空琉館通信
2012-09-09T10:50:02+09:00
konlon
パーソナル文化研究所・空琉館の情報誌的ウエブログです。
Excite Blog
ロックの日2011だから…
http://kondra.exblog.jp/14924090/
2011-06-09T15:33:42+09:00
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R&Bをルーツに持つロックンロールは、大衆文化から生まれて、激動の時代であった二十世紀の荒波を乗り越え、今やCDショップやMP3オンラインストアの花形として、現代音楽文化のいち主流として、日常生活の一部に溶け込んだ音楽ジャンルといえます。
ロックの日には、ビートルズからクイーン、トッド・ラングレン、そして忌野清志郎といったスーパースター達の名曲を聴きながら、短くも深いロックンロールの魅力豊かな歴史を再確認しましょう、という趣旨なので、本日はできるだけ多くのロックを聴く日です!つまり、いつもより多くロックを聴ければそれだけ幸せな気分になれる、ということでしょうか。 さて、ロックの日ということで、ロックンロールに因んだオリジナルストーリーを即興で作ってみましょうか…。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『軽楽戦隊ジョーマイン』でも夢想してみましょうか…。少年少女バンドがスーパーヒーローみたいなこともやってるというような設定で。
時代は21世紀初頭、女子高校生の「アリタ・キイ」は、ロックファンでガチのレコードコレクター。ある日、彼女
は予約していた中古レコードを取りにいく途中、正体不明の怪人と遭遇。襲撃を受けるが突如現れた謎の2人組に助けられる。
キイを助け怪人を撃破した2人組は、高2と中2の姉妹「ミィ」と「マイ」であり、イロモノコミック系バンドを使って世界の音楽界を邪悪とカオスのマインドパワー・「ジョークフォース」で征服しようとする闇の組織「ポンチャー」の侵攻に備えて、超国家的安全対策機構「今仁(ナウジン)」によって創設された特殊戦闘部隊「ジョーマイン」のメンバーとして、ポンチャーの怪人「笑歌人」の探索・撃退および戦力強化のためのメンバー探しを続けていたのであった。
ポンチャーと世界の危機を知ったキイは、始めは戸惑うも、ロックを愛する人々の笑顔を守るため、正当ロックを再興し世界平和を建設するため、そしてイロモノでない正当なロックこそ世界共通の平和理念であることを再び世に示すため、メンバー加入を決意する。その後、キイの同級生で元ドラマーの「ルン」をメンバーに加え、ジョーマインは本格始動した。
ジョーマインは、表向きはロックバンド「スイートエッジ」として活動しているが、ポンチャーの差し向ける笑歌人を発見しこれを対処する際には特殊強化スーツを着用して「マインカラーズモード」に変身して笑歌人と戦うのである・・・。
ポンチャーとは、人造合成生命体「イカルス・ポンチ」を首領に、イロモノ音楽から発するジョークフォースの歪曲のエナジーで、世界を悪意に満ちた混乱の時代に変えようとする国際的非合法組織であり、作戦用に合成された笑歌人を使って、一般社会の内部から改変行動を開始した。
ジョーマインのメンバーは、ロック演奏によって増幅された「アースソウル」をエネルギーとして、各種パート別の楽器型サポートマシンを駆使して、ポンチャーの笑歌人をサーチ&デストロイするのである。
正当ロックによる世界人類の幸福(しあわせ)とハートを守るため、ジョーマインは日夜闘い続けるのだ・・・。
まあ、こんな感じかな。主人公のキイはジョーマインの「マインロート」となって、バンドではキーボード&ヴォ
ーカルとして活動をするのだが、ズブの素人だから1から始めることになる。彼女はバンド活動を通じて、最
強のアースソウルを持つ天才的素養が開花して、最終的にはポンチャーの首領とに対抗できるスーパーマインドを発動する…。
ミィは「マインブラウ」でギター、マイは「マインピンク」でベース、ルンは「マインゲルプ」でドラムを担当し、途中で「トモ」(男子小学生)が新メンバーとなり、「マインシュバルツ」として、ギター担当として加わることになる。こうしてストーリーにアクセントがついてきて(のはず)一層盛り上がるのかな!?
ポンチャーの笑歌人は時々「笑角獣」に変身・巨大化するので、それに対抗するための合体ロボも一通りは用意されているはず…。操縦は楽器演奏で操縦し、必殺技「ホットロッカーシャウトクラッシュ」で笑角獣に止めを刺す。メンバー各パートの楽器型のメカが合体して、巨大ロボ・「マインジョン」となるのが基本だが、途中でメンバーが楽器パートを変更するのに伴い、強化パーツとしての新メカが加わることとなる。
ストーリーの展開は、ポンチャーとの戦いはあってもそう多くはなく、基本バンド活動がメインで少々ユルユル寄りなストーリーが続いていくのだが、終盤では敵味方キャラによるハードなドラマの比重が大きくなり、感動の最終回を迎えるはず…。
まあこんな感じイイかな、ロックの日オリジナルストーリーの概要は・・・。
「軽楽戦隊ジョーマイン」、くだらない思いつきでしたが、ロックの日との連動ということで、一気に語ってみました。]]>
東日本大震災から10日目
http://kondra.exblog.jp/14923852/
2011-03-20T00:00:00+09:00
2011-06-09T14:35:34+09:00
2011-06-09T14:35:34+09:00
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震災犠牲者のご冥福を心よりお祈りすると同時に、被災地域が一日も早くこの災厄から立ち直り、夢と希望に満ちた地域としての再建と復興を心よりお祈り申し上げます。
3月11日発生の「東北地方太平洋沖地震」による東日本大震災は、東北から関東地方にかけての東日本から長野県内まで及ぶ広範囲な地域に多大な損害を及ぼし、21世紀に入って以来の、最大規模の巨大災害となりました。
今回の震災の特徴として、地震による家屋の倒壊だけでなく津波による災害が多発し、三陸沖を中心に多くの地方都市が流出・水没し、多くの人命が失われました。また、震災によって福島県第一原発の原子炉が爆発事故を起こし、放射線問題といった非常に深刻な危機的状況を抱えています。
被災地域では、住人達が学校などの避難所暮らしを余儀なくされている所も多数見られ、震災を受けた地域にある寺院や神社も、被害が少ない所では、非公式の避難所として使われています。しかし、非公式ということで援助物資が届かない等の問題が現れているといいます。古くからお寺や神社は、地域文化の重要拠点として、古くから住人達を精神面で支えると同時に、地域に密着した、身近な集会所として機能してきた事を考えると、役所等の地方行政との連携をより密接にすると同時に、寺社が属する各宗派による支援もより積極的に行われることが重要に思われます。
今度の東日本大震災では、東北地方に多くの寺院を持つ臨済宗妙心寺派などの仏教各宗派が、地震発生直後から災害支援のための行動を行っています。寺院を中心にした地域社会での復興のためにも、本山および同宗派の各寺院とのしっかりとした連携で、被災住人達を精神面からも支えていくことが今後必要となるでしょう。今回の震災では寺院も多数被害を受け、津波で堂舎や墓地が流された所も少なくありません。また、甚大な被害を受けた葬儀場も多数見られます。しかし、今後は震災地域の復興において、住人の精神面での結びつきを一層強くするためにも、地域文化の一端を担う施設である寺院の役割はより重要となることでしょう。地元の僧侶が自地域住人の心のケアにどれだけ役割を果たせるかが今後問われる事となるであろうと考えられます。多くの宗派に分かれていますが、神仏に仕え、地域に住む人々の幸福を守るために、伝統に守られた法要、神事、祭礼を執り行うのが、伝統宗教者の基本的な役目であり、そこに存在意義があることは確かなのですから。
「東北地方太平洋沖大地震」の被災者が、地域ごとに伝わる伝統文化の支えのもと、震災の不幸を乗り越えて少しでも早く立ち直り、以前よりもっと良い、「強度」のある「郷土」を再建されることを願っています。
◎『私家版・「鯰絵大作戦」』
幕末の安政期に大地震が発生した際、鹿島神宮の「要石」で、地震を引き起こす元となる地底の鯰を押さえ込むモチーフの風刺画が数多く出回り、それらは「鯰絵」と呼ばれています。
上記のサイトでは、伝統的な要石モチーフの踏襲から現代的な自然との「共生」概念が込められたもの、前衛的な様式で再構築されたもの等、ポップカルチャーに代表される現代大衆文化の様式によって描かれた「鯰絵」が集められています。
今回の東北地方太平洋沖地震による東日本大震災に際して、震災の痛手に負けずに乗り越えようとする人々の思いを、再び「鯰絵」に託して、復興への心の支えとしていきたいものです。
(※ 姉妹blog『Cool館通信』と同内容の記事です)
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佳き新然に!
http://kondra.exblog.jp/14118074/
2011-02-03T15:55:41+09:00
2011-02-03T15:55:40+09:00
2011-02-03T15:55:40+09:00
konlon
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さて、昨年の漢検による2010年の「今年の一文字」は、「暑」でした。「暑」は、「日」の下に「者」の字が付く字ですが、そこから連想される事は、ゼロ年代から2010年代に移り変わろうとする変動期だからこそ、燃え上がり光を放つ太陽の下(もと)に向かって、正面から何も包み隠さずに向き合えるような自身と勇気を持つ必要がある、という事でしょうか。不幸や悲しみを伴って創られる新時代への変革では、後々疚(やま)しさだけが太陽の下に浮き上がり、目を背けてしまう事となるでしょう。
時代の一区切りとなるであろう2010年代最初の一年は、誰にでも恵みの光を注いでくれている太陽の慈しみを常に意識しつつ、疚(やま)しいもののない、常に新しくあり続ける精神で以って、佳き「新然」となる事を願っています。
当個人サークル「空琉文化館」は、これからも世の中の楽しく愉快で、魅せられるオモシロイ物事を追い求め、紹介ていきたいと考えております。
更新はあまり進まず停滞気味の傾向なのが現状ではありますが、どうぞお楽しみください。
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『梅鼠』
http://kondra.exblog.jp/13829591/
2010-12-17T00:00:00+09:00
2010-12-17T14:14:39+09:00
2010-12-17T13:37:55+09:00
konlon
マンガ
-ますびファンタジー・ザ・ベストPart2-
●kongdra(空・ドラ)
人間世界における日常の盲点を縫って訪れる異界…。それは現世において、"神"の声を聞き姿をを見ることのできる者と接触する。「むすめ」と「じじばば」は、異界への扉に最も近い存在であり、"神"が人の姿を借りる時に見せる現身の姿であるという。少なくともファンタジーマンガの須藤真澄にとっては…。異界からの来訪者に誘われて、日常から異界、そして再び日常へと帰っていく人々の小さな「物語」を、「少女」と「老人」のキャラクターを案内役として描き、スクリーントーンを駆使して描かれた背景との、「画」と「話」と「技」のハーモニーによって、ソフトロックを思わせるグルーヴを醸し出し、読者の心に余韻を感じさせるのであった。
須藤真澄のファンタジー(幻想)短編は、 「ピュア・ファンタジー・ゾーン」から「庭先案内」を経て、「庭先塩梅」シリーズへと移り変わる中で、須藤による「画」と「話」と「技」の三要素によるハーモニーは、より洗練され、より冴えを増して、ファンタジーファンに新たな感動と新たな読者を現在も呼び寄せている。
今回、須藤のライフワーク的存在となったファンタジー短編の新シリーズ、「庭先塩梅」の開始にあたって、『庭先案内』2巻までの過去の単行本から須藤本人の作品セレクトによるベスト版が登場した。作品の中でストーリーの中核に用いられている「むすめ(少女)」と「じじばば(老人)」の各モチーフごとに分けた二巻構成で、少女を象徴する「萌葱」、老人を象徴する「梅鼠」のカラーコンセプトが取り入れられている。この二冊には、'80年代から'00年代半ばまでの、各時代の須藤ファンタジー作品が集められ、「ますび」こと須藤真澄の約20数年の歴史も味わえる逸品として、須藤ファンタジー入門編としての性格も備えている。
今回の『梅鼠』は、「ピュア・ファンタジー」や「庭先案内」の他、須藤の最初期の作品や80年代後半の少女誌掲載作もバランスよく収録されており、須藤真澄のマンガヒストリーを追体験できると同時に、須藤が捉えた、顕現化した「神」としての「じじばば」というものを感じさせてくれるベスト版になっている。
巻末には作家の有川 浩による、『梅鼠』の解説が収録されており、「むすめ」と「じじばば」を通じた、須藤の死生観についての考察が興味深い。
『梅鼠』
コンセプトカラーは日本画で使われる『梅鼠』色。「経験」と「記憶」が生み出す落ちついたイメージで、「じじばば」の先導者あるいは伝承者としての存在を神秘的に象徴している。
○「昼と夜」(『ナナカド町奇譚』より)
七つある「角」に不思議な事が起こるという町がある。この町に引っ越してきた少女「なのは」は、
七つの角の一つに当たる剥製屋を訪れる。そこには、全く同じ容姿をした老年男性の店員が待っていた。剥製という「死」を前提にした「生」の証明をモチーフに、受け継がれる生命の重みを、双子の兄弟、そして昼と夜の対比効果を用いて読者に伝えている。ここに出てくる双子の老人は、昼と夜をそれぞれ司る「神」を思わせ、明暗のコントラストが生み出す清涼感をもって、少女「なのは」と神との接触を描いている。
○「幻燈機」
中央アジアの内陸部にあるとある地域に、一人の老人がオートバイに乗ってやってきた。彼の持つ幻燈機は海の景色を映し出し、子供達を喜ばせる。だが、この景色は、老人の息子が命を落とした場所であった。幻燈機は、老人の印象に強く焼きついた、悲しい出来事を記憶していたのだ。だが、幻灯機には滞在地で映した海を見た少女の姿が追加されていた。嬉しい出来事も幻灯機に記憶されることに老人は気付き、再び旅を続ける…。旅を続ける老人の姿には、過去の過ちに対して許しを請う人間の姿と同時に、道中で出会った人々の罪や穢れを背負って遍歴する「神」のイメージも感じられる。中央アジア内陸部の質感ある描写とトーンによる波の映像や背景の山並みが老人の心境を引き立たせていると同時に。「じじばば」のビジュアルから導き出された、須藤真澄における「神」のイメージも強調している。
○「黄金虫」
「錬金術」がこの世に存在する世界で、女子学生「木乃枝(きのえ)」は、錬金術師を目指して錬金術学校受験に望んでいた。ある日、木乃枝は突然開店した錬金術用の材料店を発見し、足を運ぶ。店には赤ん坊を抱いている老女が店番をしていた。老女は、実技試験に不安を抱く木乃枝に、自分達が心の足場になってあげると励ました…。
須藤真澄初期のファンタジー短編であり、『萌葱』&『梅鼠』収録作品の中では最初期の作品にあたる。学校生活に終わりを告げ、それぞれの進路を進む友人達との溝に悩むと同時に、新しい世界としての、自分の選んだ進路である、専門分野へ進んでいく不安を抱いた少女が、自分の"分身"に出会い、成長していく物語を、錬金術という呪術的モチーフと絡めて描いている。須藤の学生時代の経験が反映されたと思われる物語設定には、経験に裏打ちされた感覚的なリアリティが感じられると同時に、自分の過去と未来を、赤ん坊と老女のイメージに託したビジュアルは、自己の中の"神"的な存在とそれらとの対話による自己啓発を暗喩しているかのようにみられる。
○「桜風」
満開の桜並木の下で、お笑い芸人を目指す少女は40年前、彼女が生まれる前に失踪した祖父に出会う。失踪していた祖父は、少女がラジオのお笑い番組に投稿していた事を知っていた。祖父に憧れ、この桜並木の場所でかつて祖父がしていたように、漫才のネタを考えていることを少女は祖父に話すのであった。そして、桜の花びら舞い上がる風に乗って祖父は消えていった。母親からの電話から、祖父は亡くなっていたことを少女は知るが、彼女は祖父の存在を確かなものにしたのであった。
「漫才」を通して受け継がれる、家族の心のつながりを、桜のイメージ使って効果的に表現している。祖父の実体が桜の花びらとなって風に乗っていく様子は、儚いながらも未来への希望を託された少女に決意を促しているように感じられる。横山やすしをモデルにしたと思しき祖父のキャラクターや上方漫才風の会話など、上方芸能に高い関心を寄せている須藤の嗜好が作品中に反映されていて面白い。東京の芸人が上方言葉に頼るなという祖父の台詞も、東京出身の作者の微妙な立場がみられ、なかなか興味深い。
○「ゆきあかりのよる」
ある大雪の日、赤くてくせ毛の少女あかりは雪の精の老人に出会う。前日、あかりは友達の少女小夜とケンカしたため機嫌を悪くしていた。ケンカの原因が小夜の素直さにあったあかりは、雪の精に諭される。あかりは雪の精の”のーてんき”を分けてもらい楽しい時を過ごし、小夜と仲直りした。
モンゴメリの小説/名作アニメの『赤毛のアン』に対するオマージュも込められた、少女誌掲載作品。老人の姿で描かれる「雪の精」と少女との出会いを通して、身近な友情を再確認するという内容のストーリーで、「雪の日」を舞台にした、少女の温かい心と雪の精の優しさとはかなさが伝わってくるような一篇である。冒頭の1ページ全体にわたる、降雪の場面をはじめとする、「雪の日」の描写は、雪のイメージとして使われる”雪の結晶”のモチーフを一切使わず、肉眼で見た雪のイメージを重視しており、作品全体から冷たくも暖かい気温と、静寂さが感じられる。
○「桜東風」
老女「りう」と川の水温計りで有名な老人「江戸一」との心の交流を描く。川の水は、桜橋の下を流れる所で心を通わせるのに最適な水温になるという。須藤のホームタウンである、東京都墨田区の下町を思わせる町を舞台に、夏の日常で起った小さな出来事を描いている。超自然的なビジュアルは比較的おとなしいが、この世とあの世との境界に位置する"川"を通して、りうと江戸一との心が通い合う様子は、須藤ファンタジーらしい異界交流譚として存在感を放っている。背景を省略したコマが、夏の日の、気温が高さと爽やかな空気を感じさせる。
○「シオマネキ」
とある浜辺に半球状の建物が一つ、そこはホテル・シオマネキ。満ち潮と共に流れ着いたもの達の一時(ひととき)の宿。ある時、この浜辺に一人の老人が漂着してきた。彼はホテル・シオマネキから魂の旅路に出る―。この話では潮の流れに乗って死者の魂が流れ着くという事になっていて、その水中描写は後の『アクアリウム』へとつながっていく。また、この話が発表された時勢からか(『コミックボックス』1989年3,4月合併号掲載)、主役の老人が歴史上の著名な人物を想起させる。
○「私と彼女と洞窟で」
女子学生は幼い頃友達と遊んだ裏山の洞窟を訪れるが、そこには祖母とその友人たちが集まっていた。そして、女子学生の幼少の頃の姿をした少女が姿を見せた。裏の家の孫が女子学生の幼少の頃に似ていたので、近所で可愛がっているのであった。 秘密基地ごっこを接点にして、祖母と孫との絆と交流を暖かく描き、優しげな印象を読後に受ける短編である。
○「今宵楽しや」
雪の日の酒屋で、酒屋の老主人は、孫の「真澄」と”座敷わらし”を呼び寄せようと、客を集めて雪見酒をする。座敷わらしと楽しい一夜を過ごす事はできるのか…。老主人と真澄の楽しそうな表情が印象に残り、「雪見酒」の楽しさに臨場感が漂っている。作品中の「座敷わらし」は、もしかして「酒の神」なのでは?などと思いたくなるイメージが、作品のコマ(シーン)一つ一つから面白く感じられる。作中に伝わる、酒屋の暖かい空気と外の冷えた空気の対比感覚が、作品の味わいを深めている。
(文中敬称略)
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『萌葱』
http://kondra.exblog.jp/13829539/
2010-12-16T00:00:00+09:00
2011-03-09T15:33:54+09:00
2010-12-17T13:20:44+09:00
konlon
マンガ
-ますびファンタジー・ザ・ベストPart1-
●kongdra(空・ドラ)
人間世界で営まれる、何気ない日常の盲点を縫うように、異界の者たちがこの人間世界に訪れる…。ファンタジーマンガ作家の須藤真澄は、異界からの来訪者に誘われて、日常から異界、そして再び日常へと帰っていく人々の小さな「物語」を、「少女」と「老人」のキャラクターを用いて叙情豊かに描き出し、それらのキャラクターとトーンワークを駆使して描かれた背景とのハーモニーによって、ソフトロック的なグルーヴを醸し出し、読者の心に余韻を感じさせるのであった。
COMIC BOXの「ピュア・ファンタジー・ゾーン」に始まる、須藤真澄のファンタジー短編は、ファンタジー作家・須藤真澄の異界観および人間観が表出された作品群として、コミックビームの「庭先案内」を経て、「庭先塩梅」シリーズが現在継続中である。
今回、須藤のライフワーク的存在となったファンタジー短編の新シリーズ、「庭先塩梅」の開始にあたって、『庭先案内』2巻までの過去の単行本から、須藤本人の作品セレクトによるベスト版が登場した。作品の中でストーリーの中核に用いられている「少女」と「老人」の各モチーフごとに分けた二巻構成で、少女を象徴する「萌葱」、老人を象徴する「梅鼠」のカラーコンセプトが取り入れられている。この二冊には、'80年代から'00年代半ばまでの、各時代の須藤ファンタジー作品が集められ、「ますび」こと須藤真澄の約20数年の歴史も味わえる逸品として、須藤ファンタジー入門編としての性格も備えている。
今回は、「むすめ(少女)」を物語の主要人物として描いた、『萌葱(もえぎ)』編収録作品の紹介をしておこう。
『萌葱』
コンセプトカラーは日本画で使われる『萌葱』色。草木が若々しく育つイメージで、「むすめ」の発展性を神秘的に象徴している、と共に昨今の「萌え」系キャラクターの存在に対する、須藤真澄のアプローチであり、回答とも考えられそうだ。
○「天国島より」
主人公の小桃(シャオタオ)は、天国島と言うべき、永遠の時を生きる人間と竜の住む島に住む少女。彼女は15歳を迎えた時に受ける「儀式」によって永遠の生命を得ることになっていた。
しかし、姉の付き添いで島の薬を市場に卸しに行った時、その市場に心を惹かれる。小桃は限りある「時間の枠」で生を過ごす市場の人々を目にし、彼らが生き生きしていたことに驚嘆した。限られた時間の中でこそ命の密度を濃くできるのではないかと言う竜の言葉に共感し、市場で暮らすことを決めたのである。不死は生きていることにならないと思う姉と、三千世界全ての空にも憧れる空がないと思う竜の下心も小桃の心を動かし、彼女に時間の枠の中から大切に思う気持ちが「天国」であると思わしめた。
異世界の掟に従って生きる事を運命付けられた少女が、人間世界に触れる事で自分の存在を振り返るというストーリーで、仙人のモチーフを取り入れた中華的イメージが神秘性を際立たせている。異界の住人視点で人間世界を客観的に見つめる設定かたは、命の密度というものを考えさせてくれる。
○「It's a small world」
女子学生の少女が目覚めた所は、塀で囲まれた、円形の家の中だった。その部屋は可愛らしい壁紙が貼られていて、見知らぬおじさんやおばさん、老女が同居していた。
少女は戸惑うが、友人の飼っていた犬・「エダマメ」の姿を認め、家の正体と自分の状況を知るのであった。そして、ふるさとに還るための"お迎え"が塀を破って現れる。少女たち家の住人たちは"お迎え"に乗ってそれぞれのふるさとに還っていくのであった…。
人々の心の中に生き続ける"個人"をテーマにした作品であり、各人の記憶の中に「存在」として認められる人々や生き物を、"家(イエ)"のモチーフで表現している点が目新しく感じられる。巨大な提灯飾りをアオリで見せたり、"お迎え"が戦車のように塀を破って出現する超現実的なビジュアルイメージが、動的な迫力でもって静的な"家"のイメージと好対照をなしている。本作発表前に須藤の飼い猫が亡くなった経験が反映されたであろう物語設定により、"生と死"を描いてきた須藤作品の中でも特に際立った印象を与えている。
なお、It's a small worldというアトラクションがディズニーランドにあり、TDLのものが『おさんぽ大王』でも紹介されていたが、このアトラクションがタイトルの元になっていた事も推測される。
○まばたきの祭典
生き物の瞬きが、種ごとで一致する時があるという。少女は猫からその事を聞き、一千年に一度だけだという、全ての人間の瞬きが一致した瞬間を目の当たりにした。"一瞬"というものをテーマに、全人類が同時に行うという低確率の事態が招きよせる、神秘的な「異界」を空のモチーフで浮遊感豊かに描き出している。
○「天狗―あまつぎつね―」
少女は立ち入り禁止の山に足を踏み入れ、山の中で天狗に出会う。天狗は死者の魂を木の養分に変え、花を咲かせ、果実を実らせる。果実の中で育った勾玉形の種は、「この世でいちばんいいもの」だと天狗は言う…。死者の"魂"の再生を、山と樹木のモチーフで描き、『アクアリウム』に代表される水のモチーフとは違った、須藤真澄のもう一つの死生観、生命観を見ることができる。
○「メッセージ」
妹は最近、毎晩無意識に謎のメモを残す。その謎を解き明かすため、眠っている妹を姉は見張ることとなる。そして姉は、妹の耳から"七福神"が出現するのを目撃した。海外に出ている両親へのお守りとして、姉の描いた七福神に恵比寿の絵を描き忘れたことを知らせるため、七福神は妹の夢にアクセスしたのだという。須藤が関心を寄せている、大阪を舞台にした作品であり、上方漫才を思わせる姉妹のやり取りには、姉妹の仲のよさが強調されている。この作品は上方芸能的イメージが好評だったらしく、『アクアリウム』や『振袖いちま』に続く、新たなダブル主人公ものとして、後に大阪市在住のこの姉妹が関西地方で活躍するエピソードが、「庭先」シリーズ枠内で描かれる事になる。
○「早苗と青い子供」
少女早苗は、ふとしたことから河童に出会い、「河童の国」に案内される。村の子供たちの守り神として、一人に一匹ずつ河童が生まれるのだという。河童は十年後に子供の成長を見届け、死んでいく。水中の低重力感が感じ取られる「河童の国」の描写は、後の『アクアリウム』に連なる魂の世界の一形態が描かれ、注目される。作品には透明感があふれ、自らの宿命を受け入れて生きる河童の、切なく、悟りにも似た表情が読者の心を打つ。主人公が過ごす空間として、茅葺き屋根の民家など、一昔前の農村の風景を選んだ事も、作品の透明感をいっそう際立たせている。
○「天のおさる」
世界一高い山の頂上にある、大木に住んでいる一匹の猿が下界に降ってきた。街に出稼ぎに来ていた娘は、偶然その猿と出会う。娘は、里帰りの際、同時に猿を住処に帰すことになった。
須藤の好きな国の一つであり、数回足を運んでいるネパールをモデルにした、異国情緒豊かな短編。で作品中に登場する猿のデザインはマスコット的であり、猫のキャラクターとはまた趣の違った、須藤のたようなデフォルメ感が多分に発揮されている。
○「真夜中のみいさんはあさん」
ある猛暑の夜、下宿の女子学生(?)は旅行のため地球に訪れた宇宙人の一団に出会う。彼等が残していったリモコンは温度調節機であり、その効力は地球全体の気候を大きく変えるほどのものであった。須藤作品には珍しい、「宇宙人」が登場する短編であるが、宇宙人の素顔を見せない点に、隠された異界というものに存在感を与えている。"熱帯夜"をモチーフにして、宇宙人と地球人との、認識のギャップが引き起こす超常現象がテンポ良く描かれていて楽しい作品である。作品中のほとんどの場面において描かれた、主人公である女子学生の体表に浮かぶ汗の表現は、彼女の肉体が感じた"湿度"というものを、須藤のキャラクターデザインによって、あまり不快になり過ぎない程度に、読者の皮膚感覚に訴えかけるようなイメージを与えている。
○「コーヒー・カンタータ」
女子学生は公園でコーヒーポットを持った男と出会う。男の注いだコーヒーを飲んだ女子学生は、男の過去と未来を目の当たりにした。男の夢の中だというそのビジョンを通じて、女子学生は現実世界で生きる意味を思うのであった…。「コーヒー」と「夢」をモチーフにして、人の一生と転生、夢の世界と現実世界との相互関係を描いている。公園ののどかな雰囲気が、作中のコーヒーに味覚を感じさせ、作品世界への導入役として機能している点が興味深い。
○「天国のつづき」
「天国島より」の続編。この「天国のつづき」では、一歩進んで島の住人と島外の人々とのつながりが描かれている。小桃は島の薬を卸している漢方薬店で暮らすことになった。漢方薬店の主人は、島の長老格である「爺爺さま」をルーツに持つという。「つづき」では、人間は限りある時間の枠を、血族や大切に思う人たちとのつながりの中で重ねあって永遠の時間を紡ぎだしている事を主張している。難点を言うなら、読切短編のためか、作品世界での重要事項が、姉さんの台詞で表されているので、やや説教じみた感じを禁じえない。
永遠の時間を生きる「天国島」の住人の存在意味は何かと考えるにあたって、爺爺さまが神の位に昇格しようとしていた事や、爺爺さまと薬屋が重要な手掛かりではないかと思われる。また、爺爺さま一族の一部が島を離れた理由も、小桃のように限りある時間の枠に心を惹かれたからであろうと想像させられる。須藤真澄のファンタジー系短編作品は、絵を見て感じる、と言う点が強く、言葉での表現がたいへん難しいが、そこに須藤ファンタジーの真髄があるといえるのではないかと考えられる。
(文中敬称略)]]>
蘇った”まんが映画”!?
http://kondra.exblog.jp/12968600/
2010-07-18T23:18:00+09:00
2010-07-23T12:25:29+09:00
2010-07-18T23:18:07+09:00
konlon
アニメーション
公開された完成版『宇宙ショー』は、それを目にした多くの人々がその映像と物語に魅了されたらしいことがweb上でも報ぜられ、製作発表時の時めきと予感が確かであったことが伝えられてきた。日本の地方農村から大銀河宇宙へと続く、魅惑の映像世界はやっぱり”すばらしい”作品だったと再認識させられるものであった。田舎の小学校に通う5人の少年少女が、異星人に出会ったことから始まる宇宙規模の異界交流譚を、『宇宙ショー』は懐かしさと新鮮さを交えたビジュアルで描き、個性豊かな異星人達との出会いと別れを通じた、少年少女達の心の成長物語を奇想天外なストーリーに乗せて展開された。主人公達の住む土地の産物と宇宙最大級の海賊エンターテインメントショーを鍵に、宇宙の古代遺産をめぐる闘いまでに拡大発展していくストーリー展開の中で、等身大の少年少女達が自然体で活躍する姿に思わず引き込まれ、約2時間16分の”宇宙修学旅行”体験をしているかのような感覚を憶えるのであった。
御伽噺を思わせる、宇宙都市や惑星のシュールな光景に、子どもの描いた想像画がリアルな生物にクリンナップされたかような、ポップ感あふれる容姿をした異星人や異界生物、生体機械(?)等が跋扈する宇宙は、近年のアニメ・マンガが描く、科学的考証の積み重ねで構築された、リアリティ重視の宇宙設定がスタンダードとされる傾向にあって、新鮮さと懐かしさに満ちた、想像力の自由さというものを観客達に現前させたかのような印象に思われる。御伽噺的要素を備えたビジュアルという点では、『宇宙ショー』は、「東映まんがまつり」(註)枠内で上映された『ガリバーの宇宙旅行』や『空飛ぶゆうれい船』、『海底3万マイル』等の、「カラー長編まんが」を想起させる。アニメーション映画が”まんが映画”と呼ばれていた、'60年代から'70年代始めに東映動画が「カラー長編まんが」として製作した、アニメ映画が持っていたキャラクター描写やその動き、ストーリーの展開と場面転換といった構成要素が直線的に進化した先の、'00年代の姿を、『宇宙ショー』から見受けられるような印象であった。「東映まんがまつり」の長編作品は、'70年代に入ると名作童話路線に移行し、オリジナル性は影を潜め、'80年代以降は『少年ジャンプ』系マンガ原作作品がメインとなって、'90年代末までには消え去ったようである。片渕須直監督作『マイマイ新子と千年の魔法』('09年)が、東映の名作童話路線や東映動画スタッフが移籍した東京ムービー新社や日本アニメーション製作の、「名作劇場」等のTVシリーズ系へ分岐した”まんが映画”の進化形態とするならば、『宇宙ショー』は、東映動画オリジナル「カラー長編まんが」系のDNAを濃く伝えた”まんが映画”の進化形態なのかもしれないと考えられないだろうか。『宇宙ショー』の作品イメージの中に、初期の東映動画製”まんが映画”との近親性が強く感じられる点からみて、もし、東映動画の劇場用オリジナル長編が、スーパーロボットや変身ヒーロー、ジャンプ系の影響を受けずに、そのまま進化発展していったとするならば、『宇宙ショー』のような作品は、遅くとも'00年前後の間に完成・公開されていた可能性が考えられそうな気がする。
'60年代の”まんが映画”・東映オリジナル長編アニメは、リアルタイムで観られず、”あのとき”の雰囲気を感じられなかった者でも、『宇宙ショー』を通じて、当時の”まんが映画”から伝わる映像イメージと「凄かった」感をなんとなく想像させられ、かつての「東映まんがまつり」で味わったであろうワクワクとトキメキまでも疑似体験できるのかもしれない。『宇宙ショー』は、まさに、原作に由来しない映画用オリジナルストーリーの”まんが映画”が、ゼロ年代末に蘇った作品といえるかもしれない。
公開から半月以上が経過したが、『宇宙ショー』でようやく当時の「東映まんがまつり」鑑賞者が感じたであろう心境とシンクロできた、という思いがじわじわと込み上げてくるような感覚を覚えるのである。
『 宇宙ショーへようこそ』よ、'10年の夏は、本家ですらもう見られなくなった「東映まんがまつり」の興奮と感動を、もう一度子ども達とかつての子ども達の前に!
現在上映館は大都市中心ですが、家族向け娯楽としての”まんが映画”の正統後継者といえるかもしれない『宇宙ショー』こそ、地方の中小映画館で上映され、地元の”よい子”やかつての”よい子”たちの目に触れる機会がなくてはならないと思っている。
『マイマイ新子』が川越や高知など、地方の劇場で上映され続けているが、同様に『宇宙ショー』の地方中小館上映も実現して欲しいと願っている。地方ローカルで『宇宙ショー』が上映された時には、スナック菓子の香りが感動と共に館内を満たすだろうことを密かに想像しつつ…。
註:
「東映まんがまつり」のプログラム呼称が定着したのは、’69年の『長靴をはいた猫』以降で、それ以前は、「まんが大行進」、「東映こどもまつり」、「東映ちびっこまつり」の呼称が用いられていた。
追記:
『宇宙ショー』劇場公開と同時に、メディアファクトリー刊『電撃大王』にて、小野敏洋作のマンガ版の連載が開始されました。『電脳コイル』では少女マンガ視点からのアプローチが試みられていましたが、今回の『宇宙ショー』では、少年マンガの視点と手法によるアプローチを通じて、アニメ本編の魅惑の世界とキャラクター達が、マンガの画面に如何様に転写されるか大いに期待されます。
『宇宙ショー』の第一主役である「ナツキ」が、ヒーローもののファンだった設定も、「東映まんがまつり」という点で若干リンクするかな?とも邪推しています。「まんがまつり」は、ヒーローものも意識したプログラムだったということもありますので。]]>
anotherマイコー
http://kondra.exblog.jp/12215222/
2010-02-26T08:30:00+09:00
2010-07-24T15:25:34+09:00
2010-02-26T09:00:05+09:00
konlon
アニメーション
それより最も憂慮すべきは、このようなソフト化に対しての困難的状況が、動画サイト上での映像流出や海賊版を横行させる土壌になるのではないかということであろう。未ソフト化に付け込んだ流出映像や海賊版の出現が、闇市場を形成し、製作者や真摯に作品をリスペクトするファンたちや純粋に作品を味わいたい人々の中に影を落とすことで、作品に不当な評価が付き、泥を塗るような事態を引き起こす可能性を孕んでいる事をよく意識していかねばならないと考えるのである。海賊版の登場により、ソフト化に拍車がかかった、ということになれば、結果的に作品を脅迫してソフト化を勝ち取ったという風に受け取られ、作品やファンにとっても非常に不名誉だといわなければならない。作品を傷物にし、封印という流れを回避するためにも、作品が好きになった者一人一人が、自分自身にとって可能な範囲で、あくまで正当な手段で主張し続ける事を、良く考えて行動すべきであろう。
参考(*URL頭のhは省略):
廣田恵介氏『550 miles to the Future』内記事・「2月のメモ「DVD化」」(2010年2月25日、ttp://mega80s.txt-nifty.com/meganikki/2010/02/post-f1fc-12.html )署名は28日までで終了。
『たのみこむ』(ttp://www.tanomi.com/)でのリクエストも、現状ではかなり影響力を持っているようなので、有効な方法かもしれない。
(*10,04,27追記:『マイマイ』の上映館増加の他、DVDソフト化が決定したようです。これほど早期の実現に至ったこと誠に驚きとともに作品を愛し、リスペクトしていただいたファンの皆様による情熱の成果だと思います。)]]>
仏教に萌えられるか!?
http://kondra.exblog.jp/12093031/
2010-02-05T02:08:00+09:00
2010-02-05T12:48:50+09:00
2010-02-05T02:08:47+09:00
konlon
マンガ
日本の伝統宗教が若年層へ継承・発展していくため、「萌え」と「煩悩」とは別のものであるというようなロジックを禅宗、いや日本仏教側から主張できるか、ということが今後の課題として重要になるのではないかと推測される。若い僧侶たちが美少女キャラについて語り合い、キャラグッズを集め、あるいは萌え絵師として活動し、痛車を乗り回す、ということが自然に受け入れられる社会の実現というものも、日本的宗教の今後の発展につながるのではないかと密かに考える次第である。
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楽しきNew Yearへ
http://kondra.exblog.jp/12009003/
2010-01-22T12:54:09+09:00
2010-01-22T12:54:06+09:00
2010-01-22T12:54:06+09:00
konlon
未分類
昨年の漢字一文字は、”新”でしたが、今年は21世紀最初の十年目の最終年。その”新”しい世界の第一歩を着実に踏み出して、永久(とこしえ)にまで残る足跡をこの世界に刻まれることを願っています。しかし、”新”時代の始まりが、暴力と破壊、そして消失で始まってはならないことを肝に銘じておきたいものです。心の隙間に忍び寄る、カタルシスや闇、犠牲といった、他社の不幸を肯定するような誘惑との闘いがもっと大事になるでしょう。私たちは真の幸せを、この”新”時代において感じ取るために、自分自身でよく知り、よく考え、よく行動していくことが、日常の課題となります。
さて、この『空琉館通信』は、この世界の面白い事、愉快な事、でも他人が不幸にならない事を追い求め、各種多様の情報を可能な限り発信していきたいと考えております。どうぞご期待ください。
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『エイリアン9』テキスト系レビュー情報
http://kondra.exblog.jp/11489728/
2009-11-01T18:07:00+09:00
2010-02-08T12:33:51+09:00
2009-11-01T18:07:18+09:00
konlon
A9十周年
●インターネット上の記事
(現在アクセス可能なものです。参考資料としての紹介という点を考慮して、リンクは無し。コンピュータ系のトラブル対策のため、アドレスの頭に付く”http”を略します)
伊藤剛 「TINAMIX REVIEW 『エイリアン9』論」 『TINAMIXレビュー』所収 2000年6月(://www.tinami.com/x/review/03/)
*作中の表現から、”マンガ”としてのA9の特徴を解析。初期のA9考察の傑作であり、標準的テキストといえるであろう。
キドマリ トリオ 「僕たちは演者としてこの舞台に引っ張り上げられる
~富沢ひとし『プロペラ天国』小論~」 『TINAMIXレビュー』所収 2002年2月
(://www.tinami.com/x/review/13/)
喜多亘 「富沢ひとし エイリアン9とミルククローゼットを綜合してエイリアン、サイボーグ、誤配可能性宇宙」
うみHP・『しっぽ番長』掲載
*「サイボーグ」をキーワードにして、A9などの富沢作品における「エイリアン」について考察。
(://www2.nasuinfo.or.jp/userhome/miura/ronbun01.html)
ゆざいちょ 「~エイリアン9研究レポート+α?~ 」 ゆざいちょHP・『遊財町』内ページ
(://yuzaityo.gozaru.jp/main/A9.html)
kongdra(空・ドラ) 「エイリアン9」、「エイリアン9レビュー2」、「『エイリアン9』レビュー EX・A9イメージ曲」、「『エイリアン9』レビューEX2・『エイリアン9』の魅力を伝えたい!」
kongdraブログ・『空琉館通信』内記事
(://kondra.exblog.jp/8160244/)
(://kondra.exblog.jp/8178474/)
(://kondra.exblog.jp/8355390/)
(://kondra.exblog.jp/8547956/)
(参考)ネットラジオ
ネム 「マンガラジオ夜話」
*B級ホラー映画的側面についてのトークを含んでいる
(「マンガラジオ夜話」 サイト内「音源」ページに音声データあり)
(://mangaradioyawa.web.fc2.com/)
●書籍
○作品の紹介や考察について
村上隆 『SUPER FLAT』:作品コマ紹介、レビュー
2000年4月、マドラ出版
『広告』2000年7・8月合併号掲載・「漫画「エイリアン9」にみる身体性および人格の分割可能性をめぐって」:作品についての対談 斉藤環/伊藤剛
2000年7月、博報堂
『まんりきのエイリアン9読本 ゆりちゃんと なつやすみのドリル』 (まんりき個人誌・失われたまんりき王朝) :作品内容の考察
まんりき 2002年8月、まんりき王朝
*学校教育を通じた、世界における自分と他者との関わり合いという視点で作品をとらえており、A9考察ものでは、グレードが高いものの一つと思われる。
○インタビュー系中心
『半端マニア六号』(同人誌) 作者インタビュー(インタビュアー名表記なし):レビュー(渡辺遼一)
2000年頃、半端マニア製作委員会
『Quick Japan 30号』 特集「世界ノ見方ハ一ツデハナイ 『エイリアン9』ヲ対策セヨ」:作者インタビュー(足立守正):識者によるコメント(伊藤剛取材・文 )2000年4月、太田出版
*当時の担当が同席しており、後のOVA製作をほのめかす発言が見られた。
『コミック・ファン』10号:作者インタビュー(竹内哲夫) 2000年12月、雑草社]]>
『エイリアン9』ファンサイト情報
http://kondra.exblog.jp/11392534/
2009-10-19T00:00:00+09:00
2012-09-09T10:50:02+09:00
2009-10-19T00:00:12+09:00
konlon
マンガ
(サイトによっては、現在は更新が停滞あるいは閲覧不能ですが、以前にまとまった形でのファンコンテンツを有していたものも含まれていますので、その点はご了承ください)
まずは原作者
富沢ひとし先生HP・「Flog StarShip」
ぱらきゅう関連を現在含むサイト
デュマ:「迷子のモグラHP」(残念ながら現在アクセス不能 2010,05,22)
雅(みやび)&芳岡一之:「東横うにうに」
ラヂオヘッド:「第9小学校」
ゆざいちょ:「遊財町」
うみ:「しっぽ番長」
ぽぽ:「ないん開拓記」
HTTP Error 301:「Page moved permanently」(残念ながら現在アクセス不能 2012,09,09)
JIN:「KIR ROYAL」
A9/富沢作品ファン画像系サイト
タカミ:「小惑星の隅で」
k5:「A9-activity」
みなみ:「こどものラクガキ帳」(現pixiv移動)
デズモンド:「まんまる日和」
蛸山 涼: 「 タコブネ芸術館新館」
39(ミック):「39番地仮設地」
wabill:「完全宇宙」(残念ながら現在アクセス不能 2010,06,06)
ゆう:「ぷらすてぃか」(残念ながら現在アクセス不能 2010,06,06)
テキスト、レビュー系主体
カルネアデス:「カルネデアスの頁」
まんりき:「まんりきの積ん録アニメ大王」
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『エイリアン9』10周年記念企画・「A9-Decade」作品募集
http://kondra.exblog.jp/11121916/
2009-08-24T00:00:00+09:00
2010-03-25T19:49:31+09:00
2009-09-13T16:25:36+09:00
konlon
A9十周年
企画名は「A9-Decade」。サイトのあるファンたちのA9へのありったけの想いをこの場にてご披露ください。連載第一話をリアルタイムで触れたツワモノからアニメ版DVD発売でA9を知った者、最近ファンになったというような新人まで、A9に関心の有る方ならどなたでも参加可能、作品形態は、イラストやマンガ、小説、レビュー等なんでも、A910周年をリスペクトするためのものなら、どんな形態で構いません。題材は本家A9の三人娘はもちろん、アニメ版や『エミュレイターズ』、オリジナルのエイリアン対策係でも「エイリアン対策係」を題材にした作品なら何でもOKです。もちろん応募者自作のものに限ります(MADは難しいなァ~)。画像やMAD系の参加が予想されますので、こちらでリンク集を用意させていただき、そこから各作品掲載サイトへのリンクということになります。どうぞよろしくお願いいたします。参加表明の第一期限は99年11月頃に3巻が発売されていることから、10月下旬25日頃まで。リンク集設置は11月第1週の予定です。参加表明のご報告後、リンク集設置前後の間に作品掲載ページを各自のサイト上にご用意ください。リンク集設置後も本年度までは、延長応募の受け付けを考えています。最終締め切りは12月25日とさせていただきますのでご了承ください。
追記(2009.10.24):
第二回参加受付は10月30日から12月25日までとします。この期限までに作品を自分のサイトにアップして下記のメールアドレスやコメント宛にご報告下さい。
参加表明応募先はメールアドレス:konlon●excite.co.jp(●を@に変換)またはこちらのブログにコメント可能な場合はコメントで。参加表明および応募作品の簡単な紹介、掲載ホームページまたはブログなどのアドレスのご報告をお願いいたします。『A9』ファンたちによる10周年記念の力作傑作お待ちしています。
追記:
日付の8月24日は、『ヤングチャンピオン』でエイリアン9の最終回が発表されたのが8月の最終週だったと記憶しているので、記念にふさわしいと思い8月の最終週に設定させていただきました。ご了承ください。
*2009.12.15追加:
参加受付を延長します!2009年度卒業式にあわせて、第三回参加受付の最終締め切りを2010年3月25日まで延長します。A9愛のこもった作品で、10周年と新たな旅立ちをお祝いしましょう。
*2010.02.25追加:
参加受付締め切り間近です!3月25日少し過ぎても受付OKとしますので、あせらずご製作・ご発表ください。それでも数が増えない場合は、エミュレイターズ設定適用で、10年5月上旬までの延長も検討しています。
*2010.03.25追加
第三回締め切り日の3月25日になりましたが、少し過ぎても作品の受付はOKとしますので、ご製作・ご発表はあせらずに。参加表明がいまだ少ないようですので、エミュレイターズ設定の適用で、入学シーズンから連休までの期間に合わせて、2010年5月上旬までの作品応募の延長をいたします。作品愛のこもった傑作を心持ちしています。]]>
寺院発のニューウェーブ!?
http://kondra.exblog.jp/10916877/
2009-08-20T23:26:00+09:00
2010-02-05T12:52:16+09:00
2009-08-20T23:26:43+09:00
konlon
未分類
●kongdra(空・ドラ)
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特定のモノに触れたときに心を動かされ、愛情を超えた”想い”を募らせ、その言葉には言い表せないような感覚を覚えるような精神状態を表す語として'90年代後半前後から使われ始めたという「萌え」は、主に美少女のキャラクターの容姿でシンボライズされる場合が多い。健康的で優しさの感じられる少女のイメージを連想させることから、草木が芽吹くという意をもつ「萌」の漢字が当てられたといわれ、ポジティブで暖かい、新たな命の息吹きを感じさせる語として、一般に定着されている。近年、「萌え」系でデザインされたキャラクター(少女系キャラが主流)が用いられた解説書や商品などが各種出回っている。用いられるキャラクターには、人物キャラクターだけでなく、解説の対象となる元素や機械類の擬人化がみられる。好感を持てるような可愛いキャラクター達が、商品の購買意欲を高めたり、専門用語などで分かりにくそうな事項を懇切丁寧ナビゲートすることで、若年層の人々が、世間一般の多岐にわたる物事に関心を持つきっかけとなっていくであろうと思われ、その点では大いに歓迎される事であろう。
私としては、個人的には、仏教や神道などに代表される伝統文化の分野においても、これらの萌え系キャラクターが活用される事をささやかながら期待していた。このブログでも、『萌禅』という禅宗関係の萌え系解説書というものを仮想した記事を発表している(『萌える○○』)。仏教などの、宗教を紹介するツールにマンガの形式を用いているものは見かけるが、萌え系を意識したキャラクターとの融合は実現できるのだろうかという点で、多少の不安を感じながらも、可能性がないことはないと考え、美少女&美青年キャラクターの登場する禅宗解説書をシュミレートしてみた。実現のためには、監修を担当する宗教者たちの十分な理解と、キャラクターデザインやイラスト・マンガの担当者各人の表現力などが大きな決め手になるであろうと考えられ、もし実現したら若年層が伝統宗教に関心を寄せる上での何かのきっかけになるのではと思うのである。また、解説書だけではなく、寺院や神社、地方の観光協会などによる、萌え系キャラクターの積極導入、あるいはそれらから発展する形で東大寺や春日大社、金閣寺などの神社仏閣そのものの「萌え」擬人化というアイデアも考慮に入れる必要があると考えていた。萌え系キャラたちが神社仏閣発のニューウェーブ(ヌーベルヴァーグ)となることを期待していたのだ。確かな根拠は確かめられないが、おそらく誰かがいつか、どこかで実行するのではないのかと予想を立てていた。栃木県日光市に日光二荒山神社中宮祠が、田心姫命(たごりひめのみこと)などの祭神をモチーフとしたキャラクター立ち上げ、市内のイラストレーターである苅田規恵氏がデザインを担当した。08年7月発行の絵本・『猿丸の弓のはなし 日光戦場ヶ原の伝説』に初登場の後、09年から神社の正式なマスコットキャラクターとなり、一部では「萌え系」キャラクターといわれていたが、従来の「ゆるキャラ」の流れを組んだデザインが用いられ、広い年齢層を対象としたものになっている。これらのキャラクターたちはデザインセンスにおいて、「萌え系」を定義付けられていると思われる、アニメ・マンガ調のデザインとは若干のズレが生じていた。だが、最近になって、本当に「萌え系」といえるようなキャラクターたちを導入した寺院が登場したというニュースが舞い込んできた。東京都八王子市にある日蓮宗の寺院である松栄山了法寺が、寺院内で祀られている仏像をモチーフとしたキャラクターを「萌え」系デザインで立ち上げ、案内看板に描いたというのである(携帯サイトにも同じ絵柄が掲載)。同寺の中里勝隆住職が案内看板を製作するにあたって、住職の姉の知人である、とろ美氏が若年層の参拝を意識してデザインしたという。看板は09年6月頃より登場し、若年層の拝観者が見られるようになったところを見ると、相当の効果が現われているといえるであろう。とろ美氏のデザイン感覚が最も効果を発揮している事は確かだが、中里住職の伝統宗教に対する真摯な姿勢およびそれを踏まえた上で、萌え系を好意的に受け入れる柔軟な対応意識がこの成功を支えているのであろうと考えられる。この了法寺での事例は、宗教者の理解とデザイナーの表現が、伝統宗教の萌え系導入における重要事項であることを改めて実感されるものであり、伝統宗教のニューウエーブとして、他の寺院への波及が推進されることを大いに期待するものである。
お寺にも“萌え看板” 了法寺「若い男性参拝者増えた」 『ITmedia News』2009年7月14日
“萌え看板”の了法寺、連日20~30人のファンがお参りに 同 2009年7月29日
これが本当の聖地巡礼! お寺はどうして「始まった」?
「大吉出たから始めた」萌えるお寺、了法寺ができたワケ 『ASCII.jp』 2009年7月17日
八王子市了法寺PC用ホームページ
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後記:
萌え系寺院出現しましたね、という感じです。萌え系キャラが伝統宗教にニューウェーブを呼び込むであろうと考えていたので、このニュースは非常に興味深いものでした。萌え系の仏教解説書登場の可能性が見えてきそうで、今後も大いに応援・期待していきたいところです。ところで、個人的には寺院の萌え系導入は、禅宗系または密教系あたりから出てきてくれればいいかな、と思っていました。一方、宣伝力からみて、浄土真宗などの念仏系あたりが最も有力なのではないかとも考えていたので、八王子市の日蓮宗寺院からの登場は意外に思いました。"日本の伝統文化"というイメージからみて、禅宗系からの登場の可能性は高いと感覚的に予想していましたので、この点は非常に興味深い所です。これを機会に、他の宗派もこれに負けないくらいの萌え系キャラクターを登場させて、伝統宗教の再認識と更なる発展に貢献していける事を願っています。
追記:
以前の記事で述べたような萌え系の禅宗解説書も実現の可能性が見えてきそうです。以前にも記事で述べた事ですが、禅宗は女性向けのイメージもみられそうですので、その点も考慮してみる必要があるかもしれませんが…。
2009.8.20 空・ドラ
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『エイリアン9』誕生10周年についてのイロイロ
http://kondra.exblog.jp/10625835/
2009-07-15T23:42:00+09:00
2009-09-13T16:35:15+09:00
2009-07-15T23:42:33+09:00
konlon
マンガ
『エイリアン9』誕生10周年についてのイロイロ
●kongdra(空・ドラ)
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昨年の6月は、1998年6月に富沢ひとし作『エイリアン9』が『ヤングチャンピオン』に連載されてちょうど10年目であった。このことから、ささやかながらもこのブログにおいて『エイリアン9』誕生10周年企画として、単行本化された作品の内容紹介とレビューを掲載させていただいた。その後、エイリアン9や富沢作品の関連のファンサイトやブログでも何か10周年記念の企画が出てきてもいいかなと思っていたのだが、今のところ目立った動きがないのが少々残念に感じる。独特の作品イメージからくるある種のマニアック性からか、多少抑え気味になってしまうのだろうか…。マンガの連載は1999年8月までなので、まだ少しは間に合うだろうから、今年の8月あたりまでに何か動きがあれば、ファンとしても嬉しいと思うのだが。6月に出た『カオスアニメ大全』でアニメ(OVA)版『エイリアン9』が紹介されていたが、そこでは原作に由来する『エイリアン9』(以下『A9』)の作品に漂うアンビエントイメージに見られる、「少女」に対する「好み」というものの一型式に焦点を置いており、アニメ版における、『A9』の原作イメージの増補強化という面がクローズアップされている。しかし、これは『A9』に対する見解の一つでしかなく、連載や単行本、アニメ版、あるいはファンサイトなどのさまざまなメディアで『A9』に接して魅力を感じた者一人一人が作品から「何か」を感じ、影響を受けているはずである。単行本(YCコミックス3巻本版)1巻カバーの「世界ノ見方は一つDEはない」にもあるように、読者ごとの『A9』観は(好意的にしても否定的にしても。ファンにとっては、できれば好意的なものであって欲しいのは人情だけど…)多種多様であるはずである。既存のレビューに左右されず、本当に好きと思うなら自分で考え、よく行動していきたいものである。
私も8月末までに、もう少し何かできればいいかなと思っているこの頃。
(そんな事で、『エイリアン9』10周年記念企画を考えてみました。
詳しくはこちら)
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『電脳コイル The Comics』
http://kondra.exblog.jp/10142378/
2009-04-29T13:01:59+09:00
2009-04-29T13:03:37+09:00
2009-04-29T13:03:37+09:00
konlon
マンガ
-電脳世界のアナザーヴァージョン?-
●kongdra(空・ドラ)
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彗星のごとく視聴者の眼前に出現したTVアニメ・『電脳コイル』は、2007年5月に放送開始されるとその衝撃的なビジュアルイメージで視聴者を魅了し、言葉にはできないような感動を与えたのであった。日常とハイテクがあたりまえのように混ざり合った空間の中で、子供たちがメガネ型小型コンピュータを身に着けて遊ぶ時代を舞台に、CG時代の申し子のような”電脳”キャラクターたちが、新時代の妖怪として存在し、彼らと人間との共存を主要テーマとしたストーリーが展開された。アニメ本編は、二人の少女・「ヤサコ」と「イサコ」を中心に、人間世界と”電脳”技術との狭間に揺れ動く人々の姿が「ミチコさん」や「アッチの世界」といった不気味な都市伝説を絡めて描かれ、少女たちは電脳メガネに関わる怪現象を通じて自分の進むべき道を見出していく…。磯光雄原作・監督作『電脳コイル』は、電子科学と人間の心が交錯する迫真のドラマによって、新たなる伝奇ファンタジーを誕生させた。この『電脳コイル』(以後『コイル』)が放送されたとき、メディアミックス化の一端として、脚本家の宮村・優子(ここでは便宜上この表記にする)による小説版シリーズの刊行が始まったのだが、当然その次にはマンガ版が出るだろうと『コイル』に魅せられた視聴者の”僕ら”は予想した。6月頃になって、予想通りマンガ版の発表がアナウンスされたのだが、それは僕らの予想もしなかった形での登場であった。「久世みずき」の作画によるものであり、小学館の少女向けマンガ雑誌『ちゃお』8月号の付録冊子の形式で発表されたのである。徳間書店で近年復活したばかりの『リュウ』に連載されるものであろうと一部の者は予想していた事もあって、、アナウンス当時は実に失礼ながら「ええっ、何故少女誌に!?」、「久世みずき」って何もの?と驚き困惑した青少年は数多くいたに違いない。それでも『コイル』の魅惑の世界に心を引かれていた者たち(?)は少女誌という媒体に秘められたある種の可能性に期待しながら、密かに入手の決意を固めていた…(?)。こうして7月に『ちゃお8月号』が発売され、万難を乗り越えて冊子を手にした者たち(?)は、アニメ以上の軽快なテンポと夏の熱気に澄み渡る風のような爽やかな空気をマンガのコマから感じ取り、これもらしくていいのかも、というような気にさせられるのであった。その後、単行本が出るらしいという情報を得た彼(女)たち(?)は、そこに収録されるであろう続きの話に期待を寄せ、11月に期待の単行本が発売されると若者たち(?)は自然とその単行本を手にする事になった…。単行本には、付録冊子の内容に加え新作画の第二話が掲載されていて、第一話では未登場だった待望の「オバちゃん」も活躍し、ストーリー展開もまた、TVアニメの「アッチの世界」を髣髴とさせる「電脳大黒市」が物語の舞台となり、彼(女)たち(?)は甘酸っぱくて切なさを感じる物語空間に思わず引き込まれた。ああ、これも『コイル』のアナザーヴァージョンなのだなぁ、と。こうして僕たち(?)は、少女誌という新たな切り口、新たなフィルターを通して『コイル』の魅力を再発見するのであった…。
久世みずき作のマンガ版『電脳コイル』は、電脳メガネや電脳ペットなど、大体の世界設定とキャラクターはアニメに準じたものであるが、ストーリーやキャラクターデザインなど少女誌向けのアレンジが加えられているためか、少女たちの学校生活に重点を置いているところが大きな特徴になっている。第一話は、TV版同様「ヤサコ」と「イサコ」の物語であり、アニメ本編でも登場した「ミチコさん」をめぐる展開であるが、「イマーゴ」などといったTV版で取り上げられていた「謎」の要素を抑え、「ヤサコ」と「イサコ」の対立と和解を際立たせることで、主要な読者層の大きな関心ごとである、「友情」が強調されている。少女ヤサコとイサコのキャラクター設定は、TV版本編にほぼ準じたものになっているが、イサコの行動原理は、TV版の複雑な背景事情を見直して、手にした者の願いをかなえるという「ミチコさん」による両親の和解とすることにより、TV版以上にヤサコとイサコの心の交流が明確になっている。続く第二話では、電脳空間に出現した「イリーガル」捕獲を発端にした事件を通じてストーリーが展開される。もう一人の主要人物「ハラケン」こと原川研一と彼の友人であり、電脳関連の事件で死亡した少女「カンナ」との交流がストーリーの主軸となり、TV版にも登場した「電脳空間」や「電脳体」が主要モチーフとして取り上げられている。「ヤサコ」と「イサコ」の物語は第一話において一応の解決をみせているので、この第二話は、TV版で描かれていた「ヤサコ」と「ハラケン」の物語という面が強調されている。TV版のような複雑な背後関係が見られない分、TV版以上に「生」と「死」や「現実世界で生きる意味」といったテーマがよりダイレクトに読者に提示される。
『電脳コイル』の持つ魅力を、少女ものという場において新たなビジュアルで展開した久世みずき版『電脳コイル』は、TVシリーズ以上に主要テーマの一つである、少年少女たちの「出会い」と「別れ」を叙情的かつ簡潔に描き、『コイル』の持つファンタジー性がより強調されている。このマンガ版『コイル』は、少女層を対象とすることで、原作者・磯光雄の多様な想像力を、作中の主人公と同じ位置から捉え直した作品であり、『コイル』世界へのもう一つのアプローチを提示した作品といえるだろう。
(文中敬称略)
作品:『電脳コイル』 THE COMICS
磯光雄/徳間書店/電脳コイル政策委員会 原作
久世みずき 漫画
2008年11月、小学館
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後記:
大幅に遅れてしまいましたが、4月からNHKBSで『電脳コイル』が再放送されるということなので、今回はマンガ版『電脳コイル』の雑感雑記です。マンガ版発表当時、少女誌掲載と聞いてかなり驚きましたが、改めて内容を見ると、主人公が少女ということもあってか、作品中の登場人物たちと少女層の読者と目線が合っているような印象がしました。少女の出会いと別れを主要テーマとした『コイル』には案外少女誌が似合っているのではないのかなあ、という気がします。『コイル』が少女誌を選んだ理由もこのようなところに隠されているのかもしれません。「イマーゴ」や「イサコのお兄ちゃん」、「コイルドメイン」といった細かな謎を省いたストレートな展開は、『コイル』の本体というものが顕わになったかのような不思議な感じがします。そして、TVシリーズ以上に、テクノロジーで彩られたファンタジーものという面が強調されていたことも作品により楽しさを与えていました。また、マンガ本編で「ミチコさん」として使われていた電脳生物などの、アニメ版企画時の初期設定が生かされたキャラクターたちの登場も『コイル』ファンにとっては楽しみでしょう。少女誌マンガ版により、『電脳コイル』の魅力がいっそう人々に伝わっていくことを願っています。
2009.04.29 kongdra
発行:空琉総合研究所 2009 禁無断転載
2009 kongdra/空琉総合研究所
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