『梅鼠』
-ますびファンタジー・ザ・ベストPart2-
●kongdra(空・ドラ)
人間世界における日常の盲点を縫って訪れる異界…。それは現世において、"神"の声を聞き姿をを見ることのできる者と接触する。「むすめ」と「じじばば」は、異界への扉に最も近い存在であり、"神"が人の姿を借りる時に見せる現身の姿であるという。少なくともファンタジーマンガの須藤真澄にとっては…。異界からの来訪者に誘われて、日常から異界、そして再び日常へと帰っていく人々の小さな「物語」を、「少女」と「老人」のキャラクターを案内役として描き、スクリーントーンを駆使して描かれた背景との、「画」と「話」と「技」のハーモニーによって、ソフトロックを思わせるグルーヴを醸し出し、読者の心に余韻を感じさせるのであった。
須藤真澄のファンタジー(幻想)短編は、 「ピュア・ファンタジー・ゾーン」から「庭先案内」を経て、「庭先塩梅」シリーズへと移り変わる中で、須藤による「画」と「話」と「技」の三要素によるハーモニーは、より洗練され、より冴えを増して、ファンタジーファンに新たな感動と新たな読者を現在も呼び寄せている。
今回、須藤のライフワーク的存在となったファンタジー短編の新シリーズ、「庭先塩梅」の開始にあたって、『庭先案内』2巻までの過去の単行本から須藤本人の作品セレクトによるベスト版が登場した。作品の中でストーリーの中核に用いられている「むすめ(少女)」と「じじばば(老人)」の各モチーフごとに分けた二巻構成で、少女を象徴する「萌葱」、老人を象徴する「梅鼠」のカラーコンセプトが取り入れられている。この二冊には、'80年代から'00年代半ばまでの、各時代の須藤ファンタジー作品が集められ、「ますび」こと須藤真澄の約20数年の歴史も味わえる逸品として、須藤ファンタジー入門編としての性格も備えている。
今回の『梅鼠』は、「ピュア・ファンタジー」や「庭先案内」の他、須藤の最初期の作品や80年代後半の少女誌掲載作もバランスよく収録されており、須藤真澄のマンガヒストリーを追体験できると同時に、須藤が捉えた、顕現化した「神」としての「じじばば」というものを感じさせてくれるベスト版になっている。
巻末には作家の有川 浩による、『梅鼠』の解説が収録されており、「むすめ」と「じじばば」を通じた、須藤の死生観についての考察が興味深い。
『梅鼠』
コンセプトカラーは日本画で使われる『梅鼠』色。「経験」と「記憶」が生み出す落ちついたイメージで、「じじばば」の先導者あるいは伝承者としての存在を神秘的に象徴している。
○「昼と夜」(『ナナカド町奇譚』より)
七つある「角」に不思議な事が起こるという町がある。この町に引っ越してきた少女「なのは」は、
七つの角の一つに当たる剥製屋を訪れる。そこには、全く同じ容姿をした老年男性の店員が待っていた。剥製という「死」を前提にした「生」の証明をモチーフに、受け継がれる生命の重みを、双子の兄弟、そして昼と夜の対比効果を用いて読者に伝えている。ここに出てくる双子の老人は、昼と夜をそれぞれ司る「神」を思わせ、明暗のコントラストが生み出す清涼感をもって、少女「なのは」と神との接触を描いている。
○「幻燈機」
中央アジアの内陸部にあるとある地域に、一人の老人がオートバイに乗ってやってきた。彼の持つ幻燈機は海の景色を映し出し、子供達を喜ばせる。だが、この景色は、老人の息子が命を落とした場所であった。幻燈機は、老人の印象に強く焼きついた、悲しい出来事を記憶していたのだ。だが、幻灯機には滞在地で映した海を見た少女の姿が追加されていた。嬉しい出来事も幻灯機に記憶されることに老人は気付き、再び旅を続ける…。旅を続ける老人の姿には、過去の過ちに対して許しを請う人間の姿と同時に、道中で出会った人々の罪や穢れを背負って遍歴する「神」のイメージも感じられる。中央アジア内陸部の質感ある描写とトーンによる波の映像や背景の山並みが老人の心境を引き立たせていると同時に。「じじばば」のビジュアルから導き出された、須藤真澄における「神」のイメージも強調している。
○「黄金虫」
「錬金術」がこの世に存在する世界で、女子学生「木乃枝(きのえ)」は、錬金術師を目指して錬金術学校受験に望んでいた。ある日、木乃枝は突然開店した錬金術用の材料店を発見し、足を運ぶ。店には赤ん坊を抱いている老女が店番をしていた。老女は、実技試験に不安を抱く木乃枝に、自分達が心の足場になってあげると励ました…。
須藤真澄初期のファンタジー短編であり、『萌葱』&『梅鼠』収録作品の中では最初期の作品にあたる。学校生活に終わりを告げ、それぞれの進路を進む友人達との溝に悩むと同時に、新しい世界としての、自分の選んだ進路である、専門分野へ進んでいく不安を抱いた少女が、自分の"分身"に出会い、成長していく物語を、錬金術という呪術的モチーフと絡めて描いている。須藤の学生時代の経験が反映されたと思われる物語設定には、経験に裏打ちされた感覚的なリアリティが感じられると同時に、自分の過去と未来を、赤ん坊と老女のイメージに託したビジュアルは、自己の中の"神"的な存在とそれらとの対話による自己啓発を暗喩しているかのようにみられる。
○「桜風」
満開の桜並木の下で、お笑い芸人を目指す少女は40年前、彼女が生まれる前に失踪した祖父に出会う。失踪していた祖父は、少女がラジオのお笑い番組に投稿していた事を知っていた。祖父に憧れ、この桜並木の場所でかつて祖父がしていたように、漫才のネタを考えていることを少女は祖父に話すのであった。そして、桜の花びら舞い上がる風に乗って祖父は消えていった。母親からの電話から、祖父は亡くなっていたことを少女は知るが、彼女は祖父の存在を確かなものにしたのであった。
「漫才」を通して受け継がれる、家族の心のつながりを、桜のイメージ使って効果的に表現している。祖父の実体が桜の花びらとなって風に乗っていく様子は、儚いながらも未来への希望を託された少女に決意を促しているように感じられる。横山やすしをモデルにしたと思しき祖父のキャラクターや上方漫才風の会話など、上方芸能に高い関心を寄せている須藤の嗜好が作品中に反映されていて面白い。東京の芸人が上方言葉に頼るなという祖父の台詞も、東京出身の作者の微妙な立場がみられ、なかなか興味深い。
○「ゆきあかりのよる」
ある大雪の日、赤くてくせ毛の少女あかりは雪の精の老人に出会う。前日、あかりは友達の少女小夜とケンカしたため機嫌を悪くしていた。ケンカの原因が小夜の素直さにあったあかりは、雪の精に諭される。あかりは雪の精の”のーてんき”を分けてもらい楽しい時を過ごし、小夜と仲直りした。
モンゴメリの小説/名作アニメの『赤毛のアン』に対するオマージュも込められた、少女誌掲載作品。老人の姿で描かれる「雪の精」と少女との出会いを通して、身近な友情を再確認するという内容のストーリーで、「雪の日」を舞台にした、少女の温かい心と雪の精の優しさとはかなさが伝わってくるような一篇である。冒頭の1ページ全体にわたる、降雪の場面をはじめとする、「雪の日」の描写は、雪のイメージとして使われる”雪の結晶”のモチーフを一切使わず、肉眼で見た雪のイメージを重視しており、作品全体から冷たくも暖かい気温と、静寂さが感じられる。
○「桜東風」
老女「りう」と川の水温計りで有名な老人「江戸一」との心の交流を描く。川の水は、桜橋の下を流れる所で心を通わせるのに最適な水温になるという。須藤のホームタウンである、東京都墨田区の下町を思わせる町を舞台に、夏の日常で起った小さな出来事を描いている。超自然的なビジュアルは比較的おとなしいが、この世とあの世との境界に位置する"川"を通して、りうと江戸一との心が通い合う様子は、須藤ファンタジーらしい異界交流譚として存在感を放っている。背景を省略したコマが、夏の日の、気温が高さと爽やかな空気を感じさせる。
○「シオマネキ」
とある浜辺に半球状の建物が一つ、そこはホテル・シオマネキ。満ち潮と共に流れ着いたもの達の一時(ひととき)の宿。ある時、この浜辺に一人の老人が漂着してきた。彼はホテル・シオマネキから魂の旅路に出る―。この話では潮の流れに乗って死者の魂が流れ着くという事になっていて、その水中描写は後の『アクアリウム』へとつながっていく。また、この話が発表された時勢からか(『コミックボックス』1989年3,4月合併号掲載)、主役の老人が歴史上の著名な人物を想起させる。
○「私と彼女と洞窟で」
女子学生は幼い頃友達と遊んだ裏山の洞窟を訪れるが、そこには祖母とその友人たちが集まっていた。そして、女子学生の幼少の頃の姿をした少女が姿を見せた。裏の家の孫が女子学生の幼少の頃に似ていたので、近所で可愛がっているのであった。 秘密基地ごっこを接点にして、祖母と孫との絆と交流を暖かく描き、優しげな印象を読後に受ける短編である。
○「今宵楽しや」
雪の日の酒屋で、酒屋の老主人は、孫の「真澄」と”座敷わらし”を呼び寄せようと、客を集めて雪見酒をする。座敷わらしと楽しい一夜を過ごす事はできるのか…。老主人と真澄の楽しそうな表情が印象に残り、「雪見酒」の楽しさに臨場感が漂っている。作品中の「座敷わらし」は、もしかして「酒の神」なのでは?などと思いたくなるイメージが、作品のコマ(シーン)一つ一つから面白く感じられる。作中に伝わる、酒屋の暖かい空気と外の冷えた空気の対比感覚が、作品の味わいを深めている。
(文中敬称略)