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パーソナル文化研究所・空琉館の情報誌的ウエブログです。


by konlon

TVアニメ『電脳コイル』

アニメTVシリーズ『電脳コイル』 
 電脳世界メモ

    ●kongdra(空・ドラ)

(『きなこ餅コミック』企画・5/16コイルの日『電脳コイル・愛』参加作品)
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 無気力になりがちな日常に程よい刺激を与えてくれるものを見たい、何か不思議な感じのする世界が見たい、と僕らが思ったとき、”それ”は驚くべきビジュアルイメージで僕の視覚に伝わってきた。磯光雄原作/監督のTVアニメーションシリーズ『電脳コイル』。メガネ型の小型コンピュータが普及し、子供もそれを身に着けて遊ぶようになった時代が舞台であった。そこには、日常とハイテクがあたりまえのように、自然に混ざり合った空間が、生活圏としての町中でごく普通に見られる世界が広がっていた。このような空間に棲息するかのように存在する「サッチー」や「電脳ペット」をはじめとする、CG時代の申し子のような”電脳”キャラクターたちの姿は、コンピュータが生活の中に浸透してきた現実世界を生きる僕たちの前に現前した新時代の妖怪であった。『電脳コイル』では、二人の少女「ヤサコ」と「イサコ」を中心に、人間世界と”電脳”技術との狭間に揺れ動く人々の姿が不気味な都市伝説を絡めて描かれた。そして、メガネに隠された謎の機能「イマーゴ」と謎の現象「電脳コイル」をめぐり物語は急展開で進行していく。そして、少女たちは自分の進むべき道を歩みだす。”痛み”を感じる方向へ向かって…。コンピュータやデジタルといったIT技術を路地裏や鳥居、夕焼けの町などの、懐古的イメージ漂う日常の景色に取り込んで描かれた『電脳コイル』は、電子科学と人間の心が交錯した、迫真のドラマを作品上で展開させ、新たなる伝奇ファンタジーの誕生を告げたのであった。2007年5月から12月まで、毎週土曜の6:30はNHK教育テレビで、僕たちは濃密な魅惑の世界を目撃することとなった。番組の視聴中は25分の放映時間が何倍にも感じられるような感覚を覚え、僕たちは、謎めいた次回予告のBGMが終るまで、大国市の住人と一体化していた。こうして、TVの画面が電脳メガネであるかのごとく、この半年間僕たちの”電脳体”は土曜の夕方には僕たちの肉体を離れて『電脳コイル』の世界へとアクセスするのであった…
 





 2007年5月に彗星のごとく登場して人々の話題を呼んだTVアニメ『電脳コイル』について、何か話してみようと思います。ネット上での、『電脳コイル』の情報はかなりの数にのぼるため、各ホームページやブログなどの記事に全て目を通している訳ではありませんので、これらの発言は既出のことかもしれませんが、今回は、番組を視た感想世界観やキャラクターなどの考察を、この場を借りてお伝えしたいと思います。

 ○電脳メガネ
 携帯型コンピュータの技術革新はかなり進むであろうと私は考えていますが、我々が目にするいろいろな技術革新についての情報と、フィクションで示されていることとの距離が昔と違い、やや近付いてきているかな、という印象を受けました。技術革新の速度と最新技術に関する情報の伝達差が短くなり、予想が立てやすくなったのかな、というような、時代の流れなのでしょうか。『電脳コイル』(以後『コイル』)に漂っている「お手軽感」はシュールで斬新なビジュアルイメージであり、超能力を科学で実現、というコンセプトで構築されたイメージの映像化という所が面白いと思います。個人的には荒木飛呂彦作『ジョジョの奇妙な冒険』の第3部以降に登場する、ビジュアル化された生物の精神・「スタンド」をテクノロジーで作り出したような感じに見えました。
 電脳メガネによる精神治療というものは、メガネのもたらす薬物的効果という点が見られ、興味深い所でありました。科学技術も突き詰めれば呪術と紙一重、といった所なのでしょう。精神治療を容易にできるけれど、薬物暗示で複数の人々を自分一人のの思い通りに操作できることも考えられます。子供たちが電脳メガネで遊ぶ姿は、楽しいオモチャが危険な凶器になりうるという可能性をはらんでいて、この作品の「毒」の部分となっているのでしょう。現在のコンピュータとインターネットが取り巻く環境が作品に反映していることもありますが、メガネというアイテムの持つ、身体との一体感が、人間の精神に直接作用していることを強調しており、作品に強烈な印象を与えています。
 また、現実世界でも開発されているように、ウェアブルコンピュータの諜報・軍事利用ということも『コイル』の作品世界の裏にあるのかな、と想像します。科学技術の諜報や軍事関連への応用は、士郎正宗マンガ原作・押井守監督アニメ作品『攻殻機動隊』などサイバー系のSFにみられるように、マンガ・アニメの分野ではよくある設定ですが、敵国のデータベースへの侵入や電脳生物を使った隠密行動、そして歩兵用情報表示システムも作られているかなと考えています。軍隊の将兵は落とたりしないようにコンタクトは付けていないので、着脱可能なメガネ型コンピュータのビジュアルは、軍用としても案外マッチしているかも。これらのモチーフについては、NHK教育だからキナ臭い所は見せない方針なのかなとも考えたりもしています。これはあくまで想像の域ですが、もしかしたらコイルス社に所属していたあの猫目技師がコイルス壊滅後姿を消した理由として、自分の発見・開発したイマーゴやメガネなどがコイルスによって人殺しの道具にされた事件が過去に起こったことが考えられます。そして、そのことを知った猫目技師は、コイルス内の反対勢力と協力して、関係者を倒した後、二度と悲劇を起こさせないようにするために、密かに同志を集めて、彼らは世界中に散らばっている、メガネやイマーゴを軍事利用や破壊活動などに利用しようとする者たちと人知れず闘っているのかもしれない、ということも想定できます。だから猫目技師は家族を悲劇に巻き込まないために、身内に何一つ告げずに姿を消したのだろうかと想像したりします。
 あと、メガネに防犯・セキュリティがあるから、『コイル』本編では、子供だけでの遠出や、小さい子でも安全に一人遊びができるのかな、という事も考えたりしています。ただ『コイル』の作品世界では子供たちが勝手にメガネに手を加えて、防犯・セキュリティ機能を無視する者がいる可能性もありますが…。少人数で外に出て遊ぶのが好きな子は、昔は何人かいたような記憶がありますので、この辺りは懐かしさを感じます。彼(彼女)らの楽しみを奪ってしまうような今の社会情勢を思い出させてしまいます。

 ○「死」のテーマ
 『コイル』では登場人物の事故死がストーリーで重要な位置を占めています。交通事故で死んだ原川研一の友人や、最後までその生存が信じられていたイサコの兄のエピソードは、僕たちに「生」と「死」は表裏一体だということを、肉体感覚としてぐっと伝えてきました。このような厳しいストーリー展開は、年少者を主役としたTV番組ではなかなか出会うことはないだけに、実に鮮烈な印象でした。『コイル』は、電脳空間という実体を持たない、あいまいさの強い空間が設定されており、その設定がもつ不安定なイメージが巧みに扱われていて、物語内のキャラクターたちの挙動を強調させ、「生」と「死」が皮膚感覚で隣り合ったファンタジーとして仕立て上げられていました。その中でも、「死」のテーマが大きく前面に出されています。近年のドラマ、特にTV番組では、年少者とその家族向けに作られたものは、視聴者の気分を重くさせないように、話を作る傾向にありますが、そういう状況下で、『コイル』の製作・放送は、現在の放送が抱える問題に対する一つの回答であり、作者や放送局の英断であるといえるかもしれません。これを機会に、良質のファンタジーがもっと作られてほしいと願っています。
 余談ですが、『コイル』のような、日常生活に侵入してくる幻想世界を描いた作品として、須藤真澄のファンタジーマンガ作品を僕は連想します。須藤の作品においては、「生」と隣り合わせの「死」をモチーフにしている話もあって、『コイル』とどこか不思議な接点が感じられます。

 ○電脳生物について
 『コイル』作品中に登場する電脳生物はどれも個性豊かであり、電脳世界と人間とを結びつける重要な役回りを時には愉快に、時には恐ろしく演じていました。特に主人公家の電脳ペット・「デンスケ」は、主人公たちの危機を救うなどの大活躍を見せると同時に、ストーリーの謎に関わるキャラでもありました。首の”錠前”が示すように、物語の展開における鍵としての役割を担う存在だったといえるでしょう。終盤でのヤサコとの”別れ”も白のバックとの相乗効果によって、主人公の成長を象徴する名場面となったことも印象深いです。まさにデンスケは『コイル』の世界観を代表するキャラクターとして、ストーリー中でいい所を持っていってしまった感がします。理屈ぬきで「いるだけでいい」キャラは実にイイ!たとえバーチャルな存在でも命が感じられる存在には愛がある、という気にさせられます。これは私見ですが、『コイル』作中でのヤサコの妹・京子とデンスケとの関係は、雰囲気としては『ジョジョ』第三部のエジプト編で登場するスタンドを使う犬の「イギー」と主人公チームのメンバーでスタンド使いの「J.P.ポルナレフ」との関係をどこか連想させます。デンスケは小型犬でしたが、ハウンドやレトリーバーなどの中・大型犬の電脳ペットがいるのだろうと想像すると面白いです。ほか、恐竜型の電脳生物なんかいてもいいかな。ただ「ヌルラプター」というようなイリーガルはかなりヤバそうですが…。ちょっと気になることですが、本編では語られていない所で、電脳ペットが捨てられたり虐待されることもあるのかなと考えてしまいました。電脳生物だからといって勝手に消去していいというものではないでしょうから、電脳ペットには不正消去防止のシステムが導入されているのかもしれません(システムの目をくぐる試みもされているかも…)。虐待については、バーチャルな存在であることから、相当過激なことが行われている可能性があるでしょう。そしてテレビゲームのように飽きられてはまた思い出して虐待、という展開も考えられるでしょう。ペットにとっては地獄の体験でしょうが…。しかしこのような想像が、電脳世界を通して、人間の行為に潜む闇というものを考えさせる機会を提供してくれるのではないのかと思っています。

 ○その他イロイロ
 『コイル』の絵柄にみられる色彩は、基本カラーにグレーを混ぜた、空気遠近法を思わせる感じに見えました。グレーのかかった色彩は、キャラクターに有機的な存在感を与えていて、ドラマを引き立てていたと感じました。物語ラスト、桜並木シーンでの明るい色彩は、民俗学でいう「ケガレ」の祓われた、典型的な「ハレ」のイメージに見えます。やっぱり少年少女もののラストは、晴れているほうが物語の締めくくりにふさわしいという感じにさせられます。 
 電脳クレヨンは、(アレがナニなものでより一層)『コイル』放送開始とほぼ同時期発売された、あの国民的人気アニメのDSゲームを思わず連想させました(笑)。
 文字化けスプレーの他にも、スプレー系のアイテムが色々とあれば良かったかなと思います。吹き付けると周りの景色に同化したり、電脳体の機能を狂わせたりとか、機能的にもビジュアル的にも面白いかな。壁系アイテムには、レアアイテムとして、セラミック壁とか、爆発反応装甲(リアクティブアーマー)なんかあったら面白いかもしれません。
 コイル探偵局ナンバーは、「四番」は、四は死に通じるということで、アパートの番号みたいに始めから欠番にしているのかも。
 オバちゃんこと原川玉子については、まことに失礼ですが個人的には、オバちゃんは、第二次大戦のドイツ軍オートバイ兵の姿が似合うかもしれません。バイク兵用コートの黒っぽい所やスパルタンなデザイン、ドイツ軍タイプのヘルメットを被っている姿も案外もイケるのでは?『Dr.スランプ』の扉絵に描かれた、登場キャラたちのミリタリーコスプレは私にとっては印象が強いので、オバちゃんのキャラクターを見たときふと思い浮かびました。オバちゃんのワルっぽいキャラクターは、ドイツ軍ものに合っているかも。もう一つとしては、暴走族の特攻服もイメージには合っているかもしれません。だが番組やキャラクター設定が体制寄りなのでそれはNGでしょう(笑)。


 ○魅惑の世界を振り返って
 『電脳コイル』という作品の全体を眺めてみると、電脳メガネや電脳生物、電脳アイテムなど、作品世界での、「電脳システム」の設定が、日常を意識した、有機的で温もりを感じさせるような意匠でまとめられています。デジタルとアナログ、互いの長所を取り入れたこれらの設定が、ストーリー的にもビジュアル的にもインパクトのある個性として明確に確立しています。このことにより、作品に日常感やリアリティがもたらされ、我々に提示された「新時代の日常生活」のイメージとして、作品に魅力を与えたのだろうと考えられます。その魅力が大黒市に生きる人々のドラマをいきいきと描き出し、我々を感動させる要因となったのでしょう。確固とした世界設定の下では、少女「ヤサコとイサコ」を中心にした『コイル』の本編は、電脳システム世界が生み出す「フシギ空間」に住む人々の生み出した数多くの物語の一つでしかないでしょう。ある意味、作品上の、電脳システムの存在する世界そのものこそが『コイル』の真の主人公なのかもしれません。大黒市はこれからも物語を多く生み出してくれる町として我々の記憶に残り続けていくことでしょう。『コイル』の魅力とは、それに触れた人々に「大黒市の住人になりたい!」と思わせる所にあるのかもしれません。
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 後記:
 以上、『電脳コイル』についての、私の雑感雑記です。これは私の個人的な意見ですが、『コイル』のストーリー設定と登場キャラクターには、須藤真澄のファンタジー空間と富沢ひとしのSFビジュアルイメージがそれぞれ連想されます。『コイル』の作品イメージは、この両者が夕日の中で混ざり合っているような印象を受けました。須藤真澄のファンタジーにみられる「日常に侵入してくる異世界」や「生と死」、マンガ『エイリアン9』に代表される富沢ひとしのSFで描かれる「人間と異生物との共存」は、「自分と他者との交流」という主題や、「異世界を通じて、読者に現実を見つめさせる」という作品概念において、奇妙な共通点がみられます。今回『コイル』を視て、須藤真澄と富沢ひとし、一見対照的に見える両者の作品に潜む共通点を再び見直す機会となりました。  
 『電脳コイル』という作品は、いろいろと語ればきりがなくなってしまうほどの内容のある作品ですが、特に印象の強い事柄を中心に感想と考察を述べさせていただきました。『コイル』のことを出来るだけ率直に明確に伝えるための言葉がなかなか浮かばず、苦労しましたが、『コイル』の魅力というものを考える良い機会であったと思います。最後に、『コイル』についての記事を投稿するきっかけを与えていただきました、たまごまごさんとゆすら榛梧さんに、感謝の意を表します。『電脳コイル』という傑作が今後も多くの人々に伝わっていくことを願っています。

                     2008.05.16 kongdra

              発行:空琉総合研究所 2008 禁無断転載
      
                   2008 kongdra/空琉総合研究所

追記:別ブログ「COOL館通信」にも同内容の記事をアップしてありますので、コメント等が送りにくいときはそちらをご利用ください。
by konlon | 2008-05-18 15:57 | アニメーション