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by konlon

須藤真澄作品集・『あゆみ』


 ソフトクリームのごとき口当たりが印象に残るファンタジーマンガ作品で知られる須藤真澄は、デビュー以来一話完結の短編読切作品を主流としてきた。それら短編作品は、日常生活の中に出現する、透明感に満ちた幻想世界を舞台としている。この幻想世界では、谷折り線状の輪郭線に、独特の長まつげと目じりをそなえたキャラクターが登場し、彼(女)らが画面の「静」と「動」が紡ぎ出すテンポに乗って展開する。これらの物語から生み出される音楽的イメージは、ファンタジー・マンガ作品のソフトロックとも言えるであろう。須藤の短編作品を集めた単行本として、雑誌『コミックボックス』掲載作を中心にした『観光王国』、『子午線を歩く人』、『天国島より』の三冊が出版されており、一種の”初期三部作”を形成している。須藤は『コミックボックス』以外の雑誌にも魅力豊かな短編作品を掲載しているが、それらの作品は単行本にまとめられることはなく、掲載誌を見ることができなかった須藤及びファンタジーマンガのファンにとっては実に残念な状態であった。そのような状況下でエンターブレインから須藤の作品集『あゆみ』が2001年に発売され、須藤真澄ファンやファンタジーマンガファンたちを喜ばせた。『あゆみ』は、本書発売以前の単行本未収録作品を、各作品を構成する主要モチーフ別に分類編集した作品集であり、1984年発表の雑誌掲載第一回作品、「わたくしどものナイーヴ」から2000年発表の「ほな」までの幅広い年代の作品が集められており、須藤のデビュー17周年記念企画的な要素も含んでいる。これまでの短編集に未収録の作品+『天国島より』以降発表の短編に、デビュー作の”解禁”は、須藤先生及びファンタジーマンガのファン達にとってまさに嬉しい一冊であった。この短編集には、須藤作品のモチーフに使われている、「老人と少年少女」や「人間の生と死」が前面に押し出された作品が集中しており、須藤作品の入門編としてもお勧めできる一冊であると言える。

○「椰子の木時計」
 太陽の照りつける浜辺を歩いていた一人の旅する男は、一本の椰子の木を見つけた。男は木陰に入ろうとするが、木の下にたたずんでいた少女に突き出される。そして、放射状に広がっていた椰子の葉が一箇所に集中して時計のように回転した。少女は日陰になった部分の砂から黒い帽子を掘り出して、男に差し出した。続いて、集まった葉は動いて、新たに影になった所から、少女は黒い瓶に入った飲み物を取り出し男に与える。少女は男が身に付けていた腕時計を欲しがっているように見えた。男はしばらく休憩した後、腕時計を少女にあげようとするが、少女はもうもらったと言う。男はそこを立ち去るが、男の影が固定された状態で砂浜に残っていた。椰子の葉はまた動き出し、葉の影が男の影に差し掛かると再び放射状に広がった。旅人と少女のモチーフは、短編「観光王国」(『観光王国』所収)の流れを汲み、「観光王国」の続編的作品となっているが(*1)、「観光王国」の”夜の街”に対して、この作品は”午後の浜辺”を舞台にしており、本作から感じられる”暑い空気”は、「観光王国」での”冷たい空気”と対比され、印象的である。水彩インク画の微妙な色合いが美麗な冒頭のカラーページと相まって、この「椰子の木時計」もまた、「観光王国」同様短編集のオープニングを飾るにふさわしい作品になっている。

○「深海プリズム」
 ある雨の日、少女の「るり」家にある鏡台の引き出しから深海魚が出現した。深海魚たちは光の糸を伝ってやってきたという。光の糸は、以前海に行ったるりが手鏡で海中を照らした時の光であり、鏡台の引き出しにしまっていた、その手鏡から深海魚たちはるりの家にやってきたのであった。部屋を暗くすると、深海魚たちの体から赤、青、白、緑などの、色のある光を放つが、彼らはその光の色が分からない。るりはプリズムを取り出して、そこに光を通す。深海魚は、プリズムを通して各色に分解された光にそれぞれ温度が違うことを感じる。それは彼ら深海魚たちが遠い昔に忘れてしまった懐かしい感じであった。コミカルにアレンジされた深海魚と少女るりのキャラクターが可愛く、これだけでも楽しい気持ちにさせてくれるような作品である。(特にオニアンコウ長老のデザインが味わい深い)モノクロ画面でありながら、深海魚たちが色つきの光を発する場面には、色彩が読者の脳裏で再現されるようであり、過去に忘れた光と色を追い求めようとする深海魚たちの思いを強調させる。

○「まるい海まるい波」
 満月の夜、少女は拾ったビー球に引かれて月面に着陸する。月面には一人の老女がいて、ビー球は自分が先に見つけて、月に引き寄せたのだと言う。老女は、地球からビー球を集めて、宝物にしていた。白くて穴だらけの月を飾り付けてやりたいと思っていたのである。老女は月から見た地球が美しく見えるのであった。老女の集めたビー球が地球のように美しく見えた少女は、いつのまにかビー球を拾った路地に戻っていた。地球から見た月もまた美しく、ビー球よりも輝いていた。少女はそのことを月の老女に見せてあげたいと思うのであった。月に引かれる主人公の浮遊感とモノクロ画面で表現される”青”のイメージが印象的な作品。タイトルと違って本編では海や波は出てこないが、ビー球の青さと月の引力は海と波を感じさせてくれる。

○「フラワーバスケット~つたえ草~」
 老婦人アリストクラート家の庭に蓄音機形の不思議な花が咲いた。これはつたえ草といって、触れた者の心の中を花から声に出す。アリストクラート家のつたえ草から季節外れのセミの鳴き声が聞こえてきた。地下にいるセミの幼虫が地上に出て歌う日のために心の中で歌の練習をしていたが、誰かに歌を聞いてもらいたい思いがつのってつたえ草の花を咲かせたのであろう。近所に住む老博士フライアットは地下のセミたちと協力して、アリストクラートの誕生日をつたえ草の合唱で祝うのであった。フライアット博士と助手の少年アメデオとの掛け合いが楽しく、物語全編に穏やかな日光を感じさせてくれるような作品であり、アリストクラートになかなか誕生祝いの言葉を伝えられないフライアット博士がほほえましい。解説によると、「フラワーバスケット」はシリーズものになるとのことであったが、実現していれば、不思議な花が毎回登場するシリーズ構成の、「振袖いちま」とはまた違った雰囲気のするシリーズになっていたであろう。

○「ゆきあかりのよる」
 ある大雪の日、赤くてくせ毛の少女あかりは雪の精の老人に出会う。前日、あかりは友達で、黒く真直ぐな髪の少女小夜とケンカしたため機嫌を悪くしていた。あかりの髪がかわいいと言う小夜の言葉に対して、自分の髪を気にしているあかりは、小夜にからかわれたと思っていたのであった。雪の精は、真直ぐな髪の小夜があかりの髪をかわいく思って素直に口にしたのだと諭す。あかりは雪の精の”のーてんき”を分けてもらい楽しい時を過ごし、小夜と仲直りした。冒頭の1ページ全体にわたる、降雪の場面をはじめとする、「雪の日」の描写は、雪のイメージとして使われる”雪の結晶”のモチーフを一切使わず、肉眼で見た雪のイメージを重視しており、作品全体から冷たくも暖かい気温と、静寂さが感じられる。そのような「雪の日」を舞台にした、少女の温かい心と雪の精の優しさとはかなさが伝わってくるような一篇である。

○「全国博物館ルポ」
 珍しい深海魚や爬虫類、キノコ、蝶を架空博物館の形式で紹介している。全編手書きのカラーで描かれており、暖かみのある描写は一見奇怪に見える展示物を嫌悪感なく紹介している。また、各博物館の構成が詳細に解説され、所在地や開館時間、入館料の設定とともに不思議なリアリティを演出しており、アナログで作られたヴァーチャル博物館といった趣をみせている。

○「天のおさる」
 世界一高い山の頂上にある、大木に住んでいる一匹の猿が下界に降ってきた。街に出稼ぎに来ていた少女は、偶然その猿と出会ったため、少女の里帰りと同時に猿を住処に帰すことになった。寺院に来たところでしっぽを数珠繋ぎにした猿の群れが猿を迎えに現れた。こうして猿は無事山に帰すことができ、少女もまた故郷に帰ることができた。須藤の好きな国の一つであり、数回足を運んでいるネパールをモデルにした国を舞台にした、異国情緒豊かな短編であり、作品中に登場する猿のデザインはマスコット的であり、須藤のデフォルメ感が多分に発揮されている。

○「100,101」 
 とある青年の家にやってくる、100人目と101人目の幽霊のお話。100人目は少女の幽霊、101人目は今は亡き青年の祖父の霊であった。死者と生者との係わり合いが穏やかに描かれている作品であり、特に主人公の青年と彼の祖父との対話には、「思い出」を通して「過去を伝える者」と「過去を受け継ぐ者」との係わり合いが描かれており、須藤作品のカラーを実感させる。若くしてこの世を去った少女の霊と老衰死したと思われる祖父の霊との対比は、作品にアクセントをつけ、彼らと主人公との対話を印象的なものにしている。
 主人公の青年の部屋に現れる少女や祖父の幽霊は、青年や周りの人々に危害を加えるわけでなく、単にこの世とあの世との接点上を通過しているだけ、と言う感じであり、死者霊の持つマイナスイメージを脱して、テンポよく物語が展開する。主人公の青年が洗濯物吊りを頭に被ると空を飛んでいるような感じがすると話す部分は、須藤自身の夢がルーツになっているという。(*2)ビールを飲んで泥酔する少女の霊のお茶目さは必見(?)。

○「わたくしどものナイーヴ」 
首吊り自殺を図った女子高校生、神馬笛子(じんば ふえこ)の霊魂は、下界への扉をくぐって地上に降りるが、そこには自分と全く名前と姿の少女がいた。笛子は自分とは別の笛子がいる平行世界に来てしまったらしい。平行世界の笛子は、暗い性格のまま、死んでも死に切れずに鬱屈している笛子を立ち直らせ、天国に返そうとする。しかし、笛子は自力で天国に戻れなかったため、平行世界の笛子は睡眠薬を用いて自ら霊魂となり、笛子を天国に送った。天国に上がった二人は、笛子の捜索に出ようとしていた天使たち(東洋の仏像風の姿をしている)に捕まったが、生命力の充満している笛子´だけでなく、笛子までもが生命力を取り戻しつつあったため、下界に戻された。もう一人の自分に説教されて、生きる気力が戻ってきた笛子は、当分の間幽霊として、笛子´と行動をともにすることになった。
 1984年に須藤真澄の雑誌掲載第一作として発表された作品であり、「生と死」がテーマになっているにもかかわらず主人公二人の掛け合いが楽しい。死者の魂を主役としていながらも、決して陰鬱とした雰囲気にはせず、反対の性格をもつ、平行世界でのもう一人の自分との掛け合いをコミカルに描き、”ポップ”な(*3)短編としてまとめられている。また、笛子と平行世界の笛子の二人が主役となる物語の展開から見て、今後のシリーズ化を予想される作品でもあった。このダブル主役は、後の『アクアリウム』や『振袖いちま』の原型としての点が見られ、「ナイーヴ」に見られる「生者の自分」と「死者の自分」との関係は、前者に見られる”「この世」と「あの世」との関係”や後者の”「過去の人」と「現在の人」との関係”のテーマへと発展していくことを想起させる。もしこの「ナイーヴ」がこのまま連載されていたらどうなっていただろうか想像させられ、興味が尽きない一篇といえるであろう。

○「ほな」
 土の外に出るとわずかの命しかない昆虫を主役に、須藤の好きな河内音頭のモチーフを加えた短編。河内の地中で河内音頭を毎年聴いていた主人公は、土ごと東京に運ばれ、そこで羽化した。河内に帰れない主人公は出合った同族の昆虫に勧められて木の上で河内音頭を謡う。河内から仲間がやってくることを願いながら…。擬人化した昆虫のキャラクターによって展開される作品であり、主人公は浴衣姿の少女の姿をしている。(”抜け殻”は提灯の形で表現)主人公に河内音頭を謡うよう勧める昆虫は、羽化した同世代の存在でありながらなぜか須藤作品でおなじみの老人の姿であるが、「老人」というものに対する須藤の思いがそこから感じ取れるようである。また、本作では、わずかの時間しか地上で生きられない昆虫を通して、限られた「時間」の枠内において命の密度を濃くすることの意味を問いかけている。この他、前掲の「フラワーバスケット」と併せて読むとより深く味わえるであろう。
ちなみにタイトルの「ほな」は、関西弁で「じゃぁ」の意味であり、河内出身の主人公が河内に帰ろうとしたときに「ほな!」と言ったことから、主人公のあだ名にもなった。


作品:『あゆみ』 2001年、エンターブレイン
                     
    註
*1:
1998年の『JUDY』発表当時、須藤のHP上で「椰子の木」と「観光」に登場する旅人が同一人物であるという作者コメントが掲載されていた。
*2:
「須藤真澄インタビュー」 『コミック・ファン』15号 2002年3月、雑草社
*3:
”ポップ”について言えば、「ナイーヴ」掲載当時、扉に「ポップにデビュー」とのキャッチコピーが添えられていた。冒頭いきなり主人公が天国で東洋風な容姿をした天使と出会う展開において、須藤自身も気付かぬ”ポップさ”が作品にあったたためなのかと作者は『あゆみ』中の解説で述懐している。

                                  
                           (文中敬称略)
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by konlon | 2008-02-19 12:58 | マンガ