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by konlon

カテゴリ:マンガ( 26 )

 漫画作品の本編を見て、読者の中で作品イメージを補強するものとして、自分の知っている音楽があげられる。本編の場面ごとに、以前聴いていて、よく知っているあの曲が読者の脳裏で鳴りわたる…。各場面のイメージが、これによっていっそう読者の中で印象付けられることを感じている人は少なくないであろう。
 『エイリアン9』では、ファンたちによって各自がイメージした曲を集めて編集したオリジナル・コンピレーションがファンサイトに掲載されていたことがあった。テクノ系の音楽が中心であったが、ファン各自の持つ『エイリアン9』のイメージが、集められた音楽を通じて、聴覚として伝わってくるような感じであった。しかし現在、これらのコンピレーションを掲載したサイトは、姿を消してしまっているのが非常に残念である。
 今回、以前に各ファンサイトで紹介されていた曲も参考にしながら、私自身がイメージしたオリジナル・コンピレーションを紹介してみよう。ここでは、シミュレーションRPG やアクションゲーム風の構成でイメージ曲をまとめてみた。

続きは…
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by konlon | 2008-07-24 01:00 | マンガ
1998年6月に富沢ひとし作『エイリアン9』の連載が『ヤングチャンピオン』で始まって今年で10年目。『エイリアン9』誕生10周年記念特集第二弾として、『エイリアン9エミュレイターズ』についての記事を掲載します。

続きは…
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by konlon | 2008-06-23 00:43 | マンガ

エイリアン9

 富沢ひとし作・『エイリアン9』が1998年6月に『ヤングチャンピオン』で連載されました。今年でちょうど10周年。そこで、『エイリアン9』誕生10周年記念特集を本ブログにて企画してみたいと思います。まずは『エイリアン9』本編から…。

 『エイリアン9』  ─カッコ悪さとアクティブさ─
                    kongdra(空・ドラ)

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○ナイン登場!

 1998年6月初頭、電車の車内にかかっていた『ヤングチャンピオン』の吊り広告の隅に「新連載」作品のキャラクターが表示されていた。タイトルは「エイリアン9(ナイン)」で、「富沢ひとし」作と記され、主役と思しき三人のキャラクターイラストが載っていた。(後の単行本「YCコミックス」第1巻表紙の絵)タイトルにある「エイリアン」と、インラインスケートのスケーター風の服装をした少女たちのキャラクターから、エイリアンの探索や戦闘などに関わる”美少女アクションもの”のようであり、「6の藤」などのゼッケンをつけている所から、主人公たちは小学校に関係しているのであろうかと見た人たちは思っただろう。「YC(ヤンチャン)も色々なジャンルを取り上げてみたいのだろうから、まぁちょっと見てみるか」と思っていたので、『エイリアン9(以後A9)』第1話を読んでみたところ、それは驚きに満ちた、不思議な世界との接触の始まりであった。「エイリアン」と呼ぶ怪生物が存在するようになった時代の話で、「第9小学校」には「エイリアン対策係」という係がある。それは「きつい」・「キタナイ」・「危険」の3K的な係であり、また、対策係はキタナイものとされる、「ボウグ」という「共生型」エイリアンを被って活動するため、非常に嫌がられているという。「6年椿組」の大谷ゆりは、クラス投票で半ば押し付けられる形でその対策係となり、同じ6年「藤組」の川村くみ、「桃組」の遠峰かすみ(共に立候補)の3人で係の活動が始まった。
 エイリアン対策係は、ボウグとの共生体・ドリル族の管轄下で学校に出現する(ドリル族が意図したと思われる描写が作中にみられる)エイリアンの捕獲を行っていたが、対策活動の中で、大形エイリアン・イエローナイフや、ドリル族に敵対する共生型エイリアン・ヒマワリなどドリル族の予定外であったエイリアンの出現したため、これらとの対処を余儀なくされた。対策係の3人はエイリアンによって引き起こされた数々の危機に立たされるが、どうにか乗り越え、99年8月の最終回をもってストーリーは終結した。作品に漂う、日常と非日常が有機体を介して融合を果たしたかのようなビジュアルイメージが、読者に強烈な印象を与えたためか、連載終了後に『エイリアン9』は、マンガファンの間で話題を集め、SFやマンガ、美術関連の多くのメディアで紹介されるようになった。そして、2001年にオリジナルビデオアニメーション作品が製作されて以降、作品及び作者の富沢ひとしの認知度は徐々に高まっていった。先に述べたようにストーリーや絵の表現など、『A9』の作品内容についての紹介は各種メディアで紹介されているので、ここでは『A9』について、筆者の感想をもとにした私見をいくつか述べていくことにする。

○カッコ悪い主役

 主役のゆりは、エイリアンが嫌いで、対策活動では消極的な態度を取り、第一話では、ボウグの防衛機能により、エイリアン・ジェーンを刺殺、飛び散ったエイリアンの体液を浴びた後卒倒した。第2話では牛形エイリアンに麻酔銃を撃つが全て外し、くみに助けられる。夏休み前にはエイリアン対策係担当の久川めぐみ先生の意図に反して、ボウグを過成長させてしまい、不幸のどん底に陥ってしまった。夏休み後再び気を取り直すも、エイリアンの前では以前と同様にエイリアンを怖がり、見苦しい態度を取ってしまう。その後のストーリー展開において、重要な節目に差し掛かっても事態を好転させるようなカッコいい活躍は見られなかった。ストーリー後半でゆりは、ドリル族に敵対するエイリアン・ヒマワリに半ば誘われるような形で共生してしまい、彼女自身の心がヒマワリに浸蝕される寸前にまで陥ってしまった。このゆりにとっての非常事態である、ヒマワリ事件でさえも彼女は、主役として自身の闘志でヒマワリの呪縛を解き放ち、カッコよくヒマワリを撃退するというような展開にはならず、ゆりに想いを寄せるようになっていたくみにほとんど助けられる形で事態は収拾され、物語は終結した。我々がよく見かけるストーリーものでは、主役は最初はカッコ悪い態度を見せても、回が進むたびに次第にレベルアップしてカッコよくなっていき、最後には世界の流れを変えるまでの存在となっていく展開になっているものが多く見られた。しかし、『A9』では、主役のゆりは本来カッコイイはずである、主役を象徴するような白地に赤の衣装で登場していながら、ストーリー序盤のカッコ悪いキャラクターのままストーリーが進行し、クライマックスに至ってもついにカッコイイ活躍を見せなることはなかった。ストーリー物、特に美少女が主役の作品は最後にカッコイイ所を見せてストーリーを盛り上げるものと認識していた筆者は、主役でありながら最後までカッコ悪いキャラクターだったゆりを見て、一種のショックともいうべき感覚を味わった。主役のカッコよさという一種の「お約束」にとらわれない大谷ゆりのキャラクター設計は、カッコよさ重視のストーリーマンガを見慣れた目にはきわめて新鮮に映った。 『A9』ではキャラクターのドラマが、異質なものが通常のものに見える世界において進行していくためか、読者の心に強烈な揺さぶりをかけ、読者に言いようのない魅力を与えるのだろう。
 カッコ悪いキャラクターが主役のストーリーと聞けば、70年代初頭に製作・オンエアされた日本製TVドラマを想起される。特に萩原健一演じる『太陽にほえろ!』のマカロニ刑事や、『傷だらけの天使』の小暮修は、カッコ悪さの目立つキャラクターであった。当時の若者を取り巻く雰囲気は、70年安保を境にこれまでの「何でもできる」という自信から「努力してもかなえられない事がある」事実の認識へと変貌していった。萩原健一はこれらのドラマの中で「たとえかなわなくても精一杯やってみよう」と訴え、「青春の挫折」を美化し、視聴者の感動を呼び込み、それ以降の70年代青春ものの要素となっていった。『A9』における、ゆりのカッコ悪さは、マカロニ刑事や小暮修とその弟分である水谷豊演じる乾亨に通じるものがあるのではないかと推察している。『A9』でのゆりは、見かけはカッコ悪いものの、活躍する画面からは自分なりの精一杯さを、体全体を使って隠さずに表現しているように見える。大谷ゆりというキャラクターの特徴として、『A9』劇中のゆりは、確かに正義感もなく、エイリアン対策の腕も持ち合わせていないが、久川先生を含めた対策係のみんなに可愛がられているように見える。その理由は、ゆりの邪気のない所にあり、本文で述べたような、自分のできることを包み隠さず精一杯に表現しているという点にあるのではないかと推察される。また、『A9』の各キャラクターには、ドリル族の計画失敗や、くみのボウグ化、かすみのイエロ-ナイフとの共生といったような、主役の所属する集団とエイリアンとの闘いの中で起こった各事態を通して、それぞれのキャラクターが持つようになる挫折感というようなものがストーリー後半あたりから感じ取られる。90年代半ばに入ると70年代ドラマの再評価が盛んになってきたのは、バブル崩壊後の情勢が70年代に近い雰囲気を持っていたためであろうといわれているが、90年代後期の作品である『A9』が「挫折のドラマ」に見えたのはそのような時代の空気を反映しているからかもしれない。


 ♪アニメ版のテーマ曲とは別に、私個人の漫画版イメージ曲は、OPテーマ:朝日美穂「勉強」(『オニオン』、シングル『勉強』)がOPテーマに、 中村一義「いつか」(アルバム『金字塔』、シングル『天才とは』)がEDテーマに脳内設定していました。



作品:『エイリアン9』  1巻 1999年3月 秋田書店
               2巻 1999年7月 同上
               3巻 1999年12月 同上

    『エイリアン9‐コンプリート‐』(三巻本を一冊にまとめて、新ページを追加) 
                     2003年6月 秋田書店

                                         (文中敬称略)
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by konlon | 2008-06-19 23:15 | マンガ

『じーばーそだち』


『じーばーそだち』
 ─下町という物語空間─

○舞台はホームタウン
 須藤真澄のマンガ作品『じーばーそだち』は、秋田書店『ヤングチャンピオン』にお
いて、1995年1月から1996年12月まで連載された4コマ作品である。作品の舞台は、須藤の出身地である東京都墨田区(*1)をモデルにしたとされる”下町”であり、そこに住む主人公の少女「りる」の日常生活の中で起こった小さな出来事を描いたストーリーが展開する。作品中で描かれた家屋や路地、駄菓子屋などの下町、そしてりるとその家族(祖父の一徹の出番が目立っているが)や、下町の住人たちといった各キャラクターたちの、デフォルメを効かせたキャラクターデザインや言動を通して、作者が幼少期を過ごした、原体験の場所といえる”下町”という空間が再現され、読者の感覚に転送されるような作品になっている。

○子供らしい子供
 りるは、下町の鮨屋「徹鮨」の主人一徹の孫娘(*2)であり、家族構成は、一徹夫妻と両親、大学生の兄、「かめてつ」の6人家族である。父親(一徹の息子)はTVゲームのプロデューサーであり、母はファッション雑誌の製作に携わっている関係で、家の中では、祖父と祖母に接する時間が多いため、事実上祖父母に育てられた。タイトルの『じーばーそだち』はそのような”爺と婆”育ちに由来する。(主人公の「りる」は、父方の祖母(一徹の妻)「りり」の名とと母方の祖母「るる」の名を合わせたものであり、りるの兄「かめてつ」は父方の祖父「いってつ」と母方の祖父「一亀」の名を合わせたものである。)祖父から教えられたであろう礼儀正しい態度や行儀よさ、庭の雑草を煎じて薬にするなど伝統的知恵の応用を自然に、無邪気に見せるりるの姿には、子供の持つ素直さや純朴さがみられ、まさに”子供らしい”好感の持てるキャラクターとなっている。そのため、彼女と下町の人々との交流は作品に暖かく幸せな世界観を生み出し
ている。

○キャラクター個性密度の高い地帯!?
 『じーばーそだち』に登場する各キャラクター達は、主人公のりる以上に際立った個性を発散し、作品の明るく楽しい雰囲気作りに一役買っている。人情に厚く、プロ根性の強い鮨職人である一徹、旅行と通販グッズマニアのりり、元博徒(?)で川原石を磨くのが趣味の一亀、裏社会との関わりがあった過去を持つらしいるるというように、『じーばー』タイトルに恥じないメインキャラクターとして、非常に強烈な個性を持っている。りるの祖父母以外にも老人達が多数登場し、須藤の描くバリエーション豊かな独特のデザインで描かれた老人たちは、抽象的でありながらも自然で人間の温かみが感じられる。都会的で上品な転校生の少女(最後まで名前は不明。この辺がギャグのネタにできそうな、マンガ的キャラクターとなっている)や、元富豪の息子であった笹沢君、オカルト好きの陰気なキャラクターであるがなぜか憎めない倉田さんといった、これまた個性豊かなりるのクラスメートたちが登場し、一見平凡そうな下町のキャラクターたちに強い印象を与え、独自の作品イメージを生み出している。そして、須藤作品ではおなじみの猫のキャラクターも、りる家の飼い猫「はまち」として登場し、『ゆず』シリーズで定評のある須藤アレンジのデザインで描かれた猫キャラクターの挙動が作品にユーモラスなアクセントを加えている。

○It's A Wonderful World!!
 現実世界の”下町”には、暗く湿った空間などといったマイナスイメージを持たれることもあるが、『じーばー』で描かれている、物語空間としての下町は明るく、人情豊かで幸せなイメージを読者に抱かせる。作品の描写中には、一徹とその息子(りるの父)親子の間に起こった過去の対立や母方の祖父母の言動からうかがわれる過去の中には、暗いマイナスの部分が潜んでいるようにみえるが、『じーばー』の作品中では、過去の暗い影が物語の展開を大きく左右することは無い。『じーばー』で描かれる下町の人々は、全て”現在”を大切にして生きている。りるたちの過ごしている下町は、”現在”が中核をなし、現在そこにある幸せの前では”過去”はさほど大きな意味を持たない。現在は過去の結果であるが、過去に不幸な事件があったとしても現在が幸せな結果状態であれば、過去はあくまで過去であり、現在そしてこれから起こる出来事に影響は及ばない、作品世界での幸福観が作品からうかがわれる。『じーばー』の下町は、過去にとらわれない、現在(いま)のその時を生きる人々の住む場所であり、ストーリーの舞台設定からストーリーを構築する須藤の作風と須藤の原体験が混じり合って、素晴らしい世界といいたくなるような物語空間を構築している。『じーばー』の真の主役は”下町”であるといえるかもしれない。

(文中敬称略)




*1:

実際の墨田区を題材にした須藤真澄の作品には、「いかにおわす ふるさと」( 『おさんぽ大王』第2巻収録 1998年7月、アスキー 現エンターブレイン)がある。区内の「小さな博物館」を中心に、作者の故郷としての墨田区を紹介しているがここでも明るく楽しい”下町”のイメージがみられ、作者の下町への想いがうかがわれる。

*2:

りるの年齢設定は、第1話では8歳であるが、連載期間と同じ時間の流れで物語が進行し、最終回は、りるの10歳の誕生日で幕を閉じた。
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by konlon | 2008-02-25 12:50 | マンガ

『どんぐりくん』

『どんぐりくん』 
 ―子猫の学校生活―

○子猫が主役
 須藤真澄とその飼い猫・ゆずとの生活をコメディ調で描いた作品『ゆず』の続編として、1996年に『ゆずとまま』が発売された。その巻頭には、「どんぐりくん」というタイトルの描き下ろしカラー短編が発表された。飼い猫のゆずが、どんぐりがくえんという秘密の学校に通っているという話で、そこでは、ゆずは二足歩行し、白猫、三毛猫、青猫、白黒猫らのクラスメート達と授業に励んでいる姿が描かれていた。その後、猫のキャラクターを専門に扱った雑誌『にゃお』1996年6~11月号(11月号で休刊)に『ゆずとまま』巻頭の短編を再構成した作品「どんぐりくん」が連載され、『まんがくらぶ』96年8月号に、当時須藤が当誌に連載していた「ごきんじょ冒険隊」の休載穴埋めとして、1話と2話が掲載された。『にゃお』休刊後「どんぐりくん」は『まんがくらぶ』1997年1月号より新規に連載が開始された。1回につき4ページの短編であるが、子猫たちのキャラクターが生み出す暖かさと優しさが好評となり、2007年10月号まで続くロングラン作品となった。(『にゃお』連載分全6回、『まんくら』連載分全127回、『まんくら』2006年8月号内ミニ冊子掲載分全1回、猫コミックアンソロジー本・『猫のかんづめ』掲載分全1回。総計135回。全て竹書房刊)
『にゃお』&『まんがくらぶ』版「どんぐりくん」(以後「どんぐりくん」)の世界は基本的に猫の擬人化キャラクターのみで構成されている。(*)どんぐり学園1年「ど組」の児童であるトラ猫の「ゆず」、白猫の「こめ」、三毛猫の「みそ」、青猫の「にら」、白黒猫の「のり」の5匹を主役に、どんぐり学園での楽しく愉快で、少しおとぼけの学校生活を描いている。また、ゆず達5匹の他に、1年「ど」組の担任・くぬぎ先生や校医のおじさん、「ラジオせんせい」(夏休みのラジオ体操で手本を見せているので)こと町内会長、海外から来たトーストくんなどといった多彩なキャラクターが多数登場し、作品世界に広がりを持たせている。
 須藤真澄とゆずとの日常を描いた『ゆず』シリーズとは違って、猫のキャラクターのみで構成された『どんぐりくん』は、擬人化された子猫達が織り成す詩的で感情豊かな日常が描かれていて、そこからは暖かさと懐かしさが呼び起こされる。須藤による、猫キャラクターは、単純なデザインでありながら、毛皮の色合いと体温を感じさせ、見ていて楽しくなりそうなキャラクターである。特にゆずとその仲間達が「どんぐり5(ふぁいぶ)」を名乗って秘密基地遊びをしている所は、生き生きとしていて、非常に印象的であった。また、年をとった猫のキャラクターには、須藤先生得意の老人描写が応用されている所も注目される。子猫達が”猫”のキャラクターとして、自分達のありのままを行動や態度の中に素直に表現している所は、動物としての、”猫”の純真さが感じられるようであり、日常と幻想がマイルドに混ざりあった猫ファンタジーマンガの傑作といえるであろう。

○どんぐり学園
「どんぐりくん」の舞台はどんぐり学園とその周辺であるため、ストーリーは学校関連のものがメインになっている。習字、作文、算数、児童英語といった授業関連の話や、運動会、学芸会、遠足などの学校行事の話の他、三角ベースやままごと遊び、秘密基地等の、学校内外での遊びについての話が描かれている。学校を舞台にした本作では、子供の学校生活がシンプルな猫のキャラクターを使って感情豊かに描かれ、日常に潜む小さな感動が柔和で温かみのあるイメージとなって、ストーリーに余韻を与えている。また、ゆず達5匹の台詞を吹出しの中に収めず、ナレーションのように画面に直接表示する構成は、作品に詩的な趣きを演出している。

○猫のキャラに対するこだわり
「どんぐりくん」の世界は猫のキャラクターによって構成されているので、作品の各所に猫の性質や猫に関連する事項が見られる。驚くと尻尾が膨らんだり、乾布摩擦で毛皮の模様が乱れたり、小鳥を見ると捕まえたくなる衝動に駆られたりするなどの、猫の性質がストーリーに取り込まれている。給食は魚がまるごと出され、缶詰はキャットフードになっている。遠足でまむし狩りに行き、くぬぎ先生はマタタビに反応し、学校のトイレは、猫用の砂の敷き詰められた形式になっている事などのように、単なる擬人化ではない、”猫”のキャラクターというものが強調されている。これらの描写は、猫キャラクターは作品の重要な要素であり、擬人化されていても、あくまで猫である、という作者の猫に対するこだわりが窺われる。


作品:
『どんぐりくん』 1巻1999年7月、竹書房
          2巻2002年5月、竹書房
          3巻2005年7月、竹書房
          4巻2007年11月、竹書房 


*:
『ゆずとまま』巻頭の短編では、ゆずは須藤の飼い猫であり、須藤の家を抜け出して学校に通うという設定であったが、『にゃお』『まんくら』連載版「どんぐりくん」では、ゆず達がいる世界は擬人化された猫が住む世界であり、ゆず達子猫にはそれぞれの家庭が存在する設定になっている。よって、連載版「どんぐりくん」では、ゆずの母親は猫のキャラクターとして描かれている。(単行本2巻、4巻。ただし顔は見せていない。)
また、須藤は96年より絵本雑誌『ねーねー』(主婦と生活社)においても、「どんぐりがくえん」というタイトルで、ゆずをモデルにしたキャラクターの登場する低年齢層向けCG画短編を発表している。
                                                                                                            (文中敬称略)
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by konlon | 2008-02-22 12:55 | マンガ

『マヤ』
 ─幻想(ファンタジー)の残存─
            by空ドラ

 2001年に発売された須藤真澄の短編作品集『あゆみ』は、デビュー以来各種雑誌に発表されていた短編作品の内、単行本掲載を逸した作品を収録しており、初心者から熱心なファンまでが須藤作品のソフトクリームのような口当たりを味わえる一冊であった。日常生活中に出現する、透明感に満ちた幻想世界の中で、谷折り輪郭線と、傘型長まつげ&目じりのキャラクターたちが「静」と「動」のテンポに乗って展開する須藤式ファンタジーの”あゆみ”を展望できる須藤真澄レア・トラックス盤と言えるであろう。ところが、須藤の単行本未収録作品は、『あゆみ』収録分以外にもまだ相当数存在していた。それらの作品は、須藤自身による内容見直しによって、単行本化を見合わされていたが、単行本約一冊分あったため、作品集がもう一冊できるのではということから、未収録作品集第二弾の構想が浮上してきた。その構想が須藤のホームページ上で表明されると、須藤ファンによる実現要望が集まり、同人誌としての製作構想が立ち上がった。(*1)やがて、出版関連の企業が持ち込み原稿の出版化サービスを行うようになると、その動向の中で、”書籍としての”販売の可能性が生まれ、書籍化の動きとなった。そして、2004年初頭に、三省堂系列の創英社より、”同人誌に近い書籍”として、作品集『マヤ』が発売された。タイトルの『マヤ』は、須藤が作品集の構想当時に読んでいたマンガ『ガラスの仮面』(美内すずえ作)の登場人物より、前集のタイトルである「あゆみ」(亜弓)に対しての「マヤ」という連想から命名された。(*2)このようなシャレ的タイトルとは違って、『マヤ』収録の作品は、「プラネット・フィーダー」や「雪魚の住処」などの短編や、前集『あゆみ』にも収録されていた「全国博物館ルポ」の未収録分やCGによる掌編というような、『あゆみ』に勝るとも劣らない内容の作品が収録されている。また、装丁も『あゆみ』を意識しながらもデザイン性を強調したものとなっている。『あゆみ』が音楽でいうメジャーレーベルでの”須藤真澄レア・トラックス”に対して、『マヤ』はインディーズでの”レア・トラックス”というような印象であろうか。これまで単行本で読む機会のなかった作品が収録されたという点でいえば、『マヤ』は、須藤真澄ファンにとって、謎の”マヤ”文明のようであった須藤作品のミッシング・リンクを埋める作品集であったといえるであろうか。特に「プラネット・フィーダー」と「雪魚の棲処」は、須藤作品の主要モチーフである、「生命の存在意味」を追求した傑作でありながら、『あゆみ』にも収録されなかった短編であり、このニ作を収録されたことによって、初めて本作を読む機会ができたことは、ファンタジーファンにとって非常に喜ばしいことであった。『マヤ』における短編集未収録作品の”最終解禁”は、須藤真澄先生やファンタジーマンガのファン達って、まさに感涙モノの企画であるとともに、須藤先生のファンタジー作家としての新たな門出を祝う意味も持つ内容であるといえるであろう。『マヤ』収録の作品は、どうして今まで単行本収録されなかったのか不思議に思う位の内容であり、ファンタジーファンなら一度は観ておきたい、須藤作品の中級編としてお勧めできる作品たちであると言える。


○「プラネット・フィーダー」
 太陽の黒点から象が降りてきて、これから生まれてくる人間一人一人の頭の中に住み着くという。少女薫が最初に見た夢は、母胎の中で、降りてくる象に出会うという夢であった。部分日食の観察を終えたある夜、一頭の象が薫の弟、たらの枕下に現れる。像はたらの中にいる像であり、たらの持っていた太陽黒点図に引かれて、姿を見せた。黒点図には象のふるさとが描かれてあり、懐かしんだのだという。象は吹き上がった太陽の炎がちぎれて生まれ、地上に降り立ち、星を突き抜け、別の太陽にたどり着くまで旅を続ける。自分がなぜ生まれたのかも分からぬままに…。生命の存在というものをテーマにしており、短編集のオープニングにふさわしい傑作になっている。太陽から生まれた象たちが地球に降下していく様子は、象が水中に沈んでいくようなイメージで描かれ、その液体感は、太陽の熱感とに対比によって、作品の魅力を形作っている。
 太陽から生まれてゆく象は、人間一人一人の生命力を象徴するものであり、水の世界とは違った、別な形での須藤の生命観がうかがわれる。象たちはこの地球で人間達と共にすることで自分たちの存在意味を追い続けるのであろうか。生命がこの世に存在する意味をこの世の中で追い求める、という本作のテーマは後に「雪魚の棲処」(本書『マヤ』収録)において発展していく。
 本編では、日食の観察が描かれているが、。発表時期が80年代であったためか、本編では黒の下じきが用いられている(望遠鏡も使われているが専用の装置が取り付けられているのであろう)が、近年では赤外線に対する安全上、「日食グラス」といった専用の器具を用いる観察が推奨されている本編のような黒下じきでは、赤外線によって目を傷める危険性があるので、現在では厳禁とされている。

○「フェアリー・テールで会いましょう」
 四年三組に転校してきた大木 空は童話の本を読むことが好きな少女。彼女の学級は、転校先の学校での卒業生壮行会の準備をしていたため、転校間もない空にとっては、周りの空気になじめず、反射的に逃げ出し早退してしまう。その後、自宅で絵本を読んでいたが、ふとした弾みで空は絵本の世界に引き込まれる。空は絵本の世界の魔女たちによって見習い魔女にされてしまうが、空よりも先に絵本の世界に来ていた少女の手助けにより、少女とともに元の世界に帰還する。帰還した所は、壮行会準備中の教室であり、一緒に帰還した少女は四年三組の生徒であった。須藤作品には珍しい拉致、脱走ものというべき作品。主人公の空が集めた童話に登場する魔女達が結集して、空を童話世界の住人にしようとするストーリーは、須藤スタンダードの老人描写と軽快なノリで展開されるが、「モノ」に愛好する者がその「モノ」に心を奪われ、支配され、現実世界を見失ってしまう危険性と恐怖を暗喩している。主人公が絵本の世界に引き込まれる描写は、スクリーントーンを駆使して、水が吸い込まれるようなイメージで構成されており、地上空間内に液体感を演出している。また、液体の流れるような表現と主人公の顔までトーンの切り絵で構成されている所には、後の『アクアリウム』の水中描写に通じる、須藤のトーンワークと切り絵テクニックがうかがわれる。ストレートな疑問として、本編では絵本の世界には魂だけが引き込まれる、という設定にみえるが、空たちが元の世界に戻ってきたときは絵本の世界での服装で、学校の教室に出現していた。ではそのとき空たちの本体はどうなったのか?

○「全国博物館ルポ」(続編)
 前冊『あゆみ』に収録されなかった分を改めて収録。人形(市松人形)、鳥類、恐竜、妖怪を紹介している。展示オブジェクトは、『あゆみ』同様一見奇怪なものを温かみある絵柄で親しみやすく紹介されており、(シリーズなので当然か)好感が持てる。所在地や開館時間、入館料設定が演出する不思議なリアリティは、アナログで作られたヴァーチャル博物館といった趣をみせている。ただ残念なのは、「人形博物館」の右半分のページが、『マヤ』ではモノクロで収録されていたため、シリーズの統一感がやや損なわれた印象がする。「博物館ルポ」シリーズ中の博物館情報は架空であるが、展示物の内容についての情報は割と正確である。(市松人形のゴム複製はフィクションらしい。また恐竜に関しては80年代以前の恐竜イメージが残っていて、今の目で見ると非常に興味深いものビジュアルイメージとなっている)

○「水間の民族」
 旅に出ていた新婚の夫婦、ゾエアとラピスが故郷に帰ったきた。しかし、ゾエアは旅の途中で受け取った手紙に書かれた湖に向かう。湖でゾエアを待っていた謎の人物は、湖の底に住む、一種の魚人であり、ごくまれに生まれる変異体であった。彼はゾエアの双子の兄であり、自分を湖に捨てた母に復讐するため、ゾエアの体と入れ替わる。魚人の体に入れ替えられたゾエアは、ゾエアとなった魚人を追うが…。須藤真澄唯一の(恐らくこれが)怪奇作品。魚人や水中生物の奇怪な描写は須藤らしからぬ怪奇性を演出しているが、水中が生命の源であり、彼らが生命新化の系統樹に実る果実であるという解釈には、水の世界には、帰るべき生命の故郷があるという、作者の他界観がみられ、”水”や”魚”をモチーフにした、後の須藤作品に通じるものが感じられる。ラストの、ゾエアと魚人が戦った後、共倒れして融合する展開は、水の世界と地上の世界との葛藤と、その結果としての”水”への回帰というものが暗示されているようである。
 この作品は全篇カラーであったらしいが、(原資料未見)『マヤ』にはモノクロで収録されている。そのため、作品の完全なイメージが伝わっていない点は残念である。ちなみにタイトルの「水間」(みま)は奈良県の地名にもみられるので、タイトルだけでは、作品の内容を連想しにくいので注意が必要である(笑)。

○「うさぎ」
 コンピュータグラフィックスで描かれた掌編。柔らかな光を放つうさぎたちが、安らかなる夜へと誘う。繊細なCGで描かれたうさぎとドットの荒い、昔のファミコン・ゲーム画面のような背景とが微妙な感覚で調和しており、見るものの心を和ませる。雑誌掲載時は二色カラー(週間マンガ雑誌のマンガにみられる、色数の少ない印刷で、赤っぽい感じのするページ)であったが、単行本掲載時にモノクロ収録されてしまった。その点が残念な所か。

○イラストコーナー
 須藤がこれまでに各種雑誌で発表したイラストや1コマ、4コママンガの絵から数点選んで掲載。須藤真澄の多様な表現感覚が味わえる。 
 
○「タコよ!」
 たこ焼きをめぐる若い夫婦のショートストーリー。全2ページ。たこ焼きの多彩な材料に驚き、奥深さを感じる妻が印象に残る。デビュー作「わたくしどものナイーヴ」入稿後に注文を受けて雑誌『デュオ』に掲載されたため、ある意味”もう一つのデビュー作”ともいえる作品といえる。

○「コトホギの日」
 文房具店兼駄菓子屋の娘は16歳。彼女には双子として生まれるはずであった兄がいたが兄は流産してしまい、彼は妹の体に共存する。正月一日元旦、駄菓子屋に一人の子供がやってきた。子供は妹の頭に兄の頭が連なっているイメージが見えるらしい。子供は妹から兄のイメージを抜き取ってどこかに去っていく。現実を受け止めた少女の精神的成長を祝日=寿ぎの日をモチーフにして描いた作品であり、連続シリーズものの最終回だけを抜き出したような印象を受ける。新年のイメージが持つ厳かさと、駄菓子屋の風景との調和が印象的。

○「雪魚の棲処」 
 南アジアのとある国、山麓の村に住むパダルは少女パニを無人となった古寺に案内する。二人は寺の古井戸から現れた巨大な魚に出会う。自分がこの世に生まれてきた理由を知りたがっていた魚に、パダルは村の人々を呼んできて、それぞれの意見を聞かせる。輪廻から開放して聖なる存在になるための修行、家族の成長、好きなお菓子を食べるためなど、村人達は懸命に答え、それらの言葉によって、魚は始めて「嬉しい」気持ちになる。その時、天からの声が響き渡り、出会った者の心を動かし、彼らの想いを伝えれば心は遠くまで行ける、と告げる。村人は魚の願いを聞き入れて魚を川に放そうとするが、途中で魚は息絶える。村人は魚の魂だけでも川に還してやろうと魚を焼き、焼いた遺体を食する。魚を特別扱いせずに、食物として。魚の想いを自らの肉体に受け継ぐために…。
 『天国島より』収録の須藤の猫エッセイコーナーにて”予告編”が掲載されていながら、これまで単行本に収録されず、掲載雑誌を読めなかったファンにとっては幻の傑作として長年謎とされてきたが、今回の『マヤ』にて初めてその全貌が公開された。生命の存在意味を魚を通して問いかけた作品で、舞台は須藤の好きな国、ネパールをモデルとしており、ヒマラヤの空気と異国情緒が物語に穏やかさと重みを与えている。作品中にみられる、ヒマラヤ山ろくの夕焼けから星夜へと至る光景は、スクリーントーンの濃淡によって、読者の脳裏に鮮やかなカラーを再現させるようである。

○「鶏頭樹」 
ある学校には「鶏頭樹」と呼ばれる大木が生えており、女子生徒のすぎなはその鶏頭樹と心を通わせていた。学校の生物部で誕生した棘つきの卵は、触れたものを鶏に変え、割れると周囲の者も全て鶏に変えてしまう。学校は対策に躍起になるが、学校は閉鎖となる。そして、鶏頭樹の姿は”鶏の頭”形に変化した。すぎなは終わらせて欲しい、という鶏頭樹の願いを聞き入れて鶏頭樹を伐り、一人学校に残る。すぎなは、この事件が夢であると思い、夢から覚める日を願いながら鶏たちと過ごすが、何日か経った後、全ての鶏と卵が死に絶える。その時、伐られた鶏頭樹から新芽が生え、聞こえてきた一番鳥の鳴声にすぎなは夢の終わりと現実の始まりを感じるのであった。
 この作品が掲載されていた当時(’89年)マンガ情報誌『コミックボックス』で原子力問題が取り上げられていたため、作品には原子力と放射能汚染のイメージが取り入れられている。人間の科学技術によって創り出されたものが人間を襲うというモチーフが取り入れられているが、 怪物を奇怪な姿ではなく、鶏と樹のイメージで表現している所に、日常の中に潜む恐怖心というものを描き出している。また、学校という”世界”の中で主人公すぎなの周囲にいた人間が鶏や卵に変身するという展開は、思春期を迎えた少女が自分を取り巻く世界が変化していく中で現実の実体を認識し、精神的成長を遂げるということが暗示されているように見える。ストーリー中での重要なファクターとなる、”鶏頭樹”は、中国の創世神話に登場する人類の起源、「オンドリ雷神」を髣髴とさせる。「オンドリ雷神」は神話世界の中心であり、世界と人類の始まりに深く関っているという。(百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』)この「鶏頭樹」は少女すぎなの精神的成長を、学校という空間における、彼女とその”世界”の死と再生という形で描いた作品とも言えるのであろうか。


作品:
    『マヤ』 2003年、創英社
                     


*1:
   「須藤真澄インタビュー」 『コミック・ファン』15号 2002年3月、雑草社
*2:
   『マヤ』59ページ解説/前掲1「須藤真澄インタビュー」
                                  
             
                                   
                           (文中敬称略)
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by konlon | 2008-02-20 00:37 | マンガ

 ソフトクリームのごとき口当たりが印象に残るファンタジーマンガ作品で知られる須藤真澄は、デビュー以来一話完結の短編読切作品を主流としてきた。それら短編作品は、日常生活の中に出現する、透明感に満ちた幻想世界を舞台としている。この幻想世界では、谷折り線状の輪郭線に、独特の長まつげと目じりをそなえたキャラクターが登場し、彼(女)らが画面の「静」と「動」が紡ぎ出すテンポに乗って展開する。これらの物語から生み出される音楽的イメージは、ファンタジー・マンガ作品のソフトロックとも言えるであろう。須藤の短編作品を集めた単行本として、雑誌『コミックボックス』掲載作を中心にした『観光王国』、『子午線を歩く人』、『天国島より』の三冊が出版されており、一種の”初期三部作”を形成している。須藤は『コミックボックス』以外の雑誌にも魅力豊かな短編作品を掲載しているが、それらの作品は単行本にまとめられることはなく、掲載誌を見ることができなかった須藤及びファンタジーマンガのファンにとっては実に残念な状態であった。そのような状況下でエンターブレインから須藤の作品集『あゆみ』が2001年に発売され、須藤真澄ファンやファンタジーマンガファンたちを喜ばせた。『あゆみ』は、本書発売以前の単行本未収録作品を、各作品を構成する主要モチーフ別に分類編集した作品集であり、1984年発表の雑誌掲載第一回作品、「わたくしどものナイーヴ」から2000年発表の「ほな」までの幅広い年代の作品が集められており、須藤のデビュー17周年記念企画的な要素も含んでいる。これまでの短編集に未収録の作品+『天国島より』以降発表の短編に、デビュー作の”解禁”は、須藤先生及びファンタジーマンガのファン達にとってまさに嬉しい一冊であった。この短編集には、須藤作品のモチーフに使われている、「老人と少年少女」や「人間の生と死」が前面に押し出された作品が集中しており、須藤作品の入門編としてもお勧めできる一冊であると言える。

○「椰子の木時計」
 太陽の照りつける浜辺を歩いていた一人の旅する男は、一本の椰子の木を見つけた。男は木陰に入ろうとするが、木の下にたたずんでいた少女に突き出される。そして、放射状に広がっていた椰子の葉が一箇所に集中して時計のように回転した。少女は日陰になった部分の砂から黒い帽子を掘り出して、男に差し出した。続いて、集まった葉は動いて、新たに影になった所から、少女は黒い瓶に入った飲み物を取り出し男に与える。少女は男が身に付けていた腕時計を欲しがっているように見えた。男はしばらく休憩した後、腕時計を少女にあげようとするが、少女はもうもらったと言う。男はそこを立ち去るが、男の影が固定された状態で砂浜に残っていた。椰子の葉はまた動き出し、葉の影が男の影に差し掛かると再び放射状に広がった。旅人と少女のモチーフは、短編「観光王国」(『観光王国』所収)の流れを汲み、「観光王国」の続編的作品となっているが(*1)、「観光王国」の”夜の街”に対して、この作品は”午後の浜辺”を舞台にしており、本作から感じられる”暑い空気”は、「観光王国」での”冷たい空気”と対比され、印象的である。水彩インク画の微妙な色合いが美麗な冒頭のカラーページと相まって、この「椰子の木時計」もまた、「観光王国」同様短編集のオープニングを飾るにふさわしい作品になっている。

○「深海プリズム」
 ある雨の日、少女の「るり」家にある鏡台の引き出しから深海魚が出現した。深海魚たちは光の糸を伝ってやってきたという。光の糸は、以前海に行ったるりが手鏡で海中を照らした時の光であり、鏡台の引き出しにしまっていた、その手鏡から深海魚たちはるりの家にやってきたのであった。部屋を暗くすると、深海魚たちの体から赤、青、白、緑などの、色のある光を放つが、彼らはその光の色が分からない。るりはプリズムを取り出して、そこに光を通す。深海魚は、プリズムを通して各色に分解された光にそれぞれ温度が違うことを感じる。それは彼ら深海魚たちが遠い昔に忘れてしまった懐かしい感じであった。コミカルにアレンジされた深海魚と少女るりのキャラクターが可愛く、これだけでも楽しい気持ちにさせてくれるような作品である。(特にオニアンコウ長老のデザインが味わい深い)モノクロ画面でありながら、深海魚たちが色つきの光を発する場面には、色彩が読者の脳裏で再現されるようであり、過去に忘れた光と色を追い求めようとする深海魚たちの思いを強調させる。

○「まるい海まるい波」
 満月の夜、少女は拾ったビー球に引かれて月面に着陸する。月面には一人の老女がいて、ビー球は自分が先に見つけて、月に引き寄せたのだと言う。老女は、地球からビー球を集めて、宝物にしていた。白くて穴だらけの月を飾り付けてやりたいと思っていたのである。老女は月から見た地球が美しく見えるのであった。老女の集めたビー球が地球のように美しく見えた少女は、いつのまにかビー球を拾った路地に戻っていた。地球から見た月もまた美しく、ビー球よりも輝いていた。少女はそのことを月の老女に見せてあげたいと思うのであった。月に引かれる主人公の浮遊感とモノクロ画面で表現される”青”のイメージが印象的な作品。タイトルと違って本編では海や波は出てこないが、ビー球の青さと月の引力は海と波を感じさせてくれる。

○「フラワーバスケット~つたえ草~」
 老婦人アリストクラート家の庭に蓄音機形の不思議な花が咲いた。これはつたえ草といって、触れた者の心の中を花から声に出す。アリストクラート家のつたえ草から季節外れのセミの鳴き声が聞こえてきた。地下にいるセミの幼虫が地上に出て歌う日のために心の中で歌の練習をしていたが、誰かに歌を聞いてもらいたい思いがつのってつたえ草の花を咲かせたのであろう。近所に住む老博士フライアットは地下のセミたちと協力して、アリストクラートの誕生日をつたえ草の合唱で祝うのであった。フライアット博士と助手の少年アメデオとの掛け合いが楽しく、物語全編に穏やかな日光を感じさせてくれるような作品であり、アリストクラートになかなか誕生祝いの言葉を伝えられないフライアット博士がほほえましい。解説によると、「フラワーバスケット」はシリーズものになるとのことであったが、実現していれば、不思議な花が毎回登場するシリーズ構成の、「振袖いちま」とはまた違った雰囲気のするシリーズになっていたであろう。

○「ゆきあかりのよる」
 ある大雪の日、赤くてくせ毛の少女あかりは雪の精の老人に出会う。前日、あかりは友達で、黒く真直ぐな髪の少女小夜とケンカしたため機嫌を悪くしていた。あかりの髪がかわいいと言う小夜の言葉に対して、自分の髪を気にしているあかりは、小夜にからかわれたと思っていたのであった。雪の精は、真直ぐな髪の小夜があかりの髪をかわいく思って素直に口にしたのだと諭す。あかりは雪の精の”のーてんき”を分けてもらい楽しい時を過ごし、小夜と仲直りした。冒頭の1ページ全体にわたる、降雪の場面をはじめとする、「雪の日」の描写は、雪のイメージとして使われる”雪の結晶”のモチーフを一切使わず、肉眼で見た雪のイメージを重視しており、作品全体から冷たくも暖かい気温と、静寂さが感じられる。そのような「雪の日」を舞台にした、少女の温かい心と雪の精の優しさとはかなさが伝わってくるような一篇である。

○「全国博物館ルポ」
 珍しい深海魚や爬虫類、キノコ、蝶を架空博物館の形式で紹介している。全編手書きのカラーで描かれており、暖かみのある描写は一見奇怪に見える展示物を嫌悪感なく紹介している。また、各博物館の構成が詳細に解説され、所在地や開館時間、入館料の設定とともに不思議なリアリティを演出しており、アナログで作られたヴァーチャル博物館といった趣をみせている。

○「天のおさる」
 世界一高い山の頂上にある、大木に住んでいる一匹の猿が下界に降ってきた。街に出稼ぎに来ていた少女は、偶然その猿と出会ったため、少女の里帰りと同時に猿を住処に帰すことになった。寺院に来たところでしっぽを数珠繋ぎにした猿の群れが猿を迎えに現れた。こうして猿は無事山に帰すことができ、少女もまた故郷に帰ることができた。須藤の好きな国の一つであり、数回足を運んでいるネパールをモデルにした国を舞台にした、異国情緒豊かな短編であり、作品中に登場する猿のデザインはマスコット的であり、須藤のデフォルメ感が多分に発揮されている。

○「100,101」 
 とある青年の家にやってくる、100人目と101人目の幽霊のお話。100人目は少女の幽霊、101人目は今は亡き青年の祖父の霊であった。死者と生者との係わり合いが穏やかに描かれている作品であり、特に主人公の青年と彼の祖父との対話には、「思い出」を通して「過去を伝える者」と「過去を受け継ぐ者」との係わり合いが描かれており、須藤作品のカラーを実感させる。若くしてこの世を去った少女の霊と老衰死したと思われる祖父の霊との対比は、作品にアクセントをつけ、彼らと主人公との対話を印象的なものにしている。
 主人公の青年の部屋に現れる少女や祖父の幽霊は、青年や周りの人々に危害を加えるわけでなく、単にこの世とあの世との接点上を通過しているだけ、と言う感じであり、死者霊の持つマイナスイメージを脱して、テンポよく物語が展開する。主人公の青年が洗濯物吊りを頭に被ると空を飛んでいるような感じがすると話す部分は、須藤自身の夢がルーツになっているという。(*2)ビールを飲んで泥酔する少女の霊のお茶目さは必見(?)。

○「わたくしどものナイーヴ」 
首吊り自殺を図った女子高校生、神馬笛子(じんば ふえこ)の霊魂は、下界への扉をくぐって地上に降りるが、そこには自分と全く名前と姿の少女がいた。笛子は自分とは別の笛子がいる平行世界に来てしまったらしい。平行世界の笛子は、暗い性格のまま、死んでも死に切れずに鬱屈している笛子を立ち直らせ、天国に返そうとする。しかし、笛子は自力で天国に戻れなかったため、平行世界の笛子は睡眠薬を用いて自ら霊魂となり、笛子を天国に送った。天国に上がった二人は、笛子の捜索に出ようとしていた天使たち(東洋の仏像風の姿をしている)に捕まったが、生命力の充満している笛子´だけでなく、笛子までもが生命力を取り戻しつつあったため、下界に戻された。もう一人の自分に説教されて、生きる気力が戻ってきた笛子は、当分の間幽霊として、笛子´と行動をともにすることになった。
 1984年に須藤真澄の雑誌掲載第一作として発表された作品であり、「生と死」がテーマになっているにもかかわらず主人公二人の掛け合いが楽しい。死者の魂を主役としていながらも、決して陰鬱とした雰囲気にはせず、反対の性格をもつ、平行世界でのもう一人の自分との掛け合いをコミカルに描き、”ポップ”な(*3)短編としてまとめられている。また、笛子と平行世界の笛子の二人が主役となる物語の展開から見て、今後のシリーズ化を予想される作品でもあった。このダブル主役は、後の『アクアリウム』や『振袖いちま』の原型としての点が見られ、「ナイーヴ」に見られる「生者の自分」と「死者の自分」との関係は、前者に見られる”「この世」と「あの世」との関係”や後者の”「過去の人」と「現在の人」との関係”のテーマへと発展していくことを想起させる。もしこの「ナイーヴ」がこのまま連載されていたらどうなっていただろうか想像させられ、興味が尽きない一篇といえるであろう。

○「ほな」
 土の外に出るとわずかの命しかない昆虫を主役に、須藤の好きな河内音頭のモチーフを加えた短編。河内の地中で河内音頭を毎年聴いていた主人公は、土ごと東京に運ばれ、そこで羽化した。河内に帰れない主人公は出合った同族の昆虫に勧められて木の上で河内音頭を謡う。河内から仲間がやってくることを願いながら…。擬人化した昆虫のキャラクターによって展開される作品であり、主人公は浴衣姿の少女の姿をしている。(”抜け殻”は提灯の形で表現)主人公に河内音頭を謡うよう勧める昆虫は、羽化した同世代の存在でありながらなぜか須藤作品でおなじみの老人の姿であるが、「老人」というものに対する須藤の思いがそこから感じ取れるようである。また、本作では、わずかの時間しか地上で生きられない昆虫を通して、限られた「時間」の枠内において命の密度を濃くすることの意味を問いかけている。この他、前掲の「フラワーバスケット」と併せて読むとより深く味わえるであろう。
ちなみにタイトルの「ほな」は、関西弁で「じゃぁ」の意味であり、河内出身の主人公が河内に帰ろうとしたときに「ほな!」と言ったことから、主人公のあだ名にもなった。


作品:『あゆみ』 2001年、エンターブレイン
                     
    註
*1:
1998年の『JUDY』発表当時、須藤のHP上で「椰子の木」と「観光」に登場する旅人が同一人物であるという作者コメントが掲載されていた。
*2:
「須藤真澄インタビュー」 『コミック・ファン』15号 2002年3月、雑草社
*3:
”ポップ”について言えば、「ナイーヴ」掲載当時、扉に「ポップにデビュー」とのキャッチコピーが添えられていた。冒頭いきなり主人公が天国で東洋風な容姿をした天使と出会う展開において、須藤自身も気付かぬ”ポップさ”が作品にあったたためなのかと作者は『あゆみ』中の解説で述懐している。

                                  
                           (文中敬称略)
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by konlon | 2008-02-19 12:58 | マンガ

好きひと年を

2008年もはや二ヶ月目に入りました。我が空琉文化館は、本年もこの世のオモシロく、フシギな物事を心のままに追求していきたいと思っています。今年が”新たな念”を呼び起こせるような好きひと年となりますように!本日は旧暦の元旦です。新念の年となることをお祈りし、改めて新年のごあいさつとさせていただきます。
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by konlon | 2008-02-07 12:44 | マンガ

天国島より

 須藤真澄先生の最新刊・『庭先案内』第三巻と『どんぐりくん』四巻がいよいよこの10月最終週に発売されます。新刊発売記念として、須藤先生の初期ファンタジー短編集を紹介してきましたが、今回は『観光王国』、『子午線を歩く人』に続く初期短編集三部作の最後を飾る『天国島より』の紹介です。夢の世界に隠された、現実世界で生きる意味というものを読者にさりげなく示しているような、須藤先生の描く日常世界に一瞬入り込む幻想世界の姿が確立していく様子が初期のシリーズ終盤に位置するこの作品集から伺われるようで、興味深いです。
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 『天国島より』 ―永遠の時間―  by空ドラ

 『天国島より』は、1989年終わりから1991年初めにかけて『コミックボックス』などの雑誌に掲載されていた須藤真澄の短編作品をまとめた作品集で、『観光王国』(89年初版)、『子午線を歩く人』(90年初版)に続く短編集第三弾に当たる。特徴の一つとして、全二冊に比べて、後半には須藤の飼い猫である「ゆず」との生活をつづったマンガ作品が収録されており、後の『ゆず』シリーズ(93年以降)に代表される須藤流猫マンガの原型がそこに見られる点で興味深い作品集でもある。

○MUSEUM
 フルカラーの口絵。「天国島より」/「天国のつづき」の主人公、小桃(シャオタオ)が町で不思議な見世物を見る。それは万華鏡であった。フルカラーで万華鏡のイメージを色彩豊かに描き出されている。

○「天国島より」/「天国のつづき」
90年と91年にマンガ情報誌『コミックボックス』で発表された短編で、中国風デザインのキャラクターが登場するファンタジー作品である。主人公の小桃(シャオタオ)は、永遠の時を生きる人間と竜の住む島に住む少女で、15歳を迎えた時に「儀式」によって永遠の生命を得る予定であった。だが、姉に付き添って島で作った薬を島外の市場に卸しに行った時、町に心を惹かれ、市場で生活しようと決心した。小桃は限りある時間の枠にある、市場の人々が生き生きしていたことに驚嘆し、市場で暮らすことを決めたのである。限られた時間の中で命の密度を濃くできるのではないかと言う竜の言葉に共感した小桃は、時間の枠の中から大切に思う気持ちが天国であると思わしめた。そして、続編「天国のつづき」では、永遠の命をめぐる、島の住人と島外の人々との関係が描かれている。「つづき」では、人間は限りある時間の枠を、血族や大切に思う人たちとのつながりの中で重ねあって永遠の時間を紡ぎだしている事が主張されている。作者の感性が生かされた中国風デザインは東洋の神秘性にソフト感の加わった作品イメージを演出し、スクリーントーンに雲の形を切り抜いた空の表現は、"吸い込まれるような"空の広大さを感じさせ、作品の主題である「永遠というもの」を引き立てており、美麗で味わい深い作品となっている。

○「POSITIVE VIBRATION」
みずはとミカゲの双子の姉妹が主役で、お互い好きだと思う心を、みずはの「守る」行動と、ミカゲの「応援する」行動によって感じる「波」を、聴覚(ミカゲの応援を聴きながら行動)と視覚(みずはを見守り声をかける)で表現しており、姉妹の絆を耳と目のイメージで象徴した作品である。また、この姉妹の間で交わされる上方漫才を髣髴とさせる会話のやり取りは、後の『庭先案内』に登場する”関西姉妹”の原型がみられる様で興味深い。

○「コーヒー・カンタータ」
コーヒーをモチーフにして、人の一生と転生、夢の世界と現実世界との相互関係を描いている。コーヒーが好きだという須藤の感性が、画面の中からコーヒーの香りのように読者に伝わってくるようで面白い。

○「KNOCK!」
子供たちの間で死んだ生き物の「お墓」作りが流行しているという。その「お墓」から子供たちにだけ感じることのできる樹木が生えてくる。樹木が生えてくるとき、子供たちと建物が宙にジャンプし、着地する描写はまさに大地のノックであり、跳躍と着地には、重力の”重さ”を感じさせる描写である。

○「まばたきの祭典」
一千年に一度、全ての人が同時に瞬きするという。その時、人の核が空に開放される。開放された人の核が、空に舞い上がる様子は、透明感と浮遊感に満ちた、魂の世界を思わせる。

○「上方漫遊記」
 須藤の大阪旅行体験記。通天閣や当時開館間もない海遊館、黒門市場などの名所や、串カツ、ねぎ焼き、関東煮に入っている、”さえずり”という鯨の舌といった大阪特有の食べ物の話題がイラスト入りで紹介されている。須藤の目を通して描かれた大阪のイメージが印象深い。

○「ゆずの縄張(シマ)より」
89~91年間に、雑誌連載された、須藤真澄と飼い猫の「ゆず」との生活をコミカルにつづったエッセイ風作品をまとめ、単行本用に描き下ろしを加えたものであり、後の『ゆず』等に続く、猫マンガの作風を確立させた作品群だといえる。各エピソードからは、須藤とゆずとの「時間の枠」の重なりを感じさせてくれる。ゆずの描写について、初期では目が大きく、ひげの表現があったが、次第に小さな黒丸の目になり、ひげが省略されていくなどの、須藤の猫キャラクター作画パターンが確立するまでの過程がみられ、彼女の猫キャラクターデザインに対する試行錯誤を通して、須藤とゆずとの間で育まれていく、互いの愛情や絆が垣間見られ、心打たれるシリーズとなっている。

☆傷だらけの天使:本書初版発行当時の、ゆずの写真集(モノクロで掲載)
☆かいかいねこ・よわむしねこ:外から帰ってきたゆずが運んでくる蚤に、須藤は悩まされる。
☆はぢのうわぬり:須藤と『コミックボックス』担当(雑誌掲載当時)とのやりとり&ゆずが捕ってくる小動物について。「子午線を歩く人」の予告入り。
☆エリザベスさまの休日:ゆずの体に脂肪のおできが現れたため、入院・手術をすることに…。年末の仕事を終えて、安堵していた須藤に、ゆずの入院は非常に気がかりであった。手術後、ゆずは患部をなめないための器具・エリザベスカラーをつけて退院した。このとき、須藤にとっての心の休暇がやっと始まったのであった。ゆず不在に対する、須藤のショックと不安の描写が読者の心に響く。
☆改造計画:『コミックボックス』編集部は、作画ペースの遅い須藤の性根を叩きなおすため須藤家の環境を改造しようとするが、須藤は意外にも編集部の工作活動を巧みに(?)かわしてゆく。エッセイというよりは、作者自身を主人公にした、コメディ作品の色合いが強い。また、この回には、ファンタジー短編・「雪魚の棲処」の予告が入っていたが、単行本への収録は、2004年の『マヤ』まで待たねばならず、長い間幻の短編となっていた。
☆ジャイアントボロ:須藤の家に全身傷だらけのノラ猫が迷い込んできた。須藤はその猫 を”ボロ”と 呼ぶが、ボロは、勝手に家の中に入ってしまう。だが、ゆずが嫉妬してしまったので、須藤はボロを追い返さねばならなかった。
☆Home,Sweet Home:ある夜、ゆずが外出したまま帰ってこない。不安に駆られながら須藤は一夜を明かす。翌朝、須藤が目を覚ますと、家から追放したはずの、あの”ジャイアントボ ロ”の姿がいた。午後になって、右後足を負傷したゆずが戻ってきた。ゆず失踪の原因は、舞い戻ってきたボロとのケンカに負けて、家を追い出されたためであったのだろうと須藤は推測する。ゆずの傷はボロの持っていたであろう雑菌のため重く、一週間の入院が必要となった。須藤はボロの侵入を許したことを反省しつつ、ゆずに対する愛情を一層強めるのであった。

作品:『天国島より』 1992年2月、河出書房
      同新装版 1999年5月、河出書房

                                                 (文中敬称略)
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by konlon | 2007-10-28 23:36 | マンガ

子午線を歩く人

 今回は須藤真澄先生のファンタジー短編集第二弾・『子午線を歩く人』の紹介です。本書では、前書での主要なキャラクターであった少女や老人に加え、少年や医大生などのキャラクターも多く活躍し、また、明るく楽しい作品や物悲しい印象の作品、エッセイ風のページが収録され、作品集としてのバラエティ度が上がっています。その中でも、「月の赤ん坊」と「白い星 青い実」は、ともに”月”をモチーフに”死者の魂”を主題にした作品として、読み比べも味わえる、印象深い二作でしょう。
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『子午線を歩く人』 ―旅路の続き―   by空ドラ

 須藤真澄作品集『子午線を歩く人』は、前作品集『観光王国』に続く形で、1988年から1990年にかけて、マンガ情報誌『コミックボックス』中で「ピュア・ファンタジー・ゾーン」として掲載されていた読切短編を中心にまとめたファンタジー作品集である。本作品集は浜辺や公園、川岸の土手といった普段目にする場所で展開される幻想的な光景を主題として、日常世界に潜む異世界のイメージを可能な限りの表現方法で描き出している。

○「シオマネキ」
とある浜辺にポツンと一つ建っている、半球状の建物。そこはホテル・シオマネキと呼ばれ、満ち潮と共に流れ着いたもの達の一時(ひととき)の宿という。ある時、この浜辺に一人の老人が漂着してきた。彼はホテル・シオマネキから魂の旅路に出る―。この話では潮の流れに乗って死者の魂が流れ着くという事になっていて、その水中描写は後の『アクアリウム』へとつながっていく。また、この話が発表された時期が1989年であるところから、主役の老人が歴史上の著名な人物を想起させる。

○「天狗―あまつぎつね―」
少女は立ち入り禁止の山に足を踏み入れ、山の中で天狗に出会う。天狗は死者の魂を山の中心と思われる木の養分に変え、花を咲かせ、果実を実らせる。果実の中には勾玉形の種があり、天狗はその種「この世でいちばんいいもの」と呼ぶ。死者の魂の再生を、山と樹木のモチーフで描き、水のモチーフとは違う、須藤真澄のもう一つの死生観を見ることができる。

○「子午線を歩く人」
とある農村の学校に転校してきた少女柳原二三(ふみ)。彼女は環境学者の父と共に世界中を回っているという。二三は生徒達の残りご飯をもらって巨大オニギリを作り、「地球のツボ」を探り当て、そこにオニギリを入れた。彼女は地球の病気を治そうとしているのであった。二三の素性を明確にせず、二人の男子生徒の視点から物語を進行させることにより、二三のキャラクターに秘められた、地球と宇宙の持つ神秘性を読者に呼び起こさせている。

○「MOONY―月の赤ん坊―」
少女奏(カナ)は、友人を交通事故で失った事をきっかけに死者の魂について考えるようになる。姉のいさよに聞いても納得できる答えを得られず、友人との思い出が深い遠足の場所を訪れるが、「自分がいなくなる気持ち」を知ることはできなかった。月は問い続ける奏を見守るように子守歌を歌いかけてくる…。死者の魂についての素朴な疑問を全面的に扱った作品であり、作品全体に重くて物悲しい空気が感じられる。本作はマンガサークルが企画した、「自分の好きな中島みゆきの歌」のイメージマンガ集参加作品として製作された。

○「ビデオの喜び 1泊2日3なすび」
須藤真澄による、ビデオ化された映画作品の紹介で、文章とイラストが中心。紹介作品は、『山田村ワルツ』、『エレクトリック・ドリーム』、『ヒッチャー』、『マイク・ザ・ウィザード』、『エル・スール』、『バンドワゴン』(ヴィンセント・ミネリ監督、フレッド・アステア主演の作品)の6作品。コメディあり、サスペンスあり、芸術的作品ありで、ファンタジー作家・須藤真澄の、(80年代当時の)映画に対する多様な関心を伺うことができ、興味深い記事である。

○「カプセル」
魚の視線から見た海底基地(?)の短編(2P)。「そら」と読む「海面」という単語に、異界としての水中を意識させられる。

○「陽がまた昇ってしまった」
須藤の飼い猫ゆずとの生活をつづったエッセイマンガで、これが後の「ゆずの縄張より」シリーズを経て(『天国島より』収録)、『ゆず』シリーズへと発展していく。後の”ゆず”系作品と比べて、ややぎこちない物語展開と、リアルな猫の姿を残した絵には、”ゆず”に対する愛情を精一杯伝えようとする、作者の試行錯誤が伺われる。

○「ピュアファンタジーの小部屋」
須藤真澄の好きなネパール、レゲエ、ミュージシャンのユッスー・ンドゥール、水族館、酒類についての紹介。(文章、イラスト)

○「アキラちゃんバトルスモーク」
医大生の青年アキラは、禁煙のため、友人の体育大生である、ゲンのアパートに泊まる。アキラは、禁煙による禁断症状によって、幻覚を見る。その幻覚はゲンの部屋にあった雑誌のモデル嬢の影響で、モデル嬢のイメージを投影していた。幻覚のイメージ描写はモデル嬢の姿とパフォーマンスが中心で、「アスパラガス・ハイ」のトリップ幻覚とは違ったコミカルな描写である。幻覚に指導されたためか、アキラは禁断症状の克服を成し遂げて、自宅に帰ってゆく。ゲンの部屋で宿泊する、ひ弱なアキラと強健なゲンとの対比が面白く、作品にリズム感を与えている。ちなみに、アキラの目の表現は、作者である須藤の自画像の目と同じサクランボ型のデザインであるが、作者自身の経験が形を変えて描かれているのかもしれない。

○「OASIS」
鳩の害をきっかけにして始まる、土地とそこに住んできた生命との関わりを描いた物語。新築のおしゃれな家を鳩に害された男はやってくる鳩の頭を刈り取って制裁を加えていた。近所に住む少年は男を問いただすために、男の家を訪ねる。家の屋根は鳩の家でもあり、鳩など気にしていないと言う少年に対し、男は自分の家を守って何が悪いのかと答える。人生をかけてようやく手に入れた土地と家を鳩の糞で汚されたくないのだ。その時、轟音とともに男の家は地中に陥没した。陥没した穴で主人公の少年が見た古代生物の姿は、太古より現代に至る、その地に住んでいた生物たちの存在していた証明であった。土の映し出す古代生物達の映像は、その土地に宿る記憶として、太古よりの生命の流れを感じさせてくれる。生命との関りを持たない、単なる物体としての土地に固執したために、古代生物が化石にしか見えなかった登場人物の男の哀れさも印象に残る。
ちなみに、本作のコマの中に、作者の須藤真澄と飼い猫の「ゆず」の姿が確認され、ストーリー中ではゆずの頭も男によって刈り取られてしまう。

○「これから生まれる竜の話」
増尾課長は部下に誘われ、とある作業場に行く。そこは、未確認生物の製造場であった。課長はネッシーの製作現場に案内され、課長が製作に参加しているのだと部下から告げられる。ネッシーの手触りを確認した直後、課長は夢から醒める。課長の机には”魚竜”(正確には首長竜。ネッシーのモデルとされる古代生物。)のジグソーパズルが作りかけで放置されていた。課長はパズルを作っている途中で眠ってしまい、製作中の魚竜のイメージとなって、彼の夢に投影されたであった。架空生物の存在意味と人間の夢の世界をテーマにした作品であり、ネッシーなど、未知の生物を製作する作業員たちが、巨大な骨格に表皮を貼り付ける作業シーンは、原寸大の模型を制作しているような感覚で描かれ、その手作り感はユーモラスである。

○「白い星 青い実」
人間の脳は全体の一割しか使われていないと言う。残りの部分は何のために使われるのか?本作はこの問いに対して、死者の魂と月の実体を通して、アプローチを試みている。本作では人間の脳は月を動かすためであるといい、月の実体はもう一つの地球のような、青い球体であると述べられている。主人公の少女は、亡き両親の魂がこの球体に宿っているのだと思った。人間の未知の能力を、死者の魂、月、海、魚のモチーフを用いて、モノクロ画面に色彩があるかのように表現している。
同じ月をモチーフにした、「月の赤ん坊」に比べて物悲しさは薄く、現実に向き合って生きて行こうする、前向きな雰囲気が漂っている点も興味を引かれる作品である。

○「このはなさくや」
桜の花と老女を主要モチーフにした、優しさにあふれた作品。画面から桜の花びらの淡い色彩と、その香りが伝わってくるような印象を受ける。須藤真澄の得意(?)とする、バリエーション豊かな老人描写も充分に味わえる傑作でもある!?

○「今宵楽しや」
雪の日の酒屋で、酒屋の老主人は、孫の真澄と”座敷わらし”呼び寄せようと、客を集めて雪見酒をする。老主人と真澄の楽しそうな表情が印象に残り、雪景色と酒屋との対比により、作中に伝わる、酒屋の暖かい空気と外の冷えた空気の感覚が作品の味わいを深めている。


『子午線を歩く人』   1990年9月、偕成社
        新版   1999年9月、エンターブレイン(旧アスペクト) 

                                                
(文中敬称略)
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by konlon | 2007-10-25 20:45 | マンガ