それを独占して問題解決を図るのび太は科学にひいきされる存在であるが、のび太は弱者であり、科学からのしっぺ返しにより戒められるため、ドラえもんの、のび太へのひいきは許されるのであると述べられている。娯楽作品には視聴者への禁忌と欲望の喚起と解消がその中に組み込まれ、視聴者にとっての現実での問題解決のヒントを彼らに示す。それが作品に人気を呼ぶのであると筆者はいう。だが作品の深層において引き出された禁忌と欲望、その解消は視聴者(特に幼少の)が無意識にしかも強烈に受けた影響は彼らの思考や行動を歪ませるのであるという。高田氏はその思考や行動を象徴的に「アニメトラウマ」と命名し、世代間の問題を解き明かす上での一要素として考えている。『ドラえもん』を観た者は、自分が選ばれた存在であると考えたりするような可能性があるというのである。筆者は娯楽作品中で引き出された禁忌の欲望を処理するための、虚構世界と現実世界との接点として、最終回が重要であると指摘している。虚構が虚構として完結し、「夢から醒めた」状況がなければ子供の心が歪み、好ましからぬアニメトラウマを助長させてしまうと筆者は考えている。アニメ(実写ドラマ)作品は「しっかりした最終回」をもつべきであり、視聴者に”醒めない”夢を見続けさせる魔法であってはならないと主張する本書は、娯楽作品が子供達の人気を呼んだ秘密を、心理学と構造主義の方法論を応用して解き明かし、必要な専門語の解説を交えながら、敬体で肩肘張らないような口語的な文体で書かれ、アニメ・マンガファンの好奇心を引き付けるだけでなく、教育関係者やアニメ製作者に向かって、子供たちの心に育まれた禁忌の欲望の解消をTV番組に求めている事実を認識させ、子供たちに感動を与え、悪影響を与えないような傑作を作って欲しいという願いが込められているように感じられる。初版から約10年経つが、口語長の文体や最終回の重要性を主張する点に個性がみられ、創作作品の解説書としては傑作の一つに数えられるのではないかと思われる。

君のアニメトラウマはどの作品から?

作品:『アニメの醒めない魔法』 高田明典 1995年、PHP研究所
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# by konlon | 2005-09-26 00:21 | マンガ
1995年前半は、阪神・淡路大震災から始まり、東京都地下鉄サリン事件とそれに続く形で展開したオウム真理教関連事件が報道され、人々を不安な心理にさせる事件が続いた。そんな状況下での6月、竹書房発行の4コマ&ショート作品系の雑誌『まんがくらぶ』において、ファンタジー・マンガ作家の須藤真澄作によるショートストーリー「ごきんじょ冒険隊」の連載が始まった(~'96年8月まで。全14話)。主人公の少女「まな」が自分の住んでいる町の中で体験する、不思議な出来事を優しく穏やかに、時に軽い笑いを交えながら描いたファンタジー作品であった。日常に出現する不思議だが心を和ませてくれるような優しさを持った非日常を子供の視点からとらえたこの作品は、'95年前半の暗く不安な雰囲気を和らげてくれるような作品であった。また、この「ごきんじょ冒険隊」は須藤真澄デザインのキャラクターを使った、パイオニアLDC製作のスーパーファミコン用ソフト発売とのタイアップ企画でもあった。SFCゲームの『ごきんじょ』は、猫の「ゆず」を連れた主人公のまな(幼稚園児)が、偶然出会った神様から町の平和を守ってほしいと頼まれ(*1)、お友達と「ごきんじょ冒険隊」を結成し、町を脅かす敵と戦う、という内容であった。ゲームはロールプレイング・ゲーム形式であるが、主人公を始めとする主要キャラを幼稚園児に設定して、彼女ら主人公チームのキャラクターを幼稚園での、月曜から土曜までの授業で(*2)育成することで、戦闘による"経験値"に頼らない、キャラの能力向上を実現している。それにより日曜日の冒険パートに入る前に、キャラクターの基本能力を半ば任意に設定する、セット・アップ的な効果も与えている。ゲームの冒険パートは、糸井重里プロデュースの『MOTHER』/『MOTHER2』のゲームシステムを参考にしているが、『MOTHER』シリーズの'50年代アメリカをイメージした世界観に対して'70~'80年代の日本小都市をモチーフにすることで、日常の中の非日常の世界にある種の土着感を付加することに成功している。冒険隊のメンバーとなる、柔道家の娘、お金持ち、天才少女、太っちょの泣き虫の愉快で個性豊かな面々や、敵キャラである、ワタベグループ総裁の娘で、意地悪な性格の「ななこ」が率いる「ななこ親衛隊」、「ななこメカ」といったキャラクター達が、主人公の住む町を舞台に所狭しと活躍し、やがて物語は冒険隊vsななこの対決から真の敵となる「悪意」の出現とその撃退へと移行していく。共通の敵である「悪意」の存在に気付き、町の人々を脅かすその「悪意」を打倒するため、ななこは改心し、冒険隊と行動を共にする。そして、主人公チームは最終目標となる「悪意」の本体との対決に向かう…。ゲーム画面のデザインは、ギャグマンガで見られるような絵柄でありながら、何か優しさのある、暖かな感じのする絵で描かれていて、日常に潜む冒険という、作品のテーマを引き立てていた。必要最小限で描かれたグラフィックの絵柄には、プレイヤー各自が自身の手によって、ソフト中の足りないと感じる所をプレイヤー自身の想像で補完する余地があり、その想像もプレイヤーの楽しみであった。また、物語は4月から始まり、全ての事件が解決した9月に終了するが(容量の関係もあったのであろうが)、それにより物語にゲームとしての軽い緊張感と緊迫感が与えられ、引き締まった展開になっている。『まんくら』連載版「ごきんじょ」は、須藤ならではの、優しさのあるタッチで描かれた、ギャグコメディーという感じであったが、そこには悪役との戦いは見られない(*3)。外の世界に抵抗を感じる主人公のまなは、自宅の玄関に現れた謎の回覧板に誘われて、飼い猫のゆずとともに町内を探索する。町内での不思議な体験を通じて、友達を作り、外の世界と触れ合っていく。主人公を町内の冒険に駆り立て、町の人々と触れ合っていくための鍵となる小道具として、回覧板を設定している所が面白い。町という住人たちの共同体において、住人間の交流関係をつなぎ合わせる役割を持つ回覧板は、「ごきんじょ」を象徴するものであり、まなの"友達探しの冒険"を体現するには最適の小道具であったといえるであろう。最終回でまなは回覧板と共に突然現れた子供にこれまで冒険した町を見せる。そして、最後に子供は回覧板を持ってまなの母親の胎内に入っていった。新たな家族としての兄弟/姉妹の誕生への期待を見せながら物語は幕を閉じる。回覧板による「ごきんじょ」冒険の終着点がまなの母親であったことは、人々の交流の原点が"家族"である事を再認識させてくれる。
「ごきんじょ」の単行本はゲームソフトとのタイアップ企画であったため、単行本化は難しいと思われたが、全一巻の単行本が97年6月下旬に竹書房より発売された。『ごきんじょ』単行本ではゲーム版の内容解説やマンガ版とゲーム版との違い等、ゲームソフトと関連した情報が巻末に発表された。(*4)『ごきんじょ』は、ゲーム版が同時期にリリースされた他ソフトと比べて、普及数は少数であり、単行本発売時には既に入手難になりつつあったにもかかわらず、巻末で紹介した事は、ゲーム版製作スタッフに対する敬意の表れであろう。また、ゲーム先行企画である事から来る、権利関係などの事項を解決処理して、単行本化してくれた竹書房の功績も評価されるべきであろう。単なるタイアップ企画として終わらせずに、マンガ作品とスーパーファミコンのゲームソフト作品との、互いの立場を尊重しながらも、須藤真澄の作品としての位置づけを重視してまとめられた、単行本の構成や意匠には、ファンを大切にする竹書房スタッフの思いが込められているように感じられる。これからも作家やその作品、読者を大切にした単行本を作っていただきたいものである。

                                                (文中敬称略)
      
作品:『ごきんじょ冒険隊』 1997年7月、竹書房


*1:RPG版のストーリー構成は、RPG版を監督した黒田洋介の手による。また、実際のゲーム上では、神様が主人公に町を守れと命じているような台詞は見られない。

*2:例えば「たいそう」を学習すると攻撃力のパラメータが、「おはなし」では知能のパラメータが上昇する。これらの組み合わせによって攻撃重視の実力行使型や説得による交渉型など、RPGパートにおける、戦闘での戦闘スタイルをキャラクターごとに設定することが可能である。

*3:作品終盤近くの12話で意地悪娘として、ななこ登場のエピソードがみられるが、ななこは次の回で改心する。まなの母が、今は亡きななこの母と同じ容姿であることに気付き、生き別れの姉妹であると亡妻/母を慕う渡部とななこに吹き込んだという展開になっている。

*4:単行本巻末のゲーム紹介の記事には、『まんくら』版のセルフ・パロディともいうべき、須藤自身によるマンガ形式でのゲーム版ストーリー紹介や、新聞記事形式での解説など、お遊びの部分が含まれているが、ゲーム版についての大体の情報を伝えている。『ごきんじょ』のゲームがあまり出回っていなかった事も関わっているのかもしれないが、マンガ版とゲーム版との関係を巻末で紹介した点は特筆すべきであろう。

追記:
 この『ごきんじょ』ではOPテーマのイメージ曲として、インボイスの「幸福が…」(シングル&アルバム『サイクルズ・オブ・ヒストリー』収録)を、EDテーマは高野寛の「Sunny Day Weekend」(アルバム『レイン・オア・シャイン』収録)を選曲してみた。 OPはこれから始まる冒険のワクワク感を感じさせる曲として、EDは冒険の後の爽やかさをイメージしている。
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# by konlon | 2005-09-17 23:56 | マンガ