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by konlon

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『パンダラブー』

『パンダラブー』 ―知られざる不思議世界―
            ●空・ドラ

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 ○パンダラブーとは
 松本正彦作の『パンダラブー』は、1972年より始まった第一次パンダブームに便乗する形で、1973年4月に貸本系のひばり書房から発行された全一巻の描き下ろしマンガ単行本である。ブタ状の鼻を持ち、二足歩行して関西弁を話すパンダ形生き物の「パンダラブー」が街中で騒ぎを起こすという内容のギャグ作品である。作者の松本正彦は、50年代の貸本マンガ誌『影』をはじめとする貸本マンガ界で活躍していた作家で、劇画グループ「劇画工房」にて辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを達と並ぶ人気作家であった。松本は作家自身の内的な時間を、音とテンポを感じさせるコマの運びで表現する方法を開発し、その方法論を、「駒画」という名で提唱した。同時期に提唱された辰巳ヨシヒロの「劇画」との対立、そして統合から「駒画」という語は姿を消したが、作家たちの方向性の違いにより、「劇画工房」は消滅することとなった。その後、マンガ界のメディア媒体が、貸本から週間マンガ誌に移行していった60年代後半になると、松本は、「ヘソゴマくん」等のギャグものやアダルトものも手がけるようになり、その中で『パンダラブー』が生み出されることとなる。『パンダラブー』(以後『パンダラ』)は、73年当時には衰退していた貸本系出版社からの出版物だったため、発行部数は少数で、ヒットには至らなかった。しかし1990年代初頭になって、大西祥平が単行本を古書店で発見し、作品の新たな面白さを感じた彼によって紹介されると、『パンダラ』に対する関心は貸本・劇画を知らない若年層の間で高まり、2000年には私家版の復刻版が発行され、2001年の『VOWでんがな』(宝島社)での1エピソード掲載を経て、2002年に松本正彦自身による”新作”を追加した、復刻単行本が青林工藝舎より発売された。

○謎の不思議世界
『パンダラ』本編は、何の前触れもなく、町を歩いている場面のコマから始まり、その後のストーリー展開の中で素性が判明することなく、「ケータ」少年や少女「ルミ子」や「ブス子」、ケータたちの通う学校の先生である、「スキ田先生」や「大口カバ子先生」、そして赤塚不二夫マンガに登場する目玉つながりの警官を思わせる「本官さん」などといった町の人々とからんで、さまざまな騒動を引き起こす。ケータのガールフレンド・ルミ子の誕生パーティーに強引に参加したり、人の役に立とうと思い立って、勝手に工事現場を畑にしたりする等、ストーリーには仕掛けも緊張感もなく、登場キャラクター達は謎だらけのまま、各自の感情の赴くままにストーリーを展開させる。復刻版単行本に所収されている、大西祥平の解説にあるように、『パンダラ』の作品世界は、彼らの登場理由や目的、状況説明もなく、存在意味すら不明であり、まさに不思議な不条理世界である。しかしながら、『パンダラ』は、その不条理さを読者に考えさせる隙を与えず、読者を得体の知れない、浮遊感に満ちた異空間に誘っている。『パンダラ』の生み出す異空間は、まとまりのつかない、不安定な線で描かれたキャラクター達が各自の感情のままに行動している所から生み出されているのだろう。加えて、クォータービュー(斜め角度の視点から見た景色)を多用して描かれた作品発表時の街頭イメージである、'60年代~'70年代の街を描いた背景も、浮遊感漂う異空間を演出している。『パンダラ』の面白さは、その異空間が、読者にマンガという読み物を「感じる」楽しみを
存分に味わせてくれるからではないかと思われる。(*2)パンダラを初めとする各キャラクター達が、自身の感情をありのままに表に出している所に『パンダラ』というマンガの最大の面白さが秘められているのであろう。例えば、パンダラが、道に落ちている100円玉を見て、飛び上がって喜ぶ様子などは、今のマンガでは見られないストレートな感情表現で、非常に印象的な場面である。それにしても、復刻版で”新作”が登場するとは予想もしてみなかったことであった。作品の雰囲気が、オリジナル版そのままで、30数年の時間を感じさせない所がちょっとした驚きであった。(これが松本の最末期のマンガ作品となり、一種の記念碑的存在となったことは、実に印象深い。)

○意識下の確かな技術が呼ぶ感覚
 『パンダラ』は、作者の松本正彦自身あまり覚えがなかった、と述べている。注文に応じて、不慣れなギャグマンガを描いた、やけくそ気味の、やっつけ仕事的作品であったというのである。その点から大西は、『パンダラ』の核心は「自意識」の無さにあると指摘した。市場に出回っているマンガには、作者及び編集者の意図が自意識として反映されるが、『パンダラ』は実力派といわれている作家のやっつけ仕事であり、作品が打ちっ放し的な出版であったため、キャラクター描写や背景描写などで構築されるマンガのデザインに、作者の潜在的なデザイン感覚が無意識に反映され、作品から作者及び編集者の意図が見られなくなっているのである。その結果、作中のキャラクターたちが製作者の意図から開放され、自意識を失うことになった。それが『パンダラ』の面白さであると大西は主張した。その点からみて、『パンダラ』の異世界は、貸本劇画で培った確かな技術が、作者にとって不本意ともいえる注文を受けても、なんとか形にしてみせようとする、一種のプロ根性とでもいうべき作家の信条下において、無意識の画才が発揮された結果の産物であったといえるであろう。これが読者の心にマンガの持つ楽しさを”感じ”させてくれるのかもしれない。この『パンダラ』を見て、松本正彦先生とその作品について感心を持った方がもっと多く現れ、貸本劇画時代の主要作家である松本正彦の再評価がこれを機会に行われることを期待する次第である。




作品:『パンダラブー』  オリジナル版  1973年4月、ひばり書房
               復刻新版  2002年9月、青林工藝舎 


*1:
松本正彦の劇画工房参加に伴い、「駒画」の語は消えたが、「駒画」の概念は、劇画の構成要素として継続された。(復刻版『パンダラブー』所収・松本正彦先生インビュー)

*2:
『パンダラ』では、読者は作中の「謎」について考える余地がなく、作品の中に見られる「現象」のみに心を引かれたように思われる。読者に強烈な印象を与えるパワーのある絵を持った作品では、物語の「謎」というものは作品を読む楽しみを阻害するものではない事を『パンダラ』は示しているといえる。
                                   
             
                                   
                           (文中敬称略)

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                     2008.10.6 空・ドラ

              発行:空琉総合研究所 2008 禁無断転載
      
                   2008 kongdra/空琉総合研究所
 
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by konlon | 2008-10-07 00:48 | マンガ