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パーソナル文化研究所・空琉館の情報誌的ウエブログです。


by konlon

子午線を歩く人

 今回は須藤真澄先生のファンタジー短編集第二弾・『子午線を歩く人』の紹介です。本書では、前書での主要なキャラクターであった少女や老人に加え、少年や医大生などのキャラクターも多く活躍し、また、明るく楽しい作品や物悲しい印象の作品、エッセイ風のページが収録され、作品集としてのバラエティ度が上がっています。その中でも、「月の赤ん坊」と「白い星 青い実」は、ともに”月”をモチーフに”死者の魂”を主題にした作品として、読み比べも味わえる、印象深い二作でしょう。
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『子午線を歩く人』 ―旅路の続き―   by空ドラ

 須藤真澄作品集『子午線を歩く人』は、前作品集『観光王国』に続く形で、1988年から1990年にかけて、マンガ情報誌『コミックボックス』中で「ピュア・ファンタジー・ゾーン」として掲載されていた読切短編を中心にまとめたファンタジー作品集である。本作品集は浜辺や公園、川岸の土手といった普段目にする場所で展開される幻想的な光景を主題として、日常世界に潜む異世界のイメージを可能な限りの表現方法で描き出している。

○「シオマネキ」
とある浜辺にポツンと一つ建っている、半球状の建物。そこはホテル・シオマネキと呼ばれ、満ち潮と共に流れ着いたもの達の一時(ひととき)の宿という。ある時、この浜辺に一人の老人が漂着してきた。彼はホテル・シオマネキから魂の旅路に出る―。この話では潮の流れに乗って死者の魂が流れ着くという事になっていて、その水中描写は後の『アクアリウム』へとつながっていく。また、この話が発表された時期が1989年であるところから、主役の老人が歴史上の著名な人物を想起させる。

○「天狗―あまつぎつね―」
少女は立ち入り禁止の山に足を踏み入れ、山の中で天狗に出会う。天狗は死者の魂を山の中心と思われる木の養分に変え、花を咲かせ、果実を実らせる。果実の中には勾玉形の種があり、天狗はその種「この世でいちばんいいもの」と呼ぶ。死者の魂の再生を、山と樹木のモチーフで描き、水のモチーフとは違う、須藤真澄のもう一つの死生観を見ることができる。

○「子午線を歩く人」
とある農村の学校に転校してきた少女柳原二三(ふみ)。彼女は環境学者の父と共に世界中を回っているという。二三は生徒達の残りご飯をもらって巨大オニギリを作り、「地球のツボ」を探り当て、そこにオニギリを入れた。彼女は地球の病気を治そうとしているのであった。二三の素性を明確にせず、二人の男子生徒の視点から物語を進行させることにより、二三のキャラクターに秘められた、地球と宇宙の持つ神秘性を読者に呼び起こさせている。

○「MOONY―月の赤ん坊―」
少女奏(カナ)は、友人を交通事故で失った事をきっかけに死者の魂について考えるようになる。姉のいさよに聞いても納得できる答えを得られず、友人との思い出が深い遠足の場所を訪れるが、「自分がいなくなる気持ち」を知ることはできなかった。月は問い続ける奏を見守るように子守歌を歌いかけてくる…。死者の魂についての素朴な疑問を全面的に扱った作品であり、作品全体に重くて物悲しい空気が感じられる。本作はマンガサークルが企画した、「自分の好きな中島みゆきの歌」のイメージマンガ集参加作品として製作された。

○「ビデオの喜び 1泊2日3なすび」
須藤真澄による、ビデオ化された映画作品の紹介で、文章とイラストが中心。紹介作品は、『山田村ワルツ』、『エレクトリック・ドリーム』、『ヒッチャー』、『マイク・ザ・ウィザード』、『エル・スール』、『バンドワゴン』(ヴィンセント・ミネリ監督、フレッド・アステア主演の作品)の6作品。コメディあり、サスペンスあり、芸術的作品ありで、ファンタジー作家・須藤真澄の、(80年代当時の)映画に対する多様な関心を伺うことができ、興味深い記事である。

○「カプセル」
魚の視線から見た海底基地(?)の短編(2P)。「そら」と読む「海面」という単語に、異界としての水中を意識させられる。

○「陽がまた昇ってしまった」
須藤の飼い猫ゆずとの生活をつづったエッセイマンガで、これが後の「ゆずの縄張より」シリーズを経て(『天国島より』収録)、『ゆず』シリーズへと発展していく。後の”ゆず”系作品と比べて、ややぎこちない物語展開と、リアルな猫の姿を残した絵には、”ゆず”に対する愛情を精一杯伝えようとする、作者の試行錯誤が伺われる。

○「ピュアファンタジーの小部屋」
須藤真澄の好きなネパール、レゲエ、ミュージシャンのユッスー・ンドゥール、水族館、酒類についての紹介。(文章、イラスト)

○「アキラちゃんバトルスモーク」
医大生の青年アキラは、禁煙のため、友人の体育大生である、ゲンのアパートに泊まる。アキラは、禁煙による禁断症状によって、幻覚を見る。その幻覚はゲンの部屋にあった雑誌のモデル嬢の影響で、モデル嬢のイメージを投影していた。幻覚のイメージ描写はモデル嬢の姿とパフォーマンスが中心で、「アスパラガス・ハイ」のトリップ幻覚とは違ったコミカルな描写である。幻覚に指導されたためか、アキラは禁断症状の克服を成し遂げて、自宅に帰ってゆく。ゲンの部屋で宿泊する、ひ弱なアキラと強健なゲンとの対比が面白く、作品にリズム感を与えている。ちなみに、アキラの目の表現は、作者である須藤の自画像の目と同じサクランボ型のデザインであるが、作者自身の経験が形を変えて描かれているのかもしれない。

○「OASIS」
鳩の害をきっかけにして始まる、土地とそこに住んできた生命との関わりを描いた物語。新築のおしゃれな家を鳩に害された男はやってくる鳩の頭を刈り取って制裁を加えていた。近所に住む少年は男を問いただすために、男の家を訪ねる。家の屋根は鳩の家でもあり、鳩など気にしていないと言う少年に対し、男は自分の家を守って何が悪いのかと答える。人生をかけてようやく手に入れた土地と家を鳩の糞で汚されたくないのだ。その時、轟音とともに男の家は地中に陥没した。陥没した穴で主人公の少年が見た古代生物の姿は、太古より現代に至る、その地に住んでいた生物たちの存在していた証明であった。土の映し出す古代生物達の映像は、その土地に宿る記憶として、太古よりの生命の流れを感じさせてくれる。生命との関りを持たない、単なる物体としての土地に固執したために、古代生物が化石にしか見えなかった登場人物の男の哀れさも印象に残る。
ちなみに、本作のコマの中に、作者の須藤真澄と飼い猫の「ゆず」の姿が確認され、ストーリー中ではゆずの頭も男によって刈り取られてしまう。

○「これから生まれる竜の話」
増尾課長は部下に誘われ、とある作業場に行く。そこは、未確認生物の製造場であった。課長はネッシーの製作現場に案内され、課長が製作に参加しているのだと部下から告げられる。ネッシーの手触りを確認した直後、課長は夢から醒める。課長の机には”魚竜”(正確には首長竜。ネッシーのモデルとされる古代生物。)のジグソーパズルが作りかけで放置されていた。課長はパズルを作っている途中で眠ってしまい、製作中の魚竜のイメージとなって、彼の夢に投影されたであった。架空生物の存在意味と人間の夢の世界をテーマにした作品であり、ネッシーなど、未知の生物を製作する作業員たちが、巨大な骨格に表皮を貼り付ける作業シーンは、原寸大の模型を制作しているような感覚で描かれ、その手作り感はユーモラスである。

○「白い星 青い実」
人間の脳は全体の一割しか使われていないと言う。残りの部分は何のために使われるのか?本作はこの問いに対して、死者の魂と月の実体を通して、アプローチを試みている。本作では人間の脳は月を動かすためであるといい、月の実体はもう一つの地球のような、青い球体であると述べられている。主人公の少女は、亡き両親の魂がこの球体に宿っているのだと思った。人間の未知の能力を、死者の魂、月、海、魚のモチーフを用いて、モノクロ画面に色彩があるかのように表現している。
同じ月をモチーフにした、「月の赤ん坊」に比べて物悲しさは薄く、現実に向き合って生きて行こうする、前向きな雰囲気が漂っている点も興味を引かれる作品である。

○「このはなさくや」
桜の花と老女を主要モチーフにした、優しさにあふれた作品。画面から桜の花びらの淡い色彩と、その香りが伝わってくるような印象を受ける。須藤真澄の得意(?)とする、バリエーション豊かな老人描写も充分に味わえる傑作でもある!?

○「今宵楽しや」
雪の日の酒屋で、酒屋の老主人は、孫の真澄と”座敷わらし”呼び寄せようと、客を集めて雪見酒をする。老主人と真澄の楽しそうな表情が印象に残り、雪景色と酒屋との対比により、作中に伝わる、酒屋の暖かい空気と外の冷えた空気の感覚が作品の味わいを深めている。


『子午線を歩く人』   1990年9月、偕成社
        新版   1999年9月、エンターブレイン(旧アスペクト) 

                                                
(文中敬称略)
by konlon | 2007-10-25 20:45 | マンガ