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by konlon

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天国島より

 須藤真澄先生の最新刊・『庭先案内』第三巻と『どんぐりくん』四巻がいよいよこの10月最終週に発売されます。新刊発売記念として、須藤先生の初期ファンタジー短編集を紹介してきましたが、今回は『観光王国』、『子午線を歩く人』に続く初期短編集三部作の最後を飾る『天国島より』の紹介です。夢の世界に隠された、現実世界で生きる意味というものを読者にさりげなく示しているような、須藤先生の描く日常世界に一瞬入り込む幻想世界の姿が確立していく様子が初期のシリーズ終盤に位置するこの作品集から伺われるようで、興味深いです。
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 『天国島より』 ―永遠の時間―  by空ドラ

 『天国島より』は、1989年終わりから1991年初めにかけて『コミックボックス』などの雑誌に掲載されていた須藤真澄の短編作品をまとめた作品集で、『観光王国』(89年初版)、『子午線を歩く人』(90年初版)に続く短編集第三弾に当たる。特徴の一つとして、全二冊に比べて、後半には須藤の飼い猫である「ゆず」との生活をつづったマンガ作品が収録されており、後の『ゆず』シリーズ(93年以降)に代表される須藤流猫マンガの原型がそこに見られる点で興味深い作品集でもある。

○MUSEUM
 フルカラーの口絵。「天国島より」/「天国のつづき」の主人公、小桃(シャオタオ)が町で不思議な見世物を見る。それは万華鏡であった。フルカラーで万華鏡のイメージを色彩豊かに描き出されている。

○「天国島より」/「天国のつづき」
90年と91年にマンガ情報誌『コミックボックス』で発表された短編で、中国風デザインのキャラクターが登場するファンタジー作品である。主人公の小桃(シャオタオ)は、永遠の時を生きる人間と竜の住む島に住む少女で、15歳を迎えた時に「儀式」によって永遠の生命を得る予定であった。だが、姉に付き添って島で作った薬を島外の市場に卸しに行った時、町に心を惹かれ、市場で生活しようと決心した。小桃は限りある時間の枠にある、市場の人々が生き生きしていたことに驚嘆し、市場で暮らすことを決めたのである。限られた時間の中で命の密度を濃くできるのではないかと言う竜の言葉に共感した小桃は、時間の枠の中から大切に思う気持ちが天国であると思わしめた。そして、続編「天国のつづき」では、永遠の命をめぐる、島の住人と島外の人々との関係が描かれている。「つづき」では、人間は限りある時間の枠を、血族や大切に思う人たちとのつながりの中で重ねあって永遠の時間を紡ぎだしている事が主張されている。作者の感性が生かされた中国風デザインは東洋の神秘性にソフト感の加わった作品イメージを演出し、スクリーントーンに雲の形を切り抜いた空の表現は、"吸い込まれるような"空の広大さを感じさせ、作品の主題である「永遠というもの」を引き立てており、美麗で味わい深い作品となっている。

○「POSITIVE VIBRATION」
みずはとミカゲの双子の姉妹が主役で、お互い好きだと思う心を、みずはの「守る」行動と、ミカゲの「応援する」行動によって感じる「波」を、聴覚(ミカゲの応援を聴きながら行動)と視覚(みずはを見守り声をかける)で表現しており、姉妹の絆を耳と目のイメージで象徴した作品である。また、この姉妹の間で交わされる上方漫才を髣髴とさせる会話のやり取りは、後の『庭先案内』に登場する”関西姉妹”の原型がみられる様で興味深い。

○「コーヒー・カンタータ」
コーヒーをモチーフにして、人の一生と転生、夢の世界と現実世界との相互関係を描いている。コーヒーが好きだという須藤の感性が、画面の中からコーヒーの香りのように読者に伝わってくるようで面白い。

○「KNOCK!」
子供たちの間で死んだ生き物の「お墓」作りが流行しているという。その「お墓」から子供たちにだけ感じることのできる樹木が生えてくる。樹木が生えてくるとき、子供たちと建物が宙にジャンプし、着地する描写はまさに大地のノックであり、跳躍と着地には、重力の”重さ”を感じさせる描写である。

○「まばたきの祭典」
一千年に一度、全ての人が同時に瞬きするという。その時、人の核が空に開放される。開放された人の核が、空に舞い上がる様子は、透明感と浮遊感に満ちた、魂の世界を思わせる。

○「上方漫遊記」
 須藤の大阪旅行体験記。通天閣や当時開館間もない海遊館、黒門市場などの名所や、串カツ、ねぎ焼き、関東煮に入っている、”さえずり”という鯨の舌といった大阪特有の食べ物の話題がイラスト入りで紹介されている。須藤の目を通して描かれた大阪のイメージが印象深い。

○「ゆずの縄張(シマ)より」
89~91年間に、雑誌連載された、須藤真澄と飼い猫の「ゆず」との生活をコミカルにつづったエッセイ風作品をまとめ、単行本用に描き下ろしを加えたものであり、後の『ゆず』等に続く、猫マンガの作風を確立させた作品群だといえる。各エピソードからは、須藤とゆずとの「時間の枠」の重なりを感じさせてくれる。ゆずの描写について、初期では目が大きく、ひげの表現があったが、次第に小さな黒丸の目になり、ひげが省略されていくなどの、須藤の猫キャラクター作画パターンが確立するまでの過程がみられ、彼女の猫キャラクターデザインに対する試行錯誤を通して、須藤とゆずとの間で育まれていく、互いの愛情や絆が垣間見られ、心打たれるシリーズとなっている。

☆傷だらけの天使:本書初版発行当時の、ゆずの写真集(モノクロで掲載)
☆かいかいねこ・よわむしねこ:外から帰ってきたゆずが運んでくる蚤に、須藤は悩まされる。
☆はぢのうわぬり:須藤と『コミックボックス』担当(雑誌掲載当時)とのやりとり&ゆずが捕ってくる小動物について。「子午線を歩く人」の予告入り。
☆エリザベスさまの休日:ゆずの体に脂肪のおできが現れたため、入院・手術をすることに…。年末の仕事を終えて、安堵していた須藤に、ゆずの入院は非常に気がかりであった。手術後、ゆずは患部をなめないための器具・エリザベスカラーをつけて退院した。このとき、須藤にとっての心の休暇がやっと始まったのであった。ゆず不在に対する、須藤のショックと不安の描写が読者の心に響く。
☆改造計画:『コミックボックス』編集部は、作画ペースの遅い須藤の性根を叩きなおすため須藤家の環境を改造しようとするが、須藤は意外にも編集部の工作活動を巧みに(?)かわしてゆく。エッセイというよりは、作者自身を主人公にした、コメディ作品の色合いが強い。また、この回には、ファンタジー短編・「雪魚の棲処」の予告が入っていたが、単行本への収録は、2004年の『マヤ』まで待たねばならず、長い間幻の短編となっていた。
☆ジャイアントボロ:須藤の家に全身傷だらけのノラ猫が迷い込んできた。須藤はその猫 を”ボロ”と 呼ぶが、ボロは、勝手に家の中に入ってしまう。だが、ゆずが嫉妬してしまったので、須藤はボロを追い返さねばならなかった。
☆Home,Sweet Home:ある夜、ゆずが外出したまま帰ってこない。不安に駆られながら須藤は一夜を明かす。翌朝、須藤が目を覚ますと、家から追放したはずの、あの”ジャイアントボ ロ”の姿がいた。午後になって、右後足を負傷したゆずが戻ってきた。ゆず失踪の原因は、舞い戻ってきたボロとのケンカに負けて、家を追い出されたためであったのだろうと須藤は推測する。ゆずの傷はボロの持っていたであろう雑菌のため重く、一週間の入院が必要となった。須藤はボロの侵入を許したことを反省しつつ、ゆずに対する愛情を一層強めるのであった。

作品:『天国島より』 1992年2月、河出書房
      同新装版 1999年5月、河出書房

                                                 (文中敬称略)
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by konlon | 2007-10-28 23:36 | マンガ

子午線を歩く人

 今回は須藤真澄先生のファンタジー短編集第二弾・『子午線を歩く人』の紹介です。本書では、前書での主要なキャラクターであった少女や老人に加え、少年や医大生などのキャラクターも多く活躍し、また、明るく楽しい作品や物悲しい印象の作品、エッセイ風のページが収録され、作品集としてのバラエティ度が上がっています。その中でも、「月の赤ん坊」と「白い星 青い実」は、ともに”月”をモチーフに”死者の魂”を主題にした作品として、読み比べも味わえる、印象深い二作でしょう。
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『子午線を歩く人』 ―旅路の続き―   by空ドラ

 須藤真澄作品集『子午線を歩く人』は、前作品集『観光王国』に続く形で、1988年から1990年にかけて、マンガ情報誌『コミックボックス』中で「ピュア・ファンタジー・ゾーン」として掲載されていた読切短編を中心にまとめたファンタジー作品集である。本作品集は浜辺や公園、川岸の土手といった普段目にする場所で展開される幻想的な光景を主題として、日常世界に潜む異世界のイメージを可能な限りの表現方法で描き出している。

○「シオマネキ」
とある浜辺にポツンと一つ建っている、半球状の建物。そこはホテル・シオマネキと呼ばれ、満ち潮と共に流れ着いたもの達の一時(ひととき)の宿という。ある時、この浜辺に一人の老人が漂着してきた。彼はホテル・シオマネキから魂の旅路に出る―。この話では潮の流れに乗って死者の魂が流れ着くという事になっていて、その水中描写は後の『アクアリウム』へとつながっていく。また、この話が発表された時期が1989年であるところから、主役の老人が歴史上の著名な人物を想起させる。

○「天狗―あまつぎつね―」
少女は立ち入り禁止の山に足を踏み入れ、山の中で天狗に出会う。天狗は死者の魂を山の中心と思われる木の養分に変え、花を咲かせ、果実を実らせる。果実の中には勾玉形の種があり、天狗はその種「この世でいちばんいいもの」と呼ぶ。死者の魂の再生を、山と樹木のモチーフで描き、水のモチーフとは違う、須藤真澄のもう一つの死生観を見ることができる。

○「子午線を歩く人」
とある農村の学校に転校してきた少女柳原二三(ふみ)。彼女は環境学者の父と共に世界中を回っているという。二三は生徒達の残りご飯をもらって巨大オニギリを作り、「地球のツボ」を探り当て、そこにオニギリを入れた。彼女は地球の病気を治そうとしているのであった。二三の素性を明確にせず、二人の男子生徒の視点から物語を進行させることにより、二三のキャラクターに秘められた、地球と宇宙の持つ神秘性を読者に呼び起こさせている。

○「MOONY―月の赤ん坊―」
少女奏(カナ)は、友人を交通事故で失った事をきっかけに死者の魂について考えるようになる。姉のいさよに聞いても納得できる答えを得られず、友人との思い出が深い遠足の場所を訪れるが、「自分がいなくなる気持ち」を知ることはできなかった。月は問い続ける奏を見守るように子守歌を歌いかけてくる…。死者の魂についての素朴な疑問を全面的に扱った作品であり、作品全体に重くて物悲しい空気が感じられる。本作はマンガサークルが企画した、「自分の好きな中島みゆきの歌」のイメージマンガ集参加作品として製作された。

○「ビデオの喜び 1泊2日3なすび」
須藤真澄による、ビデオ化された映画作品の紹介で、文章とイラストが中心。紹介作品は、『山田村ワルツ』、『エレクトリック・ドリーム』、『ヒッチャー』、『マイク・ザ・ウィザード』、『エル・スール』、『バンドワゴン』(ヴィンセント・ミネリ監督、フレッド・アステア主演の作品)の6作品。コメディあり、サスペンスあり、芸術的作品ありで、ファンタジー作家・須藤真澄の、(80年代当時の)映画に対する多様な関心を伺うことができ、興味深い記事である。

○「カプセル」
魚の視線から見た海底基地(?)の短編(2P)。「そら」と読む「海面」という単語に、異界としての水中を意識させられる。

○「陽がまた昇ってしまった」
須藤の飼い猫ゆずとの生活をつづったエッセイマンガで、これが後の「ゆずの縄張より」シリーズを経て(『天国島より』収録)、『ゆず』シリーズへと発展していく。後の”ゆず”系作品と比べて、ややぎこちない物語展開と、リアルな猫の姿を残した絵には、”ゆず”に対する愛情を精一杯伝えようとする、作者の試行錯誤が伺われる。

○「ピュアファンタジーの小部屋」
須藤真澄の好きなネパール、レゲエ、ミュージシャンのユッスー・ンドゥール、水族館、酒類についての紹介。(文章、イラスト)

○「アキラちゃんバトルスモーク」
医大生の青年アキラは、禁煙のため、友人の体育大生である、ゲンのアパートに泊まる。アキラは、禁煙による禁断症状によって、幻覚を見る。その幻覚はゲンの部屋にあった雑誌のモデル嬢の影響で、モデル嬢のイメージを投影していた。幻覚のイメージ描写はモデル嬢の姿とパフォーマンスが中心で、「アスパラガス・ハイ」のトリップ幻覚とは違ったコミカルな描写である。幻覚に指導されたためか、アキラは禁断症状の克服を成し遂げて、自宅に帰ってゆく。ゲンの部屋で宿泊する、ひ弱なアキラと強健なゲンとの対比が面白く、作品にリズム感を与えている。ちなみに、アキラの目の表現は、作者である須藤の自画像の目と同じサクランボ型のデザインであるが、作者自身の経験が形を変えて描かれているのかもしれない。

○「OASIS」
鳩の害をきっかけにして始まる、土地とそこに住んできた生命との関わりを描いた物語。新築のおしゃれな家を鳩に害された男はやってくる鳩の頭を刈り取って制裁を加えていた。近所に住む少年は男を問いただすために、男の家を訪ねる。家の屋根は鳩の家でもあり、鳩など気にしていないと言う少年に対し、男は自分の家を守って何が悪いのかと答える。人生をかけてようやく手に入れた土地と家を鳩の糞で汚されたくないのだ。その時、轟音とともに男の家は地中に陥没した。陥没した穴で主人公の少年が見た古代生物の姿は、太古より現代に至る、その地に住んでいた生物たちの存在していた証明であった。土の映し出す古代生物達の映像は、その土地に宿る記憶として、太古よりの生命の流れを感じさせてくれる。生命との関りを持たない、単なる物体としての土地に固執したために、古代生物が化石にしか見えなかった登場人物の男の哀れさも印象に残る。
ちなみに、本作のコマの中に、作者の須藤真澄と飼い猫の「ゆず」の姿が確認され、ストーリー中ではゆずの頭も男によって刈り取られてしまう。

○「これから生まれる竜の話」
増尾課長は部下に誘われ、とある作業場に行く。そこは、未確認生物の製造場であった。課長はネッシーの製作現場に案内され、課長が製作に参加しているのだと部下から告げられる。ネッシーの手触りを確認した直後、課長は夢から醒める。課長の机には”魚竜”(正確には首長竜。ネッシーのモデルとされる古代生物。)のジグソーパズルが作りかけで放置されていた。課長はパズルを作っている途中で眠ってしまい、製作中の魚竜のイメージとなって、彼の夢に投影されたであった。架空生物の存在意味と人間の夢の世界をテーマにした作品であり、ネッシーなど、未知の生物を製作する作業員たちが、巨大な骨格に表皮を貼り付ける作業シーンは、原寸大の模型を制作しているような感覚で描かれ、その手作り感はユーモラスである。

○「白い星 青い実」
人間の脳は全体の一割しか使われていないと言う。残りの部分は何のために使われるのか?本作はこの問いに対して、死者の魂と月の実体を通して、アプローチを試みている。本作では人間の脳は月を動かすためであるといい、月の実体はもう一つの地球のような、青い球体であると述べられている。主人公の少女は、亡き両親の魂がこの球体に宿っているのだと思った。人間の未知の能力を、死者の魂、月、海、魚のモチーフを用いて、モノクロ画面に色彩があるかのように表現している。
同じ月をモチーフにした、「月の赤ん坊」に比べて物悲しさは薄く、現実に向き合って生きて行こうする、前向きな雰囲気が漂っている点も興味を引かれる作品である。

○「このはなさくや」
桜の花と老女を主要モチーフにした、優しさにあふれた作品。画面から桜の花びらの淡い色彩と、その香りが伝わってくるような印象を受ける。須藤真澄の得意(?)とする、バリエーション豊かな老人描写も充分に味わえる傑作でもある!?

○「今宵楽しや」
雪の日の酒屋で、酒屋の老主人は、孫の真澄と”座敷わらし”呼び寄せようと、客を集めて雪見酒をする。老主人と真澄の楽しそうな表情が印象に残り、雪景色と酒屋との対比により、作中に伝わる、酒屋の暖かい空気と外の冷えた空気の感覚が作品の味わいを深めている。


『子午線を歩く人』   1990年9月、偕成社
        新版   1999年9月、エンターブレイン(旧アスペクト) 

                                                
(文中敬称略)
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by konlon | 2007-10-25 20:45 | マンガ

『観光王国』 

アップがかなり遅れてしまいましたが、『庭先案内』第三巻発売を前に、須藤真澄先生の短編ファンタジーを振り返って、『庭先案内』シリーズ以前の短編集を取り上げてみます。今回は須藤先生初のファンタジー短編集『観光王国』です。

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『観光王国』 ―幻想世界の旅路―   by空ドラ

須藤真澄の作品集『観光王国』は、1988年から1989年にかけて、マンガ・アニメーション情報誌『コミックボックス』に「ピュア・ファンタジー・ゾーン」として掲載されていた読切短編を中心にしたファンタジー作品集である。浜辺や公園、川岸の土手といった普段目にする場所で展開される幻想的な光景を主題として、日常世界に潜む異世界のイメージを作者の感性で捉えられる上で可能な限りの表現方法を駆使して描き出している。


○「観光王国」
旅する男が宿に戻る途中で出会った少女は、魚を集め、集められた魚は少女によって血を絞られる。その血は型に注がれて魚型の塊になる。そしてそれらは生きた魚の餌になる。命の循環というようなものを、魚のモチーフを用い、夜の異国風町並みの中でひっそりと描いたこの短編は、この短編集のオープニングを飾るにふさわしい作品といえる。

○「明けの気配」
絶滅動物の最後の一匹には、「生」への念によるエネルギーが発生するという。彼らの念は神によって集められ、生命として再生されるのであろうか。この話では神による世界の終わりと再生がもの静かに進行している。世界の終わりというものは地味に、気が付かないままやってくるのであろうか?事実を知った者を手元に呼んで救えなかった神の悲しげな表情が印象に残る。

○「いざや、波」
妹は浜辺で亡くなった兄を思い続けている。妹は鳥のような形をした深海魚に、海底の空を感じ、兄の眠る魂の安らぎの場を見出したのだろうか。そして浜辺が失われ、海と陸との間に”結界”が生じる時、妹も海底に消えていく…。兄の名は凪、妹の名はナミ。失われていくものを主題にした、”せつなさ”が漂ってくるような作品である。浜辺に浮かぶゴミの表現が、汚(けが)れ行く浜辺の姿に奇妙なほどのリアリティを感じさせ、”せつなさ”を強調させている。新版のカバーイラストは、「いざや、波」のナミと浜辺が、水彩で描かれている。青系統でまとめられた絵は、どこか悲しげな表情を浮かべ、作品の持つ”せつなさ”を無言で物語っているようである。

○「少年王に白い雲」
父親は四日間の休暇を利用して、部屋に土を敷き詰め、少年時代の遊びを再現した。彼は娘と彼女の友だちを呼び、共に楽しむ。父親も少年時代の”てっちゃん”として遊びの輪に加わるのであった。四日の間、てっちゃんの思い出を子供たちと共有した後、彼は父親として、日常に戻っていく…。講談社アフタヌーン誌編集部主催の新人コンテストである、アフタヌーン四季賞・1988年秋のコンテスト応募作品として製作された作品。アフタヌーンの誌風に合わせたためか、須藤の短編系作品にしては珍しく、超自然的な現象が登場しない”現実的”な作品であるが、物語の中に感じられる暖かさと爽やかさは実際に実現可能な、居間に作った地面を、非現実的な幻想世界へアクセスさせ、児童文学的なファンタジー空間を成立させている。。
(初出:『アフタヌーン』1989年1月号掲載)

○「ヒナタボッカー」
謎の男は壺に太陽の暖かさを集めて花を咲かせる。太陽光線の、ぽかぽかとした暖かさの表現と、昼と夜との対比、台詞なしの絵だけで進行する物語は、不思議な世界を形作っている。

○「THE ANT-アリおばさんの恐怖」
絵の具を洗った水を浴びて人間大に巨大化したアリが主役の話。巨大化したアリおばさんは、地面がよく見えず、仲間のアリを踏みつけてしまうか分からない。「アリおばさんの恐怖」は、恐怖と苦悩にとらわれたおばさんの「恐怖」なのである。

○「アスパラガス・ハイ」
木の葉を食べ、脳内麻薬とされる物体を、頭から出すことのできる男の苦悩を描いた三回連続作品。最大の見所は、男の頭からの分泌物による幻覚の描写であろう。水中を思わせる浮遊感に加え、モノクロ画面でありながら、極彩色を感じさせるサイケデリックな画面を、スクリーントーンを駆使して表現している。そして、夜のイメージを主要な物語舞台にすることによって、特殊能力を持っているがゆえに様々な組織に目を付けられ孤独に陥った男の悲しみを一層際立たせている。

○「早苗と青い子供」
少女早苗は、ふとしたことから河童に出会い、河童の国に案内される。村の子供たちの守り神として、一人に一匹ずつ河童が生まれるのだという。河童は十年後に子供の成長を見届け、死んでいく。作品には透明感があふれ、自らの宿命を受け入れて生きる河童の、切なく、悟りにも似た表情が読者の心を打つ。河童の国である、水中世界の描写には、低重力感が見られる。また、早苗の暮らす、一昔前の農村風景も作品の透明感をいっそう際立たせている。

○「桜東風」
老女「りう」と川の水温計りで有名な老人「江戸一」との心の交流を描く。川の水は、桜橋の下を流れる所で心を通わせるのに最適な水温になるという。水を通して通じ合う同世代間の心の交流を、暖かさと涼しさが同時に足の感覚として伝わってくるように描き出している。足の皮膚に直接感じる、川の水の温かくもなく、冷たくもない水温が画面の中から伝わってくるようである。背景を省略したコマが、夏の日の気温が高いが爽やかな空気を感じさせる。


『観光王国』 1989年4月、ふゅーじょんぷろだくと
   新版  1999年9月、エンターブレイン 

                                                (文中敬称略)
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by konlon | 2007-10-22 23:12 | マンガ