パーソナル文化研究所・空琉館の情報誌的ウエブログです。


by konlon

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1985年の日本航空B747・123号便の墜落事故から20年の月日が経過した。当時幼かった私であったが、何かすごく大変な事件があったようだと感じていた。自分の身内や知人が乗客ではなかったが、不気味な恐ろしさが身に付きまとうかのような感覚であった。墜落翌日の新聞記事には全員絶望という見出しが載っていたのが衝撃であり、同時にたった一人でも生存者が出てきてくれたら…とも思っていた。その後、生存者が4名、しかも年少者がいた、というニュースを聞いて、この事件に何か"救い"のようなものを感じていたことを相当はっきりと憶えている。
事故で亡くなった者や彼らの遺族が抱える苦悩は、もし自分が、あるいは自分に関りのある人々がその立場に立ったならばを考えると、重い心境にかられる事は否めない。飛行機は現代の交通手段としてすでに普及し、生活と結びついた存在であるのは事実であり、また、確率が低くなっているものの、空を飛ぶ事が人間にとって危険と隣り合わせである事を教えてくれるの事実である。不幸に当たる可能性は全くないとは言えない状態の中で、自分自身で危機を乗り越えるための術を学ぶことが必要なのではないかと考えさせられる。20年の節目を迎えた今日、この事故で犠牲となった者たちの冥福を祈ると共に、不幸を乗り越え、次の幸福へつなげるために、事実に向き合う事の重要さを認識する必要も考えねばならない。

本日はあの日航機墜落事故から20年めの日です。この事故が起こったとき、村をあげての救難や遺体捜索活動などの迅速で的確な現場活動をはじめ、その後の慰霊碑建立や参道整備などの、遺族に対して充分に配慮した事後処理に尽力した、当時の群馬県上野村村長・黒沢丈夫氏の活動を忘れることはできないでしょう。黒沢氏は太平洋戦争中は、海軍航空隊でのパイロットであり、零戦などの戦闘機部隊の隊長を務めていました。戦いを経験し、戦場での生と死を実感したことからくる、氏の人間性重視の姿勢が、この墜落事故に関する一連の対応からみられるような思いがします。(参考:「3人の異色零戦搭乗員」 歴史群像太平洋先史シリーズ12 『零式艦上戦闘機』所収 1996年9月、学習研究社)
話し変わって、以前、映画『タイタニック』が上映されたとき、日航機事故を題材にした映画がいつか製作されないかなと思ったことがあります。123号便離陸前の空港の様子や、事故当時の機内の状況、墜落の瞬間、墜落現場の状況、そして救助の様子などが完全に映像化されれば、「海の巨人」がたどった悲劇に勝るとも劣らない、「空の巨人」の運命が、ドラマチックに描かれた、印象深い大作になるであろうと想像します。いつの日か、この航空史上最大級の事故が映画として、世界中の人々に記憶され、伝えられることを期待されます。
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by konlon | 2005-08-12 23:57

「ゼロ戦」の記憶


 '60年代半ばに活動していたグループサウンズのひとつ、「ザ・フィンガーズ」の曲に「ゼロ戦」というものがある。現在出回っている、当曲を収録したCDの解説などを参照すると、タイトルの「ゼロ戦」とは言うまでもなく、かのアジア太平洋戦争を戦った、旧日本海軍の戦闘機「三菱零式艦上戦闘機」こと「零戦」であるといっていいだろう。零戦のイメージソングとして、日本を象徴する航空機・零戦の栄光と悲哀がエレキの演奏に込められたインストゥルメンタル(ボーカル無し)曲になっている。60年代当時において、大空を舞う航空機のイメージを、ロックという形で表現したという点で、後にみられるような、飛行機とロックとの組み合わせを先取りしていたような印象を受け、ロックによるエアロ・ダンシングイメージ表現の先駆を今に伝える秀作であろう。作曲はフィンガーズの主要メンバーであった高橋信之氏であり、あの高橋ユキヒロ氏の兄上に当たる人物であることも興味深い。
 零戦は優秀な性能をもってアジア太平洋戦争に登場し、日本の工業力の限界により衰退していったことにより、時の人々に鮮烈な印象を与えた。その鮮烈さによって、戦後の、高度経済成長を迎えるもまだ前大戦の空気がいくらか鮮明に残っていた'50~'60年代において、零戦は映画や少年向け雑誌の記事、プラスチックモデル等のメディアやグッズ類を通して、日本が体験した総力戦としての、世界大戦の記憶を伝えていった。国民生活が安定から向上へと向かい、昭和元禄と呼ばれるようになった、そして'60年代後半においても、「ゼロ戦」の言葉は、薄らぎつつゆく戦争の記憶を鮮烈に思い出させるキーワードであったといえるだろう。今思えば、「ゼロ戦」の、哀愁を秘めたそのメロディは、前大戦の日本を象徴する"零戦"を鍵として呼び起こされる、戦争の記憶というものを通して、高度経済成長時代の中での、日本の行方というものを自他共に問いかけていたのではないのだろうか。

ゼロ戦/ザ・フィンガーズ:CD 『カルトGSコンプリート・シングルズ』収録 
                2000年、テイチク

                CD 『TOKYOエレキ合戦』収録 2005年、テイチク
                              (*現在入手しやすいものです)

追記:
上記とは別の、今はもう発売されていないカルトGSのオムニバスで始めて聴いて、不思議な印象を抱いた覚えがあります。聴いただけで飛行機の離陸、飛行、空中戦をイメージできる曲であり、ロックを意識した演奏でありながら、どこか日本を感じさせる所は、なぜか「零戦」のイメージを容易に連想させます。
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by konlon | 2005-08-11 16:08 | 音楽

「空琉」の名前

本ブログのタイトル「空琉館通信」は、私の個人企画・「空琉文化館」の館報誌のようなものを、と思って作ったものですが、「空琉文化館」は、企画立ち上げ時は「空竜文化館」と言う名前でした。数年前、神戸市南京町を散策していたときふと立ち寄った中国雑貨店の「空龍」(コンロン)が非常に面白い店で、強く印象に残りました。素朴さと異国感の入り混じった"本場"の雑貨類や個人的に好きな、ブルース・リーに代表される、中国/香港のクンフー映画関連の絵葉書やポスター、キャラクター人形等のグッズが豊富に取り揃えてあり、「空龍」の文字が持つエネルギッシュなイメージが魅力として見えたのでしょうか。そののち、エンターテイメントやサブカルチャー関連情報の整理・考察をweb上で発表してみようかと思いついたとき、かの店のような魅力ある内容にしてみたいなと思い、資料館をイメージして企画名を「空竜文化館」と名づけてみました。ところが、検索を見ると、「空龍」、「空竜」の名前を持つキャラクターやサイト、店舗が意外と多く、ネット上での混乱や商標問題、言葉の持つイメージなどを考慮して、オリジナリティの向上を重視し、そこから「空琉」の語を作り、「空琉文化館」と改めて命名しました。「琉」は琉璃、球を指す字であり、琉球の「琉」の字でもあります。心を澄み渡らせるような清涼感あふれる蒼色は、どこまでも広がっていく大空に通じ、また琉球(沖縄)の青い空と海、そして沖縄から発する活力をもそこから連想させ、当初の構想により即したタイトルであるといえるでしょう。空琉文化館とそのウエブログ・空琉館通信は見た者が印象に残りそうな、魅力豊かな企画を目指したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

と、タイトル名について解説してみたけど、なんか堅い文章になったかなぁ。
それと、「空琉」のことなのだが、最近「空琉」を検索すると、人名でヒットすることがある。家庭が作っているホームページで、子供の名前(男子に多いようだ)として写真と共に挙げられていた。ここでは「空琉」は”くうる”と読むのだが、上で述べたような、空と青のイメージが込められていると同時に「COOL」のイメージもまた込められているのだろうか。クールは冷静沈着、また「カッコいい」の意味を持つので、聡明な人になる、という願いもそこにはあるのだろう。検索するまでは気付かなかったので、興味深い発見であった。
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by konlon | 2005-08-06 15:38
 「空琉館通信」は、私、空ドラ(コン・ドラ*)の得たサブカルチャー系関連の各種情報を統合・整理して、独自の解釈を加えた情報を発表するために設立しましたパーソナル文化研究所・「空琉文化館」が発刊する情報誌的ウェブログです。どうぞご自由にご覧下さい。当ブログでは私が関心を寄せた各種事項について、私が執筆した自分の感想や見解などを紹介していきたいと思います。そして、紹介された記事については、当ブログの閲覧者たちといろいろな交流ができれば幸いです。なお、発表された記事の内容には、執筆者の主観的な部分が含まれている事がありますので、その点はご了承ください。
(*「コンドラ」の「コン」は、「空」の北京語読みです。)


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by konlon | 2005-08-04 21:35