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by konlon

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 思想、思考、行動原理といった人の精神構成は,幼少期の経験が最も大きく関るとされる。'60年代以降に幼少期を過ごした世代には、TV番組の視聴経験が大きな割合を占めているようであるが高田明典氏の『アニメの醒めない魔法』は、'60年代から'90年代初めのアニメや特撮の人気作品を、心理学と構造主義の手法によって分析して、主に本放送時に視聴した人々に及ぼす影響を考察している。あらゆる読者層を意識した内容であるからか、少女ものに関する項目も充実しているが、巻末のあとがきによると、筆者の嗜好によるらしいところも見られ、この点はアニメ・マンガファンが思わずニヤリとなりそう。
 さて、本書によると、等身大変身ヒーローものでは、敵の組織は大人社会の暗喩であり、主人公の「変身」は大人社会に対抗するための、一時的な大人への「変身」であるととらえている。また悪の組織によって改造された主人公は、子供を助ける「良い大人」であり、そしてその深層には、子供の大人社会への反抗がみられるのだと考えている。『ドラえもん』では、ドラえもんは超越者、ひみつ道具は欲望を実現する科学の象徴であり、それを独占して問題解決を図るのび太は科学にひいきされる存在であるが、のび太は弱者であり、科学からのしっぺ返しにより戒められるため、ドラえもんの、のび太へのひいきは許されるのであると述べられている。娯楽作品には視聴者への禁忌と欲望の喚起と解消がその中に組み込まれ、視聴者にとっての現実での問題解決のヒントを彼らに示す。それが作品に人気を呼ぶのであると筆者はいう。だが作品の深層において引き出された禁忌と欲望、その解消は視聴者(特に幼少の)が無意識にしかも強烈に受けた影響は彼らの思考や行動を歪ませるのであるという。高田氏はその思考や行動を象徴的に「アニメトラウマ」と命名し、世代間の問題を解き明かす上での一要素として考えている。『ドラえもん』を観た者は、自分が選ばれた存在であると考えたりするような可能性があるというのである。筆者は娯楽作品中で引き出された禁忌の欲望を処理するための、虚構世界と現実世界との接点として、最終回が重要であると指摘している。虚構が虚構として完結し、「夢から醒めた」状況がなければ子供の心が歪み、好ましからぬアニメトラウマを助長させてしまうと筆者は考えている。アニメ(実写ドラマ)作品は「しっかりした最終回」をもつべきであり、視聴者に”醒めない”夢を見続けさせる魔法であってはならないと主張する本書は、娯楽作品が子供達の人気を呼んだ秘密を、心理学と構造主義の方法論を応用して解き明かし、必要な専門語の解説を交えながら、敬体で肩肘張らないような口語的な文体で書かれ、アニメ・マンガファンの好奇心を引き付けるだけでなく、教育関係者やアニメ製作者に向かって、子供たちの心に育まれた禁忌の欲望の解消をTV番組に求めている事実を認識させ、子供たちに感動を与え、悪影響を与えないような傑作を作って欲しいという願いが込められているように感じられる。初版から約10年経つが、口語長の文体や最終回の重要性を主張する点に個性がみられ、創作作品の解説書としては傑作の一つに数えられるのではないかと思われる。

君のアニメトラウマはどの作品から?

作品:『アニメの醒めない魔法』 高田明典 1995年、PHP研究所
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by konlon | 2005-09-26 00:21 | マンガ
1995年前半は、阪神・淡路大震災から始まり、東京都地下鉄サリン事件とそれに続く形で展開したオウム真理教関連事件が報道され、人々を不安な心理にさせる事件が続いた。そんな状況下での6月、竹書房発行の4コマ&ショート作品系の雑誌『まんがくらぶ』において、ファンタジー・マンガ作家の須藤真澄作によるショートストーリー「ごきんじょ冒険隊」の連載が始まった(~'96年8月まで。全14話)。主人公の少女「まな」が自分の住んでいる町の中で体験する、不思議な出来事を優しく穏やかに、時に軽い笑いを交えながら描いたファンタジー作品であった。日常に出現する不思議だが心を和ませてくれるような優しさを持った非日常を子供の視点からとらえたこの作品は、'95年前半の暗く不安な雰囲気を和らげてくれるような作品であった。また、この「ごきんじょ冒険隊」は須藤真澄デザインのキャラクターを使った、パイオニアLDC製作のスーパーファミコン用ソフト発売とのタイアップ企画でもあった。SFCゲームの『ごきんじょ』は、猫の「ゆず」を連れた主人公のまな(幼稚園児)が、偶然出会った神様から町の平和を守ってほしいと頼まれ(*1)、お友達と「ごきんじょ冒険隊」を結成し、町を脅かす敵と戦う、という内容であった。ゲームはロールプレイング・ゲーム形式であるが、主人公を始めとする主要キャラを幼稚園児に設定して、彼女ら主人公チームのキャラクターを幼稚園での、月曜から土曜までの授業で(*2)育成することで、戦闘による"経験値"に頼らない、キャラの能力向上を実現している。それにより日曜日の冒険パートに入る前に、キャラクターの基本能力を半ば任意に設定する、セット・アップ的な効果も与えている。ゲームの冒険パートは、糸井重里プロデュースの『MOTHER』/『MOTHER2』のゲームシステムを参考にしているが、『MOTHER』シリーズの'50年代アメリカをイメージした世界観に対して'70~'80年代の日本小都市をモチーフにすることで、日常の中の非日常の世界にある種の土着感を付加することに成功している。冒険隊のメンバーとなる、柔道家の娘、お金持ち、天才少女、太っちょの泣き虫の愉快で個性豊かな面々や、敵キャラである、ワタベグループ総裁の娘で、意地悪な性格の「ななこ」が率いる「ななこ親衛隊」、「ななこメカ」といったキャラクター達が、主人公の住む町を舞台に所狭しと活躍し、やがて物語は冒険隊vsななこの対決から真の敵となる「悪意」の出現とその撃退へと移行していく。共通の敵である「悪意」の存在に気付き、町の人々を脅かすその「悪意」を打倒するため、ななこは改心し、冒険隊と行動を共にする。そして、主人公チームは最終目標となる「悪意」の本体との対決に向かう…。ゲーム画面のデザインは、ギャグマンガで見られるような絵柄でありながら、何か優しさのある、暖かな感じのする絵で描かれていて、日常に潜む冒険という、作品のテーマを引き立てていた。必要最小限で描かれたグラフィックの絵柄には、プレイヤー各自が自身の手によって、ソフト中の足りないと感じる所をプレイヤー自身の想像で補完する余地があり、その想像もプレイヤーの楽しみであった。また、物語は4月から始まり、全ての事件が解決した9月に終了するが(容量の関係もあったのであろうが)、それにより物語にゲームとしての軽い緊張感と緊迫感が与えられ、引き締まった展開になっている。『まんくら』連載版「ごきんじょ」は、須藤ならではの、優しさのあるタッチで描かれた、ギャグコメディーという感じであったが、そこには悪役との戦いは見られない(*3)。外の世界に抵抗を感じる主人公のまなは、自宅の玄関に現れた謎の回覧板に誘われて、飼い猫のゆずとともに町内を探索する。町内での不思議な体験を通じて、友達を作り、外の世界と触れ合っていく。主人公を町内の冒険に駆り立て、町の人々と触れ合っていくための鍵となる小道具として、回覧板を設定している所が面白い。町という住人たちの共同体において、住人間の交流関係をつなぎ合わせる役割を持つ回覧板は、「ごきんじょ」を象徴するものであり、まなの"友達探しの冒険"を体現するには最適の小道具であったといえるであろう。最終回でまなは回覧板と共に突然現れた子供にこれまで冒険した町を見せる。そして、最後に子供は回覧板を持ってまなの母親の胎内に入っていった。新たな家族としての兄弟/姉妹の誕生への期待を見せながら物語は幕を閉じる。回覧板による「ごきんじょ」冒険の終着点がまなの母親であったことは、人々の交流の原点が"家族"である事を再認識させてくれる。
「ごきんじょ」の単行本はゲームソフトとのタイアップ企画であったため、単行本化は難しいと思われたが、全一巻の単行本が97年6月下旬に竹書房より発売された。『ごきんじょ』単行本ではゲーム版の内容解説やマンガ版とゲーム版との違い等、ゲームソフトと関連した情報が巻末に発表された。(*4)『ごきんじょ』は、ゲーム版が同時期にリリースされた他ソフトと比べて、普及数は少数であり、単行本発売時には既に入手難になりつつあったにもかかわらず、巻末で紹介した事は、ゲーム版製作スタッフに対する敬意の表れであろう。また、ゲーム先行企画である事から来る、権利関係などの事項を解決処理して、単行本化してくれた竹書房の功績も評価されるべきであろう。単なるタイアップ企画として終わらせずに、マンガ作品とスーパーファミコンのゲームソフト作品との、互いの立場を尊重しながらも、須藤真澄の作品としての位置づけを重視してまとめられた、単行本の構成や意匠には、ファンを大切にする竹書房スタッフの思いが込められているように感じられる。これからも作家やその作品、読者を大切にした単行本を作っていただきたいものである。

                                                (文中敬称略)
      
作品:『ごきんじょ冒険隊』 1997年7月、竹書房


*1:RPG版のストーリー構成は、RPG版を監督した黒田洋介の手による。また、実際のゲーム上では、神様が主人公に町を守れと命じているような台詞は見られない。

*2:例えば「たいそう」を学習すると攻撃力のパラメータが、「おはなし」では知能のパラメータが上昇する。これらの組み合わせによって攻撃重視の実力行使型や説得による交渉型など、RPGパートにおける、戦闘での戦闘スタイルをキャラクターごとに設定することが可能である。

*3:作品終盤近くの12話で意地悪娘として、ななこ登場のエピソードがみられるが、ななこは次の回で改心する。まなの母が、今は亡きななこの母と同じ容姿であることに気付き、生き別れの姉妹であると亡妻/母を慕う渡部とななこに吹き込んだという展開になっている。

*4:単行本巻末のゲーム紹介の記事には、『まんくら』版のセルフ・パロディともいうべき、須藤自身によるマンガ形式でのゲーム版ストーリー紹介や、新聞記事形式での解説など、お遊びの部分が含まれているが、ゲーム版についての大体の情報を伝えている。『ごきんじょ』のゲームがあまり出回っていなかった事も関わっているのかもしれないが、マンガ版とゲーム版との関係を巻末で紹介した点は特筆すべきであろう。

追記:
 この『ごきんじょ』ではOPテーマのイメージ曲として、インボイスの「幸福が…」(シングル&アルバム『サイクルズ・オブ・ヒストリー』収録)を、EDテーマは高野寛の「Sunny Day Weekend」(アルバム『レイン・オア・シャイン』収録)を選曲してみた。 OPはこれから始まる冒険のワクワク感を感じさせる曲として、EDは冒険の後の爽やかさをイメージしている。
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by konlon | 2005-09-17 23:56 | マンガ
私はストーリーもの作品をみた後、それらの各作品を私的な感覚としてのお気に入り/ブックマークに指定した場合、その作品のオープニングやエンディングのテーマ曲、またはイメージソングとして、これまでに聴いた色々な曲から、作品の雰囲気やストーリーに合いそうだと思ったものを流用して、自分なりの作品イメージを構成するための素材にしている。(多分、多くの人がやっているだろうが…)私の場合、まず私の感じた各作品の雰囲気というものを、音楽で連想できるような曲をピックアップして、そのあと、それらの歌詞をチェックして、作品のストーリー内容に合った曲を絞り込んでいくようにしている。そのためにはできるだけ各種の音楽を聴く機会を作り、面白そうな曲に出会えるようにしているが、なぜか、というのかやはり、というのか自分の好きなアーティストの曲に集中してしまう傾向が強くなっていくように思える。その点は個人的な好みなので、ご了承いただきたいと言うしかない。
 私自身の例を挙げれば、高野寛の「I.O.N」(アルバム『CUE』収録)は荒木飛呂比彦作のマンガである、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの、1~3部のオープニング、「虹の都へ」(同上収録)はエンディング・テーマとしてそれぞれイメージ設定している。これらの曲は、人間と生命の力を信じる正義の心をもって、人類を脅かす存在と戦うジョースター一族と彼らを支持する仲間たちの展開する、人間賛歌や生命賛歌を象徴するかのような曲として感じ取られた。この事以降、私は高野寛のポップスとその系譜となるアーティストへの追求へと、音楽に関する私の関心が広まっていった。創作作品に対する、ファンのイメージとしての、既存曲の流用による音楽設定は、本人以外の者にとって押し付けがましい点もみられるが、創作作品に対する、ファン各自の”想い”というものを既存曲に託した主張であり、触れたものにとっては、良くも悪くも未知の分野に対する各自の関心を広げさせてくれる機会を提供できる機会ではないかと考えられる。発表の機会があれば、どんどん発表してみてはいかがであろうか。
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by konlon | 2005-09-05 00:20 | 音楽