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by konlon

須藤真澄作品集・『マヤ』


『マヤ』
 ─幻想(ファンタジー)の残存─
            by空ドラ

 2001年に発売された須藤真澄の短編作品集『あゆみ』は、デビュー以来各種雑誌に発表されていた短編作品の内、単行本掲載を逸した作品を収録しており、初心者から熱心なファンまでが須藤作品のソフトクリームのような口当たりを味わえる一冊であった。日常生活中に出現する、透明感に満ちた幻想世界の中で、谷折り輪郭線と、傘型長まつげ&目じりのキャラクターたちが「静」と「動」のテンポに乗って展開する須藤式ファンタジーの”あゆみ”を展望できる須藤真澄レア・トラックス盤と言えるであろう。ところが、須藤の単行本未収録作品は、『あゆみ』収録分以外にもまだ相当数存在していた。それらの作品は、須藤自身による内容見直しによって、単行本化を見合わされていたが、単行本約一冊分あったため、作品集がもう一冊できるのではということから、未収録作品集第二弾の構想が浮上してきた。その構想が須藤のホームページ上で表明されると、須藤ファンによる実現要望が集まり、同人誌としての製作構想が立ち上がった。(*1)やがて、出版関連の企業が持ち込み原稿の出版化サービスを行うようになると、その動向の中で、”書籍としての”販売の可能性が生まれ、書籍化の動きとなった。そして、2004年初頭に、三省堂系列の創英社より、”同人誌に近い書籍”として、作品集『マヤ』が発売された。タイトルの『マヤ』は、須藤が作品集の構想当時に読んでいたマンガ『ガラスの仮面』(美内すずえ作)の登場人物より、前集のタイトルである「あゆみ」(亜弓)に対しての「マヤ」という連想から命名された。(*2)このようなシャレ的タイトルとは違って、『マヤ』収録の作品は、「プラネット・フィーダー」や「雪魚の住処」などの短編や、前集『あゆみ』にも収録されていた「全国博物館ルポ」の未収録分やCGによる掌編というような、『あゆみ』に勝るとも劣らない内容の作品が収録されている。また、装丁も『あゆみ』を意識しながらもデザイン性を強調したものとなっている。『あゆみ』が音楽でいうメジャーレーベルでの”須藤真澄レア・トラックス”に対して、『マヤ』はインディーズでの”レア・トラックス”というような印象であろうか。これまで単行本で読む機会のなかった作品が収録されたという点でいえば、『マヤ』は、須藤真澄ファンにとって、謎の”マヤ”文明のようであった須藤作品のミッシング・リンクを埋める作品集であったといえるであろうか。特に「プラネット・フィーダー」と「雪魚の棲処」は、須藤作品の主要モチーフである、「生命の存在意味」を追求した傑作でありながら、『あゆみ』にも収録されなかった短編であり、このニ作を収録されたことによって、初めて本作を読む機会ができたことは、ファンタジーファンにとって非常に喜ばしいことであった。『マヤ』における短編集未収録作品の”最終解禁”は、須藤真澄先生やファンタジーマンガのファン達って、まさに感涙モノの企画であるとともに、須藤先生のファンタジー作家としての新たな門出を祝う意味も持つ内容であるといえるであろう。『マヤ』収録の作品は、どうして今まで単行本収録されなかったのか不思議に思う位の内容であり、ファンタジーファンなら一度は観ておきたい、須藤作品の中級編としてお勧めできる作品たちであると言える。


○「プラネット・フィーダー」
 太陽の黒点から象が降りてきて、これから生まれてくる人間一人一人の頭の中に住み着くという。少女薫が最初に見た夢は、母胎の中で、降りてくる象に出会うという夢であった。部分日食の観察を終えたある夜、一頭の象が薫の弟、たらの枕下に現れる。像はたらの中にいる像であり、たらの持っていた太陽黒点図に引かれて、姿を見せた。黒点図には象のふるさとが描かれてあり、懐かしんだのだという。象は吹き上がった太陽の炎がちぎれて生まれ、地上に降り立ち、星を突き抜け、別の太陽にたどり着くまで旅を続ける。自分がなぜ生まれたのかも分からぬままに…。生命の存在というものをテーマにしており、短編集のオープニングにふさわしい傑作になっている。太陽から生まれた象たちが地球に降下していく様子は、象が水中に沈んでいくようなイメージで描かれ、その液体感は、太陽の熱感とに対比によって、作品の魅力を形作っている。
 太陽から生まれてゆく象は、人間一人一人の生命力を象徴するものであり、水の世界とは違った、別な形での須藤の生命観がうかがわれる。象たちはこの地球で人間達と共にすることで自分たちの存在意味を追い続けるのであろうか。生命がこの世に存在する意味をこの世の中で追い求める、という本作のテーマは後に「雪魚の棲処」(本書『マヤ』収録)において発展していく。
 本編では、日食の観察が描かれているが、。発表時期が80年代であったためか、本編では黒の下じきが用いられている(望遠鏡も使われているが専用の装置が取り付けられているのであろう)が、近年では赤外線に対する安全上、「日食グラス」といった専用の器具を用いる観察が推奨されている本編のような黒下じきでは、赤外線によって目を傷める危険性があるので、現在では厳禁とされている。

○「フェアリー・テールで会いましょう」
 四年三組に転校してきた大木 空は童話の本を読むことが好きな少女。彼女の学級は、転校先の学校での卒業生壮行会の準備をしていたため、転校間もない空にとっては、周りの空気になじめず、反射的に逃げ出し早退してしまう。その後、自宅で絵本を読んでいたが、ふとした弾みで空は絵本の世界に引き込まれる。空は絵本の世界の魔女たちによって見習い魔女にされてしまうが、空よりも先に絵本の世界に来ていた少女の手助けにより、少女とともに元の世界に帰還する。帰還した所は、壮行会準備中の教室であり、一緒に帰還した少女は四年三組の生徒であった。須藤作品には珍しい拉致、脱走ものというべき作品。主人公の空が集めた童話に登場する魔女達が結集して、空を童話世界の住人にしようとするストーリーは、須藤スタンダードの老人描写と軽快なノリで展開されるが、「モノ」に愛好する者がその「モノ」に心を奪われ、支配され、現実世界を見失ってしまう危険性と恐怖を暗喩している。主人公が絵本の世界に引き込まれる描写は、スクリーントーンを駆使して、水が吸い込まれるようなイメージで構成されており、地上空間内に液体感を演出している。また、液体の流れるような表現と主人公の顔までトーンの切り絵で構成されている所には、後の『アクアリウム』の水中描写に通じる、須藤のトーンワークと切り絵テクニックがうかがわれる。ストレートな疑問として、本編では絵本の世界には魂だけが引き込まれる、という設定にみえるが、空たちが元の世界に戻ってきたときは絵本の世界での服装で、学校の教室に出現していた。ではそのとき空たちの本体はどうなったのか?

○「全国博物館ルポ」(続編)
 前冊『あゆみ』に収録されなかった分を改めて収録。人形(市松人形)、鳥類、恐竜、妖怪を紹介している。展示オブジェクトは、『あゆみ』同様一見奇怪なものを温かみある絵柄で親しみやすく紹介されており、(シリーズなので当然か)好感が持てる。所在地や開館時間、入館料設定が演出する不思議なリアリティは、アナログで作られたヴァーチャル博物館といった趣をみせている。ただ残念なのは、「人形博物館」の右半分のページが、『マヤ』ではモノクロで収録されていたため、シリーズの統一感がやや損なわれた印象がする。「博物館ルポ」シリーズ中の博物館情報は架空であるが、展示物の内容についての情報は割と正確である。(市松人形のゴム複製はフィクションらしい。また恐竜に関しては80年代以前の恐竜イメージが残っていて、今の目で見ると非常に興味深いものビジュアルイメージとなっている)

○「水間の民族」
 旅に出ていた新婚の夫婦、ゾエアとラピスが故郷に帰ったきた。しかし、ゾエアは旅の途中で受け取った手紙に書かれた湖に向かう。湖でゾエアを待っていた謎の人物は、湖の底に住む、一種の魚人であり、ごくまれに生まれる変異体であった。彼はゾエアの双子の兄であり、自分を湖に捨てた母に復讐するため、ゾエアの体と入れ替わる。魚人の体に入れ替えられたゾエアは、ゾエアとなった魚人を追うが…。須藤真澄唯一の(恐らくこれが)怪奇作品。魚人や水中生物の奇怪な描写は須藤らしからぬ怪奇性を演出しているが、水中が生命の源であり、彼らが生命新化の系統樹に実る果実であるという解釈には、水の世界には、帰るべき生命の故郷があるという、作者の他界観がみられ、”水”や”魚”をモチーフにした、後の須藤作品に通じるものが感じられる。ラストの、ゾエアと魚人が戦った後、共倒れして融合する展開は、水の世界と地上の世界との葛藤と、その結果としての”水”への回帰というものが暗示されているようである。
 この作品は全篇カラーであったらしいが、(原資料未見)『マヤ』にはモノクロで収録されている。そのため、作品の完全なイメージが伝わっていない点は残念である。ちなみにタイトルの「水間」(みま)は奈良県の地名にもみられるので、タイトルだけでは、作品の内容を連想しにくいので注意が必要である(笑)。

○「うさぎ」
 コンピュータグラフィックスで描かれた掌編。柔らかな光を放つうさぎたちが、安らかなる夜へと誘う。繊細なCGで描かれたうさぎとドットの荒い、昔のファミコン・ゲーム画面のような背景とが微妙な感覚で調和しており、見るものの心を和ませる。雑誌掲載時は二色カラー(週間マンガ雑誌のマンガにみられる、色数の少ない印刷で、赤っぽい感じのするページ)であったが、単行本掲載時にモノクロ収録されてしまった。その点が残念な所か。

○イラストコーナー
 須藤がこれまでに各種雑誌で発表したイラストや1コマ、4コママンガの絵から数点選んで掲載。須藤真澄の多様な表現感覚が味わえる。 
 
○「タコよ!」
 たこ焼きをめぐる若い夫婦のショートストーリー。全2ページ。たこ焼きの多彩な材料に驚き、奥深さを感じる妻が印象に残る。デビュー作「わたくしどものナイーヴ」入稿後に注文を受けて雑誌『デュオ』に掲載されたため、ある意味”もう一つのデビュー作”ともいえる作品といえる。

○「コトホギの日」
 文房具店兼駄菓子屋の娘は16歳。彼女には双子として生まれるはずであった兄がいたが兄は流産してしまい、彼は妹の体に共存する。正月一日元旦、駄菓子屋に一人の子供がやってきた。子供は妹の頭に兄の頭が連なっているイメージが見えるらしい。子供は妹から兄のイメージを抜き取ってどこかに去っていく。現実を受け止めた少女の精神的成長を祝日=寿ぎの日をモチーフにして描いた作品であり、連続シリーズものの最終回だけを抜き出したような印象を受ける。新年のイメージが持つ厳かさと、駄菓子屋の風景との調和が印象的。

○「雪魚の棲処」 
 南アジアのとある国、山麓の村に住むパダルは少女パニを無人となった古寺に案内する。二人は寺の古井戸から現れた巨大な魚に出会う。自分がこの世に生まれてきた理由を知りたがっていた魚に、パダルは村の人々を呼んできて、それぞれの意見を聞かせる。輪廻から開放して聖なる存在になるための修行、家族の成長、好きなお菓子を食べるためなど、村人達は懸命に答え、それらの言葉によって、魚は始めて「嬉しい」気持ちになる。その時、天からの声が響き渡り、出会った者の心を動かし、彼らの想いを伝えれば心は遠くまで行ける、と告げる。村人は魚の願いを聞き入れて魚を川に放そうとするが、途中で魚は息絶える。村人は魚の魂だけでも川に還してやろうと魚を焼き、焼いた遺体を食する。魚を特別扱いせずに、食物として。魚の想いを自らの肉体に受け継ぐために…。
 『天国島より』収録の須藤の猫エッセイコーナーにて”予告編”が掲載されていながら、これまで単行本に収録されず、掲載雑誌を読めなかったファンにとっては幻の傑作として長年謎とされてきたが、今回の『マヤ』にて初めてその全貌が公開された。生命の存在意味を魚を通して問いかけた作品で、舞台は須藤の好きな国、ネパールをモデルとしており、ヒマラヤの空気と異国情緒が物語に穏やかさと重みを与えている。作品中にみられる、ヒマラヤ山ろくの夕焼けから星夜へと至る光景は、スクリーントーンの濃淡によって、読者の脳裏に鮮やかなカラーを再現させるようである。

○「鶏頭樹」 
ある学校には「鶏頭樹」と呼ばれる大木が生えており、女子生徒のすぎなはその鶏頭樹と心を通わせていた。学校の生物部で誕生した棘つきの卵は、触れたものを鶏に変え、割れると周囲の者も全て鶏に変えてしまう。学校は対策に躍起になるが、学校は閉鎖となる。そして、鶏頭樹の姿は”鶏の頭”形に変化した。すぎなは終わらせて欲しい、という鶏頭樹の願いを聞き入れて鶏頭樹を伐り、一人学校に残る。すぎなは、この事件が夢であると思い、夢から覚める日を願いながら鶏たちと過ごすが、何日か経った後、全ての鶏と卵が死に絶える。その時、伐られた鶏頭樹から新芽が生え、聞こえてきた一番鳥の鳴声にすぎなは夢の終わりと現実の始まりを感じるのであった。
 この作品が掲載されていた当時(’89年)マンガ情報誌『コミックボックス』で原子力問題が取り上げられていたため、作品には原子力と放射能汚染のイメージが取り入れられている。人間の科学技術によって創り出されたものが人間を襲うというモチーフが取り入れられているが、 怪物を奇怪な姿ではなく、鶏と樹のイメージで表現している所に、日常の中に潜む恐怖心というものを描き出している。また、学校という”世界”の中で主人公すぎなの周囲にいた人間が鶏や卵に変身するという展開は、思春期を迎えた少女が自分を取り巻く世界が変化していく中で現実の実体を認識し、精神的成長を遂げるということが暗示されているように見える。ストーリー中での重要なファクターとなる、”鶏頭樹”は、中国の創世神話に登場する人類の起源、「オンドリ雷神」を髣髴とさせる。「オンドリ雷神」は神話世界の中心であり、世界と人類の始まりに深く関っているという。(百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』)この「鶏頭樹」は少女すぎなの精神的成長を、学校という空間における、彼女とその”世界”の死と再生という形で描いた作品とも言えるのであろうか。


作品:
    『マヤ』 2003年、創英社
                     


*1:
   「須藤真澄インタビュー」 『コミック・ファン』15号 2002年3月、雑草社
*2:
   『マヤ』59ページ解説/前掲1「須藤真澄インタビュー」
                                  
             
                                   
                           (文中敬称略)
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by konlon | 2008-02-20 00:37 | マンガ