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by konlon

エイリアン9

 富沢ひとし作・『エイリアン9』が1998年6月に『ヤングチャンピオン』で連載されました。今年でちょうど10周年。そこで、『エイリアン9』誕生10周年記念特集を本ブログにて企画してみたいと思います。まずは『エイリアン9』本編から…。

 『エイリアン9』  ─カッコ悪さとアクティブさ─
                    kongdra(空・ドラ)

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○ナイン登場!

 1998年6月初頭、電車の車内にかかっていた『ヤングチャンピオン』の吊り広告の隅に「新連載」作品のキャラクターが表示されていた。タイトルは「エイリアン9(ナイン)」で、「富沢ひとし」作と記され、主役と思しき三人のキャラクターイラストが載っていた。(後の単行本「YCコミックス」第1巻表紙の絵)タイトルにある「エイリアン」と、インラインスケートのスケーター風の服装をした少女たちのキャラクターから、エイリアンの探索や戦闘などに関わる”美少女アクションもの”のようであり、「6の藤」などのゼッケンをつけている所から、主人公たちは小学校に関係しているのであろうかと見た人たちは思っただろう。「YC(ヤンチャン)も色々なジャンルを取り上げてみたいのだろうから、まぁちょっと見てみるか」と思っていたので、『エイリアン9(以後A9)』第1話を読んでみたところ、それは驚きに満ちた、不思議な世界との接触の始まりであった。「エイリアン」と呼ぶ怪生物が存在するようになった時代の話で、「第9小学校」には「エイリアン対策係」という係がある。それは「きつい」・「キタナイ」・「危険」の3K的な係であり、また、対策係はキタナイものとされる、「ボウグ」という「共生型」エイリアンを被って活動するため、非常に嫌がられているという。「6年椿組」の大谷ゆりは、クラス投票で半ば押し付けられる形でその対策係となり、同じ6年「藤組」の川村くみ、「桃組」の遠峰かすみ(共に立候補)の3人で係の活動が始まった。
 エイリアン対策係は、ボウグとの共生体・ドリル族の管轄下で学校に出現する(ドリル族が意図したと思われる描写が作中にみられる)エイリアンの捕獲を行っていたが、対策活動の中で、大形エイリアン・イエローナイフや、ドリル族に敵対する共生型エイリアン・ヒマワリなどドリル族の予定外であったエイリアンの出現したため、これらとの対処を余儀なくされた。対策係の3人はエイリアンによって引き起こされた数々の危機に立たされるが、どうにか乗り越え、99年8月の最終回をもってストーリーは終結した。作品に漂う、日常と非日常が有機体を介して融合を果たしたかのようなビジュアルイメージが、読者に強烈な印象を与えたためか、連載終了後に『エイリアン9』は、マンガファンの間で話題を集め、SFやマンガ、美術関連の多くのメディアで紹介されるようになった。そして、2001年にオリジナルビデオアニメーション作品が製作されて以降、作品及び作者の富沢ひとしの認知度は徐々に高まっていった。先に述べたようにストーリーや絵の表現など、『A9』の作品内容についての紹介は各種メディアで紹介されているので、ここでは『A9』について、筆者の感想をもとにした私見をいくつか述べていくことにする。

○カッコ悪い主役

 主役のゆりは、エイリアンが嫌いで、対策活動では消極的な態度を取り、第一話では、ボウグの防衛機能により、エイリアン・ジェーンを刺殺、飛び散ったエイリアンの体液を浴びた後卒倒した。第2話では牛形エイリアンに麻酔銃を撃つが全て外し、くみに助けられる。夏休み前にはエイリアン対策係担当の久川めぐみ先生の意図に反して、ボウグを過成長させてしまい、不幸のどん底に陥ってしまった。夏休み後再び気を取り直すも、エイリアンの前では以前と同様にエイリアンを怖がり、見苦しい態度を取ってしまう。その後のストーリー展開において、重要な節目に差し掛かっても事態を好転させるようなカッコいい活躍は見られなかった。ストーリー後半でゆりは、ドリル族に敵対するエイリアン・ヒマワリに半ば誘われるような形で共生してしまい、彼女自身の心がヒマワリに浸蝕される寸前にまで陥ってしまった。このゆりにとっての非常事態である、ヒマワリ事件でさえも彼女は、主役として自身の闘志でヒマワリの呪縛を解き放ち、カッコよくヒマワリを撃退するというような展開にはならず、ゆりに想いを寄せるようになっていたくみにほとんど助けられる形で事態は収拾され、物語は終結した。我々がよく見かけるストーリーものでは、主役は最初はカッコ悪い態度を見せても、回が進むたびに次第にレベルアップしてカッコよくなっていき、最後には世界の流れを変えるまでの存在となっていく展開になっているものが多く見られた。しかし、『A9』では、主役のゆりは本来カッコイイはずである、主役を象徴するような白地に赤の衣装で登場していながら、ストーリー序盤のカッコ悪いキャラクターのままストーリーが進行し、クライマックスに至ってもついにカッコイイ活躍を見せなることはなかった。ストーリー物、特に美少女が主役の作品は最後にカッコイイ所を見せてストーリーを盛り上げるものと認識していた筆者は、主役でありながら最後までカッコ悪いキャラクターだったゆりを見て、一種のショックともいうべき感覚を味わった。主役のカッコよさという一種の「お約束」にとらわれない大谷ゆりのキャラクター設計は、カッコよさ重視のストーリーマンガを見慣れた目にはきわめて新鮮に映った。 『A9』ではキャラクターのドラマが、異質なものが通常のものに見える世界において進行していくためか、読者の心に強烈な揺さぶりをかけ、読者に言いようのない魅力を与えるのだろう。
 カッコ悪いキャラクターが主役のストーリーと聞けば、70年代初頭に製作・オンエアされた日本製TVドラマを想起される。特に萩原健一演じる『太陽にほえろ!』のマカロニ刑事や、『傷だらけの天使』の小暮修は、カッコ悪さの目立つキャラクターであった。当時の若者を取り巻く雰囲気は、70年安保を境にこれまでの「何でもできる」という自信から「努力してもかなえられない事がある」事実の認識へと変貌していった。萩原健一はこれらのドラマの中で「たとえかなわなくても精一杯やってみよう」と訴え、「青春の挫折」を美化し、視聴者の感動を呼び込み、それ以降の70年代青春ものの要素となっていった。『A9』における、ゆりのカッコ悪さは、マカロニ刑事や小暮修とその弟分である水谷豊演じる乾亨に通じるものがあるのではないかと推察している。『A9』でのゆりは、見かけはカッコ悪いものの、活躍する画面からは自分なりの精一杯さを、体全体を使って隠さずに表現しているように見える。大谷ゆりというキャラクターの特徴として、『A9』劇中のゆりは、確かに正義感もなく、エイリアン対策の腕も持ち合わせていないが、久川先生を含めた対策係のみんなに可愛がられているように見える。その理由は、ゆりの邪気のない所にあり、本文で述べたような、自分のできることを包み隠さず精一杯に表現しているという点にあるのではないかと推察される。また、『A9』の各キャラクターには、ドリル族の計画失敗や、くみのボウグ化、かすみのイエロ-ナイフとの共生といったような、主役の所属する集団とエイリアンとの闘いの中で起こった各事態を通して、それぞれのキャラクターが持つようになる挫折感というようなものがストーリー後半あたりから感じ取られる。90年代半ばに入ると70年代ドラマの再評価が盛んになってきたのは、バブル崩壊後の情勢が70年代に近い雰囲気を持っていたためであろうといわれているが、90年代後期の作品である『A9』が「挫折のドラマ」に見えたのはそのような時代の空気を反映しているからかもしれない。


 ♪アニメ版のテーマ曲とは別に、私個人の漫画版イメージ曲は、OPテーマ:朝日美穂「勉強」(『オニオン』、シングル『勉強』)がOPテーマに、 中村一義「いつか」(アルバム『金字塔』、シングル『天才とは』)がEDテーマに脳内設定していました。



作品:『エイリアン9』  1巻 1999年3月 秋田書店
               2巻 1999年7月 同上
               3巻 1999年12月 同上

    『エイリアン9‐コンプリート‐』(三巻本を一冊にまとめて、新ページを追加) 
                     2003年6月 秋田書店

                                         (文中敬称略)
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by konlon | 2008-06-19 23:15 | マンガ